~誠実~ 衝突する信念〈前篇〉
響く地鳴りの音が空を渡る。その地響きは梢を震わせて、鳥たちが羽ばたいていく。
「アーデル・ヴァッヘが出てる?」
バイン・アウトーを走らせていた柾は森を出たところで、ブレーキを踏んだ。つんのめるようにしてバイン・アウトーは停車して、静かなモーター音が下腹部に伝わる。
そして、周囲を見渡せばすぐに燦然と輝く銀色の装甲が弾く光が目に飛び込んできた。その光に目を細めつつ、パニアにかけていた単眼鏡を取って筒を引き延ばす。
「あれか……?」
のぞき込めば、先陣を切るナイト級の細部や周りを取り巻くポーン級〔カヴァレリー・ポーン〕の存在を視認する。
「ナイト級の機体……」
柾は望遠鏡を下ろして、苦い顔つきになりながら単眼鏡を畳んだ。
「それにこの方角――」
後ろを一度振り返って、不安げな視線を投げる。〔AW〕の進行方向はちょうど柾と真逆の方角だ。そこには彼女の変えるべき船が今も停泊している。
「嫌な、予感がするっ」
柾は冷や汗を流しながら、下唇を軽く噛んだ。来た道を今戻るべきかと、悩みつつ単眼鏡をパニアにしまう。
戻って間に合うのか。いや、無理だ。すでにバイン・アウトーの足では〔AW〕の歩幅に勝てるものではない。距離もある。騎士団領の方が近い。
柾の逡巡は数秒と必要としなかった。
彼女はすぐに前に向きなおると、クラッチを戻してバイン・アウトーを走らせる。すぐにエンジンの回転数を上げて、ギアを引き上げると機体を疾走させ首筋に手を当てる。アクセサリに触れた瞬間、通信回路が開いた。
「結子、聞こえる?」
「ん。何かよう?」
すぐ隣で囁きかけるように、結子の声が頭に響いた。
柾はハンドルを握り直すと、身体を倒して肌を刺すような風に耐える。
「騎士団が妙な動きをしてる。〔アル・ガイア〕をよこして」
「待って。こっちで確認する」
「急いで」
柾は端的に言って、森の中に飛び込んでなだらかなカーブを体を倒しながら機体を進ませる。風を切る音と木漏れ日が川のせせらぎのように流れていく。
そして、光のまだら模様が映る視界の中に拡張現実モニタが表示されているが、通信欄には結子との回線接続しか確認できない。
「フォノ、どうして通じないの?」
柾は不安げに眉を下げると、小さくつぶやいた。だが、彼女が不安に押しつぶされるよりも早く結子の返答が頭をひっぱたく。
「確認した。すぐに出す」
「結子、あのさ――」
「囮役、何でしょう?」
柾は喉を鳴らして、結子の声に顔がこわばる。
しかし、遠くにいる友人は物おじせずに言う。
「陽動だけなら、あたしだけでもできる」
「二十分――、いいえ」
その時、柾が操るバイン・アウトーは森を抜けた。修道騎士団領の農地が目に飛び込んできた。茶色の冬に備え始めた農地と〔十八番目の城〕の構える丘を流しミス売ると、拡張現実モニタがフォノの所在を視覚情報として投影する。
「十五分、時間を稼いで。なるべく船から離れて、それから修道騎士団領からも」
「ん。でも、どうして騎士団領からも?」
結子はその一点だけが不可解だったらしい。
〔アル・ガイア〕の跳躍力ならば一瞬にして領内へと踏み入ることが出来る。それによる〔AW〕部隊の目を引くことや、柾たちとの合流もすぐにできるはずだ。
しかし、柾の見る景色が情報として、彼女の脳に映った瞬間のその考えは悪手だと気付いた。
「ここはいいところ、だと思うから」
「わかった。早めにしてよ」
「わかってる」
二人の会話はそこで途切れて、それぞれの仕事についた。
「フォノ、聞こえてる?」
今一度柾はフォノへ通信回線を開く。しかし、リアクションはない。あるのは音信不通の通知とその原因告知のみ。その内約も操縦者の精神不安定のため、というのだ。
アクセサリを万能ツールと考えていた柾はそれが先入観であると痛感させられた。
