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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第十五章
107/118

~山脈~ 濃霧に潜む敵

 アルプス山脈南西部、モンブランの周辺には分厚い灰色の雲がかかっていた。強弱の激しい雨が降り、山肌を雨雲が撫でては風に乗って渓谷を下る。周りの常緑樹の緑も、今は深い霧の中にあって距離感があいまいになる。


 その中で〔アル・ガイア〕はアルプスの渓谷に入っていく〔エクセンプラール〕の殿(しんがり)を務めいた。


「行ってくれた?」


 (マサキ)は一瞬振り返って、霧雨の中に消えていく〔エクセンプラール〕を見やった。その瞬間、爆音が轟き、操縦席が揺れた。


「いつまでもついてこないでよ!」


 (マサキ)は叫んで、正面に向きなおる。


 マズルフラッシュのまたたきに目を細め、操縦席とフットペダルをおもむろに切り返す。


〔アル・ガイア〕は向かってくる砲弾を回避しつつ、木々を蹴飛ばしながら後退していく。〔エクセンプラール〕から付かず離れずの距離を保たなければ、すぐにはぐれてしまう。


 その動きを妨げる爆炎が〔アル・ガイア〕の傍で炸裂する。


「くぅ――ッ」

(マサキ)、船が渓谷に入った!」

「わかってる!」


 結子(ユイコ)の報告に返答しつつ、(マサキ)は〔アル・ガイア〕を後方に跳躍させる。スタック・スラスターを噴射して、大ジャンプをする黒い機体が雨を弾いて渓谷へとさがる。


 その時、鋭い閃光が〔アル・ガイア〕の右肩部をかすめた。サブ・スラスターが黒煙を上げて、小破。真っ赤な火を噴いて、左へと流されていく。


「姿勢が――」


 (マサキ)は座席から湧き上がったエアバックに包まれながら呻いた。小刻みに震える操縦席に不安が胸をつく。


〔アル・ガイア〕が傾斜に落下。大小様々な岩塊が跳ね回り、装甲を叩く。


結子(ユイコ)、照準お願いっ」


 フォノはくらくらする頭を振って操縦桿を前に押し出す。


〔アル・ガイア〕は右腕部に抱える汎用機関銃(ドゥーオ)の銃身を上げる。照準は結子(ユイコ)の状況解析がなければ有効なものなど打てる状況になかった。


 薄絹のカーテンが揺らめくように雨脚は強まり、狙撃主たちの目を曇らせる。


「優先順位、入力。フォノ!」

「任せて!」


 結子(ユイコ)の言葉を信じて、フォノは汎用機関銃(ドゥーオ)と同期している照準線を睨んでトリガースイッチを引いた。


〔アル・ガイア〕は横たわった姿勢のままセミオートで発射する。


 弾丸は青白い電光を飛散させて、平地に展開する〔パンツァー・グランツ〕に襲いかかる。だが、どの弾丸も命中することはなく空を切る。


「雨で照準が合わないの?」


 フォノはトリガースイッチから指をはなして、大きく深呼吸をする。


 立体スクリーンに表示されている気象情報を一瞥しても、不審な点は感じられなかった。だが、手ごたえがない。空気の震える感じ、撃った後の余韻もない。腕や体に入るはずの痺れのなさがが不安なところである。