「機械は使う人次第ってこういうの」
自分の信条がこういった形で表れていると思うと、胸はざわめくばかりだ。
音信不通ということは、フォノの身に何かあったということ。その後悔の念が強まって、バイン・アウトーが切る風の根が容赦なく心を切り刻む。
「無事でいてよ、フォノ」
柾はそうつぶやいて、バイン・アウトーをトップギアで走らせた。
* * *
「大丈夫なのね?」
「心配しないで。何度か、動かしたことはあるから」
結子は甲板から投げかけられるミトの声に返事をしつつ、操縦桿とフットペダルの遊びを確かめる。とはいえ、〔アル・ガイア〕の挙動が思うように動かせるという自信はどこにもない。
〔アル・ガイア〕は重々しい足どりで〔エクセンプラール〕の脇に立った。
「それに、一人でもやっていけたんだから大丈夫……」
結子はつぶやいて、各アブソーバーの反応を調整。一人で動かしている。胃がキリキリと痛み出し、細い手足が鉛のように重く感じる。
そんなものは錯覚だと頭を強く振った。
「できるっ」
結子の気勢とともに〔アル・ガイア〕は地面に転がっている汎用機関銃を取ろうと屈み、腕を伸ばす。が、彼女の思惑とは裏腹に距離があわずにそのマニピュレータは空を撫でただけであった。
「やっぱり無理なんじゃないの?」
甲板の縁から見下ろしていたミトはその様子に不安げな声を漏らす。
「やれるっ」
結子はいつになくムキになって、操縦桿を慎重に押し込む。
再び汎用機関銃に鋼の腕が伸びて、今度はセンサが認証をして自動で掴む動作に入った。
「よし」
結子は操縦席で小さく喜びの声を上げる。
「結子、いざとなったらこの艦で迎えにいくからね。二人のこと、頼んだわよ」
ミトも甲板の縁から起きあがる〔アル・ガイア〕の巨躯を見上げながら言った。
止めたところで無駄なことだ。あらましは聞かされていたし、何より三人の力は認めなければならない。
結子はその激励の言葉に励まされ小さくうなづく。
「任せてっ」
そして、〔アル・ガイア〕は汎用機関銃を背中に懸架して歩き出す。
ぎこちない歩行から重々しく駆けだしていく。上体を大きく上下させて走る様はお世辞にも女王級を語られるものではなかった。
その後ろ姿をミトは信じて見送る。
「こっちもやることがあるんだから」
そう自分に言い聞かせると、背を向けて一足遅くれて、駆けつけてきたカーヴァルたちを迎える。
「結子姉ちゃんは? 行っちまったのか?」
「ええ。あなたたちもすぐに船を隠す準備に入りなさい」
「でも――」
カーヴァルは煮えきらない表情で訴えかける。本来なら、〔アル・ガイア〕に搭乗して結子のサポートをする腹積もりであったからだ。
が、そんな子供の浅はかな考えなどミトが認めるはずもない。
「言い訳しない! 騎士団に見つかったら首をはねられるわよ!!」
その一言にぞっとした子供たちは青ざめた顔になると、あわててアイランドの方へ走り出す。
ミトも右足を引きずりながら、精一杯早く移動を開始した。
* * *
鋼色の〔AW〕、〔リッター・ヴァルミナ〕は兜の奥に潜む機械の瞳で地平線を睨んでいた。複数のレンズがせわしなく絞りを調整して、拡大画像を操縦者のゴーグルモニタに投影する。
その鷹よりも遠くを見据え、山羊よりも広い視野を発揮する瞳にかかれば、転々とする森の合間を移動する巨大な陰を見つけるのはたやすかった。
「奴が……」
操縦者のヴァルミナは巨大な陰、〔アル・ガイア〕のお粗末な動きに口元をゆがめながら思案する。
「何が狙いだ?」
「隊長、このままだと領内への侵入を許してしまいます」
と、〔リッター・ヴァルミナ〕の横に一機の〔カヴァレリー・ポーン〕が立つ。
実直な部下である。早々に決着をつけたいといきり立っているのが、声音からも想像できた。
「やれるか?」
「お任せくだされば」
ヴァルミナは逡巡して、一つ息をついた。
「……いいだろう。こちらで支援する。四人つれていけ」
「ありがとうございます」
部下の〔カヴァレリー・ポーン〕はハルバードの刃をたてると、すぐにも移動を開始した。
ヴァルミナもここで手をこまねいていても解決しないことは承知していた。些細な疑心はまだ消えない。それでも藪をつついて蛇を出すことにかけた。
「ジャレ、ボーダ、ヘッシャ、ナバン。ザッドに従え」
指名された〔カヴァレリー・ポーン〕は勇ましく返答をすると、先行するザッドの機体の後を追う。二〇メートル近くある鋼鉄の巨体であっても、彼らの挙動は滑らかで足音も可能な限り抑えている。
「少しは手柄を立てさせなければな。それにまだ、何かあるかもしれんしな……」
ヴァルミナはそんなことを言いながら、部下たちの操る機体の背を見送った。
部下たちの熟練度を信頼するならば、噂の女王級を仕留めるのも夢ではないだろう。
ヴァルミナは自機を下げつつ、砲撃機の横隊と交代する。
「砲撃手。狙いはわかるな?」
「はい。射程距離内にあります」
「よし。あぶり出しだ。やれ」
ヴァルミナの冷徹な指示とともに、砲撃隊にも喝が入る。
森の陰に隠れてひざまずいた姿勢の砲撃機がカノン砲の砲口をあげる。仰角調整、風速確認、諸元入力。カノン砲は揃った角度で構えて狙撃のタイミングを隊長に委ねた。
「一斉射撃。ってぇ!」
砲撃隊を取り仕切る操縦者の雄々しい声が外部スピーカーからこだました。
それを塗りつぶすようにして一斉射撃の爆音が轟く。砲口から黒煙が膨らみ、赤々とした火球が飛び出す。
「――きたっ」
結子は森のむこうに盛り上がる黒い煙から空を切り裂く砲弾へと視線を移す。
ヒュルルルルッ!!
アーチを描いて飛ぶ火球が一挙に〔アル・ガイア〕の周囲に落っこちる。怒濤のごとく降り注ぐ徹甲弾。土塊が暴れまわり、爆風が機体をなぶる。
「うぅ……っ」
真っ赤に染まったモニタに目を細めながら、結子は身体を縮こまらせる。シートを支える支柱が上下左右に激しく揺れて、胃と頭とが激しく振り乱される。
が、陽動はできていると確信できた。
「ここから、十五分は……っ」
痺れる手足に力を込めて、結子は弱音を一度這い上がってくる反吐と共に飲み込む。
砲撃が止んだ一瞬をついて、〔アル・ガイア〕は土ぼこりが立ち込める中を駆けだした。
瞬間、第二派の一発が目の前に着弾。土が砲弾となって黒の装甲を叩く。機体が大きくよろけた。
「もうっ。やることが多いんだから!」
結子は首をすぼめて、悲鳴じみた叫びをあげる。耳の奥がキーンッと嫌な不協和音を残す。
それに混じって警報が聞こえる。矢継ぎ早にポップアップする立体スクリーンがメイン・モニタを埋め尽くす。結子はそれを手で払いのけて視界を確保し、操縦に専念するしかなかった。
いつもは索敵、測定、機体内のアクチュエーター調整など機体の神経の役割を担う彼女が今は手足を動かす仕事を遂行して、なおかつ目と耳がとらえる情報の奔流に揉まれている状況だ。
自然〔アル・ガイア〕の動きも焦りと鈍さが顕著になり、倒れまいと足を後ろに運ぶ動きをする。踏ん張りを利かせることが出来ずにズレた重心に従って動いているに過ぎない。
「あの動きはやれるぞ!」
奮迅するザッドの〔カヴァレリー・ポーン〕はハルバードの斧を前に突き出すと、土煙に紛れて黒い機体へと飛び込んだ。確実に、討ち取れると疑わなかった。
「そこぉっ!」
しかし、結子は煙に紛れる鎧の動きを読み取っていた。ほんの些細な空気の流れと至近距離で響く鋼鉄の足音を鋭敏に察知。まるで肌で感じたかのように繊細な空気の撫でる感触や、地面を揺るがす地鳴りが足裏をしびれさせる感触が彼女を刺激するのだ。
〔アル・ガイア〕は下げた足に踏ん張りをきかせると、おもむろに右腕部を振った。腰のひねりの入った無造作な横凪だ。
ガアァンッ!!