「肌で感じられないのは不便だわ」


 それがフォノの実感である。


 そんな都合など敵は知る由もない。


 敵のAWは重々しいカノン砲を持ち上げると、〔アル・ガイア〕に照準を合わせる。マズルフラッシュが瞬けば、彼らは自然その方角に照準を合わせるのが論理であろう。


「下がるよ」


 (マサキ)はフットペダルを踏み込み、周囲を見渡した。


〔アル・ガイア〕は立ち上がると重心を下げて、傾斜を滑り降りていく。


 一秒ほど遅れて敵機の砲火が轟き、放物線を描く。


 対して、フォノもまた指をトリガースイッチにかけて反撃にでる。


 斜面に次々に降り注ぐ砲弾が霧雨を吹き飛ばす爆風を巻き起こし、〔アル・ガイア〕は背部のスラスターを使って姿勢を保ちながら撃ち返す。


 しかし、弾丸は白む風景に溶けて何の反応も見せない。かすかに青白い残光が飽和するのが目に焼き付くのみである。


「フォノ、撃つのを止めて」

「どうして?」

「ドーバー海峡でのことを思い出して」


 フォノは短く息を吐き捨てて、射撃を止める。


 海での射撃の感覚は覚えている。思った通りに弾は飛ばず、威力も減衰されていた。それと同じ状況にあると自分に言い聞かせた。


 理屈などわかるわけもない。だが、気持ちの切り替えには十分である。


「敵だってこっちの正確な位置はわかってないはず……」


 結子(ユイコ)は着弾した砲弾の衝撃に体をくの字にして耐え、モニタを走るアウトラインの動きを視界のはしに捉える。


「そうでしょう?」


 霧雨の中に動く敵。


 正確な数は不明。修道騎士団なのか、フライハイトなのかすらわからない。


 濃霧の向こうに問いかけても、結子(ユイコ)に返ってくるものは砲弾の轟きのみである。


 体を突き上げる衝撃に結子(ユイコ)は思わず涙ぐんでしまう。


「そうじゃないの!?」


〔アル・ガイア〕は爆炎に弄ばれるようにして、よろよろと後退する。


 ドッと〔アル・ガイア〕の右で獰猛な炎が上がった。黒い装甲がぬるりと照り返す。


 そのわずかな照り返しにすい寄せられるようにして、鋭い閃光が駆け抜ける。


 爆炎を突き破って、〔アル・ガイア〕の真横すれすれを通過した。雨粒が荒れ狂い、冷酷な無数の針となって装甲を叩く。


 さらに、すぐ後ろで岩壁が砕け散り、(つぶて)がはじけ飛んだ。


「行き止まり? もうっ」


 正面、背後と装甲を撃つ音と微震に(マサキ)は悪態をついて、顔の横に浮かぶ立体モニタを横目にみた。


 そこには〔アル・ガイア〕の損耗状況とバッテリー残量が表示されている。連日の雨の影響で、機体内バッテリーは消耗する一方であった。


 これ以上、この戦闘を長引かせても勝機はない。


結子(ユイコ)、フォノ、撤退するよ」

「また先延ばしにする気?」

「やってもじり貧に負けるもん」

「戦略的撤退は使うべきだけど……」

「バッテリーはなるだけ節約するっ」


 結子(ユイコ)の怪訝そうな顔が映る内線モニタを見て、(マサキ)は苦笑いを浮かべる。モニタにはフォノの気むずかしそうな顔もあった。


「牽制するわ」

「うん。五秒斉射のあと、マルチ・ハープーン起動するよ。結子(ユイコ)は背後の岩壁を調べて、射撃ポイントを設定よろしく」

「わかった」


 疲労感からか体はずっと重たいままで、三人娘は構えた。


 向かってくる砲弾に勢いがなくなりだした。霧雨を突っ切ってくる砲弾はむなしく空を飛んで、背後の岩壁を砕く。


 ガラガラと岩塊が転げ落ちていく音が胸に響く。操縦桿を握る手に力がこもる。


「いくわよ」


 フォノが静かに言った。


 そして、〔アル・ガイア〕は汎用機関銃(ドゥーオ)を構えると、フルオートで発砲する。扇状に射線を振ると、敵の攻撃が止まった。五秒という短くも、驚異的な時間の中で敵機は防御に転じるほかなかったのだ。