噴煙のカーテン一枚隔てて、ハルバードと右腕部が接触。火花が豪快に咲いて、両機は衝撃に怖気た。
「――っ」
結子は指先から肌が泡立つ感触を覚えて、すぐにフットペダルを切り返す。
後ろに体を倒していた〔アル・ガイア〕は無理に上体を起き上がらせると、バランスを崩して横間から現れた〔カヴァレリー・ポーン〕を睨み付ける。払った拳がそのまま次の予備動作となる。
「こいつは――」
その機体を操るザッドは薄煙の中に輝く四つの眼光と腕を振りかぶるシルエットに頭が真っ白になった。
次の瞬間には、振り子が返ってくるかのように〔アル・ガイア〕の右拳が〔カヴァレリー・ポーン〕の頭部を地面へと叩き込んだ。
幸いというべきか、一撃数十、いや数百トンには達するだろう拳鎚は武骨な頭部を粉砕して機体は遅れるようにして地面へと倒れこんだ。機械の破片が飛び散り、煌びやかな音たて、重々しい鎧からは甲高い不協和音と排熱音を響かせる。
「まず、一機。一機……」
モニタに映る残骸から目を背けると、結子は汗ばむ手で操縦桿を力強く握る。すでに砲撃による煙幕も晴れていき、緑の地面と台地のように盛り上がった森、そして、曲がりくねった街道を視認する。
その光景を阻むようにして左右に立体モニタが出現すると、各アクチュエーターへの出力報告とダンパー圧力調整の警告が現れる。それらを修正している余裕などなく、次に来る敵に備えて行動に移る。
〔アル・ガイア〕は体を起こしつつ、左右に頭をふった。前後左右に一機ずつ。完全に囲まれた状態だ。
修道騎士団の面々は切り込み隊長がやられたくらいでは怯まない。剣の切っ先に迷いはなく、槍の矛先は一心不乱。
ただ脅威を殲滅せんと動いた。
〔カヴァレリー・ポーン〕四機は一斉に突進する。
「く、はぁ――」
結子は熱く乾いた息を吐き捨てると、全身で機体を操縦する。いつもは縮こまって機体の調整に追われる彼女であっても、刃をむけられれば自然、身体は動いてしまうものだ。
操縦席にそれだけのゆとりがあるのも、ひとえに人のアクションを機体に投影させるためでもある。
〔アル・ガイア〕は左腕部を角々しい動きで小脇に構えると、装備されている盾を展開。それも、前後にのみ大きく伸展させたのだ。
これには攻め立てる〔カヴァレリー・ポーン〕も驚愕する。
伸び上った盾は鋭利な矛先と見まごう刺突を前後同時に繰り出して、二機の動きを封じた。〔カヴァレリー・ポーン〕二機は装備している盾でその一撃を受け流しつつも動きを止めてしまう。衝撃は予想以上に操縦者に負担をかけさせた。
「くっのぉおお!」
結子は重たい操縦桿を振り回し、足枷のように硬いフットペダルを踏み込んだ。
元来、一人で操縦する機体ではない。機体の出力ゲージは一瞬にして臨界にまで上り詰め、各関節、システムは過負荷の中で熱量を上げていく。
〔アル・ガイア〕はその熱にうなされたようにぎこちない動きをしながらも、左脚部を軸にして機体を回転させる。最大稼働する冷却装置が各所で白煙を噴射する。
「何だと、これほどの力を――!?」
前後から攻撃しようとした〔カヴァレリー・ポーン〕二機は〔アル・ガイア〕の力に押し負けて横倒しになる。
バァンッ!
風船がはじけ飛んだかのように鋭い金属音。前後の〔カヴァレリー・ポーン〕は立て直しも利かず崩れた。
「何だとっ」
左右から迫っていた二機にも〔アル・ガイア〕の盾が迫る。
伸び上った盾の上を走る太陽の光が流星のように走った。その見事な反射が鮮明に操縦者たちの目に焼き付いた。
が、次の瞬間には横殴りの衝撃が体を貫き、意識が数秒吹き飛んだ。
〔カヴァレリー・ポーン〕二機は迫る一撃に弾き飛ばされ地べたに転がる。
「こいつ……っ」
先陣を切ったザッドは怨嗟のような声を吐きながら、覚醒すると機体を再起動させる。エンジンはまだ死んではいない。口の中で転がる血の味が、彼の闘争心に火をつける。
「この人、まだ――」
結子は足元に倒れている頭なしの〔カヴァレリー・ポーン〕が腕を地面について起き上がる様子を見てぎょっとした。
背筋が凍り付く。
反射的に足を下げた。
〔アル・ガイア〕は前後で起きあがる二機を警戒しつつ、機体を独楽のように回しながら後退する。右に一八〇度回り、左に一八〇度回り。交互に伸びた盾を振り回して、五機の〔カヴァレリー・ポーン〕との間合いを保つ。
「あの動き、妙だな」
ヴァルミナは〔アル・ガイア〕の防戦一方、単調な動きに疑義を膨らませる。
すぐにも前後の機体は起き上がり、攻めてきたというのに伸ばし盾を振り回すばかりで攻勢に転じる気配はなかった。報告では複数の機体を相手にしても大立ち回りが可能である、とされている。
「何て雑な動きをする」
修道騎士団が手をこまねいているはずの黒い機体であるはずなのに、今目の当たりにしている動きはあまりにも幼稚である。先鋒隊は今、焦っている状態にある。だから、攻撃の手は届いていない。
だが、やがては〔カヴァレリー・ポーン〕の操縦者、〔アル・ガイア〕の結子も気づくだろう。
「時間の問題だな」
ヴァルミナは肩の力を抜く。
〔リッター・ヴァルミナ〕もそっぽを向いて周辺の警戒するようにして頭部を動かす。
「各機は左右に展開して、ザッドたちの動きを支援してやれ」
「了解」
砲撃隊はその指示を聞いて、カノン砲を構えつつ左右に部隊をわけていく。実に有機的で柔軟性のある編隊機動はヴァルミナ部隊の強みである。
「しかし、警戒はするべきだな」
ヴァルミナはそうつぶやいて、一度騎士団領のある方へと機体のセンサーアイを向ける。
「何もなければ、いいが……」
ただの直感でしかない。
それでも払拭できない違和感から、ヴァルミナは部下たちとは違うアプローチをこの地域一帯に走らせる。ナイト級の鋭敏なセンサと彼の眼光は広くこの大地を駆け抜けた。
* * *
フォノは後悔の念に苛まれ、自信を失っている。
騎士団の息がかかっている修道士たちはフォノを納屋の奥に閉じこめて、ヴァルミナの帰還を待つことにしたようだ。彼らは実に実直に聖騎士の命令を実行する。ただそれだけのこと。少女に対する不信感とか、同情の念はなかった。
「どうしよう……」
天窓から差し込む光の下で膝を抱え、蹲ることしかできない。
窓は高く、登れるような足場などなかった。鼻につく家畜の糞尿の臭いと、淀んだ空気に肺が重くなる。
それ以上に冷たくのしかかる自責の念。
「神様……。あぁ、神様」
フォノは現実を変えたいと願いながら、その言葉をとつとつとつぶやく。祈願が実現するなどと思ってもいないのに。
膝をぎゅっと抱えても、深く深く自分を責めても、何一つ変わらない。
「わたしは、あの日から何一つ変わってないわ」
深い霧の中で、命と貞操の危機にあった日。いや、あの日のフォノはまだ逃げるという選択肢が残っていた。
幼い頭で必死に考えて、足を動かすという単純明快な解答しかなくとも動くことができていた。
しかし、結局自分だけでは何もできなかった。
そして今は、自分で動くことすらしない体たらく。
同い年の柾に助けられ、そのことに一生甘えてばかりだ。銃を手にしても、一人遠出をしても、切り抜けられる精神力は持ち合わせていなかった。
「ごめんなさい。柾」
嗚咽混じりにフォノは懺悔する。
動かなければ。頭ではそうわかっていても、彼女は待ち続ける。自分に都合のいいアクションがふってくるその時を。