 その五秒で結子(ユイコ)は地形情報と射撃情報を同期し、マルチ・ハープーンの照準を合わせた。


「諸元、入力完了」

「よしっ」


〔アル・ガイア〕が射撃を止めて銃口をあげるとともに、霧の中にそびえる岩壁に向いた。上体をそらし、肩部のマルチ・ハープーンの射出装置を展開。


 即座に銛が放たれる。ワイヤーが弧を描き、上空へと延びていき、やがて先端が堅い岩盤に食らいついた。スパイクが岩盤に食い込み、固定する。


 そのとき、警戒警報が(マサキ)たちの耳に入った。敵が再び砲撃を再開したのだ。


 だが、そんなことを気にしていられない。


「――っ」


 (マサキ)は操縦桿とフットペダルを力一杯押し込み、フォノと結子(ユイコ)も各々の仕事に集中していた。


〔アル・ガイア〕はワイヤーを巻き上げながら跳躍。紙一重というところで、敵からの鋭い狙撃を回避した。


 そして、振り子の要領で機体は岩壁に接近し、脚部で硬い岩肌を蹴りあげる。後はワイヤーの引き上げる力と少しのスラスターの圧力で上昇していくだけだ。


「敵の攻撃が止まった。アイタッ」


 結子(ユイコ)は岩壁を蹴りあげる衝撃に呻いた。


「本当? アウッ」


 フォノは首をすぼめながら、リア・カメラの映像を確認する。


 結子(ユイコ)のいう通り、しつこかった砲撃がぱったりとやんでいる。砲撃の光や音はない。だが、急上昇をしていく光景に足が震えた。


「あれで引き下がってくれる――、わけ、ないよね」


 (マサキ)はエネルギーの残量を気にしつつ、機体を小山の中腹に着地させた。


〔アル・ガイア〕はマルチ・ハープーンを回収しつつ、周囲を見渡す。標高二〇〇メートルほどの地点。霧雨なのか、雨雲の中なのかも定かではない。


〔アル・ガイア〕は頭部を左右に振って索敵する。


「ミトさんたちは渓谷沿いのはずだから、こっちかな?」


 (マサキ)の視線にあわせて、〔アル・ガイア〕は南東の方角を向いた。


 傾斜の厳しい湿った岩場を踏みしめて、機体を傾けさせながら霧雨の景色を睨む。立体モニタが作り出す方位磁針は南西を示している。だが、左右前後を見渡しても同じ光景にしかみえない。かろうじて、足元に視線を落とせば岩の凹凸や黒い色がうかがえるだけ。


結子(ユイコ)、わかりそう?」

「色々とセンサを試してるところ」


 結子(ユイコ)の返答を聞いて、(マサキ)はワイシャツのボタンを緩めて大きく息を吐く。


「わかった。はぁ、熱い……」


 戦闘から解放されて、身体のほてりが鬱陶しくてかなわない。


 (マサキ)は操縦桿のコンソールを操作して、ハッチを解放する。操縦席の中は蒸すような熱さとじめじめした空気がこもっていた。

 