むなしさばかりが募る。動かなければ。でも、動いても何も変わらない。そう思ってしまう。
だって、ここにいるのは何もしようとしない弱虫な女の子が一人いるだけ。
いつもそばにいてくれる心強い友人たちはいない。自分の鼓動までもが静止してしまったかのように、暗く湿った納屋は静寂に包まれている。
その寂しさに少女は震えた。
「これでいいの……?」
こんな自分をフォノ・アインリヒは許せるのか。
フォノはゆっくりと涙で赤くなった瞳をあげて、目に映るものを吟味する。
「このまま何もしないで、ただ待っているだけで、いいの?」
自問する。繰り返し、頭の中でその言葉が反響する。
何もできない状況ではない。腕を広げ、足を伸ばせるではないか。ここには山のように干し草がある。糞を掻き出すための熊手だって目に見えるではないか。
「考えなさい、フォノ。いつも、してることでしょうっ」
フォノは引くついた声で自分に喝を入れる。
思考すること。考えること。それをやめたとき、人はただの石になる。
では、何を考えるだろうか。
そんなことはすでに決心していたはずだ。鼓動がトクンッと弾んだ。
「わたしは、もう足手まといにはなりたくない」
フォノの中で何かがふっと沸き上がる。
怒り。それは、弱い自分に向けられた怒りの感情だ。寂しさに震えていた体は武者震いに変わった。鼓動が早なる。強く、激烈に血を巡らせる。
「よぉしっ」
フォノは立ち上がると、小さくガッツポーズをする。落ち込むのも、逃げるのも終わりにする。
「やれることをやってみるわ」
気合い十分にすぐさま行動に移る。
まず納屋の中にある熊手で干し草を天窓の壁際へと積み上げていく。腕にのしかかる重みなど、気にならない。いつも、していたことだ。
額に汗の弾が浮かぶ。スカートの下が蒸れて熱くなる。
フォノは目の輝きを取り戻すと、汗をぬぐい、スカートのすそを結んで、ひざ上で絞る。そして、再び作業に移る。
やがて、干草は天窓のある壁際に小山のように積み上げられ、なだらかな坂となり、高さ一メートルほどに達した。あと少しで小さな青空に届く。
フォノは熊手を持ちながらその山を登る。とはいえ、足場は軽い干し草だ。いかな小さな女の子でも、体重で沈んでしまう。
「あと、少し……」
フォノは後一歩で届く天窓を見上げ、続いて足下へと視線を落とす。
その手にした熊手の歯を干し草に突き刺し、柄の先を天窓へと掛けた。
「お願いね」
フォノは熊手と干し草に願うようにつぶやくと、意を決して柄にしがみついた。
干し草の山はすぐにも陥没。ずるずると熊手の先も滑り始める。だが、気にしている暇はない。
フォノは素早く腕を伸ばし、柄を上った。
そして、ずるっと熊手が横倒れようとした瞬間に彼女の細い手は天窓の淵に届いた。
壁を撫でるように倒れる熊手を尻目にフォノは天窓に向かって懸垂する。
鉄格子のない小さな窓。それでも、子供一人は通り抜けられるスペースがあった。
「ふぅ……。あっ」
フォノは窓から身を降りだした瞬間、そんな声を上げる。
見下ろした先、バイン・アウトーに跨った柾の姿があったのだ。見上げる彼女の顔も、幻でも見たかのような呆気にとられた表情をしてる。
「柾っ」
フォノが思わず喜びの声を上げる。
しかし、柾は冷や汗を流して口元に人差し指を当てる。静かに、と必死の視線で訴える。
フォノもとっさに口を手のひらで覆ったが、彼女のかわいらしい声はすぐに裏手にいる修道士たちの耳に届いた。
「何事だ? 何をしている!?」
フォノの宙ぶらりんの足下からそんな声が響いた。
「どうしよう……っ」
フォノが困り顔でいう。
対して柾は冷静に周囲を見渡し、首筋に手を当てる。無線は回復しているらしく、フォノのつぶやきも彼女の耳に届いていた。
「飛んで!」
「ええっ!?」
フォノは驚いて素っ頓狂な声を上げた。
目もくらむような高さだ。天窓から体を抜き出したら、そのまま固い地面に頭から落ちてしまう。
だが、迷っている余裕はなかった。
納屋の角から人の駆けつける音、修道士の手が足先をかすめている感触に鳥肌が立つ。
「急いで!」
「もうっ」
フォノはせかされて、体をひねりつつ外に半身をさらけ出す。仰向けの状態で、腹筋を使って淵に腰掛けるようにした。
あとはもう下に向かって落ちるしかない。
「ちゃ、ちゃんと受け止めてよ」
「お姫様みたいに受け止めてあげるから」
柾は冗談なのか、本気なのかわからない迫真の声でいった。
「信じるからね」
「絶対、大丈夫!」
柾はバイン・アウトーを納屋の壁際によせると、ギアをニュートラルに入れて待機。
着地点から修正はできない。
あとは二人の意気込みと信頼で突破するしかない。
フォノは地面で待ち構える柾を見て、一度身体を小さくして胸に十字架をかたどると堅く目とつぶった。
「どうか、ご加護を――」
そして、フォノの体は後ろへと倒れていき、スキューバダイビングをするように背中から落ちていった。
風が体を包んだ。スカートの結び目もほどけて、弄ばれる。
体がすい寄せられる。息が止まり、体は自然胎児のように丸くなっていた。
大丈夫、と心の中で強く念じ続ける。
「――っ」
それは柾も同じである。
フォノのスカートがはためく音、急速に近づいてくる背中にプレッシャーを禁じ得ない。
受け止められるか、という疑問よりも、受け止めて見せるという覚悟が彼女を立ち上がらせる。
ステップの上に立ち、柾は両手を広げて落ちてくるフォノを捉えた。
彼女の広げた腕の中にお姫様が降ってきた。
「ぐっ」
ずっしりと重い感覚が柾の腕の中に走り、体全体を巡り、腰に激痛が走った。その拍子にステップから足を滑らせて、強かにお尻をシートに打ち付ける。
バイン・アウトーの逆間接の足が沈んだ。アブソーバーのピストンが伸縮して、間接に仕込まれているモーターが急速に回転。機械は一転、トランポリンのような柔軟な弾力を発揮する。
「――痛っ」
フォノは機体のフロントにお尻を打ちつけ、苦悶の表情を浮かべる。
そして、すぐに柾の顔をにらんだ。
「もうっ。またお尻を打ったじゃない」
「文句を言ってる暇はないの。後ろに回って」
柾は涙目になりながら苦痛にゆがんだ顔で訴える。そして、柔らかいフォノの体を自由にして機体のスターターに手を伸ばす。
「まったく、柾はいつも強引なんだから」
「そういうのについてきてくれるのは、フォノと結子くらいなんだから感謝してる」
「そんなこと言っても――、ん? これ?」
フォノは柾の後ろに回りながら目を丸くする。
後部のパニアの上に猟銃がくくられていた。それはフォノが今朝持ち出したものだ。
「柾、これ……」
「ん。ここにくる途中で見つけた。フォノのでしょう?」
うん、と小さくつぶやいてフォノは柾の背中に寄り添った。
「ありがとう」
柾は背後について、腰に腕を回すフォノの感触に小さく頷いた。腰に回った腕は細くても力強い。いつも信頼してくれている証拠だ。
「今、結子が騎士団の相手をしてくれてる。すぐに合流するよ」
「うん」
周囲から大声が響きわたる。
それに紛れるようにして、柾はスロットルをひねった。
バイン・アウトーはフライホイールの回転数をあげて、駆け出す準備に入る。まだまだ走れるぞと唸りをあげて、二足歩行の機械は震える。
そして、フォノはくくられている猟銃を手に取り、パニアに手を入れると、指先の感触を頼りに実砲を二、三発つかんだ。
取り出してみてみれば、空砲の弾丸。当たりだ。
「空砲で脅かすから、柾は全速力でとばして」
「わかった」
柾は背後で弾を込めるフォノを一瞥して、正面に向き直る。
そして、彼女たちの目の前に駐在していた騎士たちが壁を作る。彼らも銃を構える姿勢に入っていた。
だが、フォノが猟銃の銃身を畳んだ音を聞いて、迷わずクラッチを入れた。
ドッとバイン・アウトーが大きく踏み出した。
「構えぇ!!」
騎士たちも気勢をあげる。しかし、猛進するバイン・アウトーを前にいかな騎士とて驚きはあった。ほんの些細な揺らぎ。猛獣を相手にしているような錯覚を数人が覚える。
「柾、銃声に驚かないちょうだいね」
「そんなの、わかってるっ」
瞬間、フォノは半身を右に倒して、猟銃を構えた。左腕は柾の胴に巻き付くようにして、それが唯一の支えだ。
間髪入れずに発砲。
バァアアン!!