 ハッチが開くと細かな雨粒と凍えるほどの寒さが降り注いだ。


「思った以上に寒いかな……」


 (マサキ)は両腕で肩を抱くようにしてさすりながら、シートを上昇させる。


 しっとりとした湿気と装甲をかすかに打つ雨音。さらに遠くからは山間を縫って流れてくる凍てついた風の音が聞こえる。


「ぜんぜん前が見えない」


 (マサキ)はロックのかかったフットペダルを踏み台にして立ち上がると、ハッチの縁に腕を乗せる。それから灰色の世界の一点に目を凝らす。


 だからといって、人の視力では風に揺れ動く雨の流れしか見えない。


(マサキ)、風邪引くよ?」


 結子(ユイコ)が次々とポップアップする立体スクリーンに目を走らせながら、(マサキ)に忠告する。


「大丈夫。ちょっと涼んでるだけ」


 そういう(マサキ)の顎の線に沿って大粒の水滴が流れる。


 それに気づくと、彼女は両手で顔を拭って水滴を払った。とはいえ、霧雨の中では否応なく水は頬を濡らし、髪の毛や眉、まつげに小さな水玉が飾られる。


「フォノもそう思うでしょう?」

「…………」

「ん? フォノ?」

「え、あ。ごめんなさい。どうしたの?」


 (マサキ)は操縦席の方から聞こえるフォノのうわずった声に目をしばたたかせる。まつげの水玉が弾かれて落ちるのにあわせて、彼女も操縦席に引っ込んだ。


「もしかして、寝てた?」

「え……。う、うん。ちょっと気が抜けちゃってて」


 立体スクリーンにみるフォノの顔色は憔悴しきっていた。目元にはクマが浮かび上がり、金色の髪もどこかくすんで見えた。


「二日も戦闘続き。寝る時間もなかった。仕方ない」


 結子(ユイコ)は言いながら獲得した情報を整理し、首筋を撫でる。汗の感触が手にべったりとつく気持ち悪さに表情が暗くなる。


「休めるときに休もう。今回の相手はまだ追ってくると思うし。寝てて大丈夫だよ」


 (マサキ)は朗らかに言った。彼女自身、疲労してすぐにでも寝てしまいたい気持であった。だが、敵の追撃がここで途絶えるとは思えなかった。


 今は手が空いた順に休んでもらう方がよいと考えるのが自然であった。


「でも、二人に悪いわ」

「気にしないで。まだ、敵が来るかもしれない。その時は頼りにさせて」


 (マサキ)は笑顔を作ってフォノに言った。


 と、そこで結子(ユイコ)も探索が終わったようで、(マサキ)の操縦席に新しい情報が更新された。


「予測航路はこんな感じ。あとはミトさんのアクションがあれば完璧」

「山ひとつ越えられるかな……?」

「計算上はできる、ことになってる」


 (マサキ)結子(ユイコ)のあいまいな返答に苦笑しつつ、シートにお尻をおさめた。立体スクリーンを指先で払いのけ、横に置くと正面の視界を確保する。


 メイン・モニタには予測航路に出るためのナビゲーターラインが映像出力されている岩肌に落ちている。


「これをたどっていけば、合流できる?」

「というより、予測航路にぶつかってくれる。あとは、山を越える針路を設定してあるから」

「わかった。やるだけやってみる。結子(ユイコ)も休んでていいよ」

「うん……」


 結子(ユイコ)は今にも眠ってしまいそうな返答をして内線を切った。


 できることなら、細かく(マサキ)のサポートに回るべきなのだろうが、ぼんやりとしている頭ではこれ以上の補助はできそうになかった。


 (マサキ)はそれを重々承知していたから、頼みはしなかった。


「山越えをするんだから、慎重にいかないと」


 (マサキ)はゆっくりと〔アル・ガイア〕を進ませる。


 山の斜面は急で、気を抜いたら二足歩行のAWでは滑り落ちてしまうだろう。重々しく脚部を前に出してはガラガラと崩れる岩場を上るようにしてナビゲーターをたどっていく。


 それが唯一の頼みの綱であった。


               *     *     *


「山脈に逃げたか……」


 それは〔アル・ガイア〕を追う者の声。


「大方は予定通りだが」


 追跡者は機体のハッチを開けると、雨が降る外へと脱け出た。


 細かい雨が頬を打つ。底冷えする寒さにあっても、その人物は震えることなく愛機の後頭部を撫でるように手をついて前に回り込む。


 そして、ゴーグルモニタ付きのヘッドギアを外し、細面をあらわにした。刈り上げの髪をかきむしると汗の玉が飛び散った。厳しい顔つきで周囲を見渡し、怒っているように瞳を細める。


「さて……」


 男は遠雷のような音を聞いて、空いている手で高い鼻先を軽くつまんだ。それから指先を引いて鼻水をすすり、周囲を注意深く見た。


 細かい雨の中でAW部隊は動きを止めている。遠雷のような音は後続のバイン・シフが接近してるものだ。


「ここからが正念場だ。アウドミラ……」


 男、アウドミラ・ルゥマスはつぶやいて、雨に隠れた名峰モンブランの方角を見つめた。


 そして、彼を肩に乗せるナイト級AWもまた静かに長い砲身をその方角に向けていた。四脚の下半身と両腕部でもって支える長砲身。背中には後光のように担いだリング状のレドームがある。


 そして、雨にぬれる大きな一つ目のセンサーアイが静かにフォーカスを変える駆動音を鳴らした。

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