空砲の大げさな音と硝煙が舞う。
騎士たちも虚を突かれて、思わず体を縮こまらせた。同時に、数人が合図を待たずに発砲をした。
「――っ」
柾は弾丸が空を切る音を聞きながらも、右手のスロットルを緩めなかった。
そして、左手は腰をきつく抱くフォノの腕を掴んで引っ張り上げる。
フォノの第二射が轟く。
騎士団も二度目となれば、それが空砲であることはすぐに見抜いた。しかし、身体が一瞬縮こまる。
その一瞬をついて、バイン・アウトーは一気に加速して肉薄。刹那には、大人たちの石垣を飛び越えていく。
僅かな時間での出来事。
おそらく駆けつけた騎士や修道士たちは一陣の風が吹いたと思っただろう。
しかし、その風は鋼と少女たちが巻き起こす力強い躍進であった。
「悪いけど、一気に飛ばすよ」
「ええ。お願い」
フォノは体勢を立て直すと、柾にしがみついてその背中に安心した。
* * *
結子は汗だくになりながら、右から左へと顔を動かす。
装甲のあちこちに切創と爆傷を負った〔アル・ガイア〕も、弱々しいセンサーアイの発光を見せながらどうにか立っていた。盾も耐久力を失って、今は収納状態だ。
そして、取り囲むは〔カヴァレリー・ポーン〕十数機。三六〇度の包囲陣形だ。カノン砲が息を殺して狙いを定める。十数の刃は切っ先を煌めかせて突撃の機会を計る。
結子は引き攣る喉で暑く乾いた息を短く吐き出す。
「…………っ」
続いて、息を止め、操縦桿を握る手に力を込める。
結子は正面に表示したタイマーの経過時間を一瞥する。稼働から一〇分。柾たちからの連絡はまだない。
「あと、五分。まだ、できる」
結子は自分に言い聞かせた。
いつも以上の体力の消費に頭がぼんやりし始める。それでも、彼女は柾とフォノを責める気持ちはなかった。
今この場で踏みとどまらなければいけない。七年前の負い目もある。誠実でいたいという欲望もある。
だが、何より今を守りたいと願う。
〔アル・ガイア〕も傷だらけの四肢に力を蓄えて構える。
その覇気を感じ取ったかのように、〔カヴァレリー・ポーン〕部隊の得物がぴたりと静止する。狙いを正確に定めて、討つことを決めた瞬間だ。
結子もそれに応じて、迎撃準備に入ろうとした。
が、そこで気がついた。周囲を埋め尽くす立体スクリーンの数で今まで気づかなかった。
「別動部隊……?」
結子が勘ぐった瞬間、後方で待機していたナイト級〔AW〕、〔リッター・ヴァルミナ〕が動いた。
その機体はあろうことか、〔アル・ガイア〕に背を向けたのだ。
「時間切れだ。白兵機、俺についてこい」
その指令に部下たちからも困惑の声があがる。
聴覚センサが拾った相手の大将の指示は結子にも意外なものであった。
「何故です?」
「領内に向かっている奴らがいる。こいつは囮だ」
「手薄になった領内を崩すつもりだったのか」
「そういう作戦にはまっちまったんだ」
それをきいて、〔カヴァレリー・ポーン〕白兵戦機はすぐさま〔リッター・ヴァルミナ〕に追随する。
「違う! そんなの知らないっ」
結子はここまで保っていた緊張がヴァルミナの発言で緩んでしまう。
領内に向かっている存在と自分たちは関係ない。そう主張したかった。
そして、不用意に〔アル・ガイア〕が一歩踏み込んだ瞬間、カノン砲が一斉に火を噴いた。
「あ――っ」
結子の目の前が真っ赤に燃え上がる。
〔アル・ガイア〕は一瞬して爆炎にのまれ、黒煙につぶされてしまう。
砲撃部隊も仕留めたかどうかを確認するよりも早く、引き返す部隊との合流を先決する。
着弾地点では濛々と黒煙が上がり、弱々しい火が燃えていた。




