ACT1. ⑦ー1 覚えていてね 覚えていてね
「ニル。やはりきみがわたしの『父上』……」
「ではないな」
「えー? じゃあ、『父上』より命を受けて天外より降臨せしわたしのメシア……」
「でもないな」
「ええー? じゃあじゃあ、罪のない窓といたいけな性癖をバッキボキにへし折るのが趣味なだけの不思議大好き気まぐれキュートなわたしのPUPPY&KITTY……」
「本当にやかましいな君は」
ここは魔術塔。
深淵を覗く真の理、その幻影に魅せられた者が行き着く先。
記録上の世界の起源より続く由緒正しき国営魔術機関であり、明日どころか今日の行方さえ定かでないセントラル=テアトルにおいては、非常に珍しく安定した就職先と言える。
国内屈指の競争率を誇るこの場所に身を置くのは相対的に気のいい者ばかりであるが、正気な者もまたちょっといない。
「前提として、君という『父上』は男ではない。
『世界の意思』を介入者と定義した場合、そいつは一応、女のみてくれをしている」
「嘘、母上だったの!?」
「やめておけ、あの女に親なぞ務まるものか。
……友情を重んじることを除けば、極めて自分本位で無責任な女だ。
君の希望を摘み取るようで恐縮だが、あれに期待するのはよした方がいい」
「いいよいいよ。なんかもう色々へし折られた後だからサ。
いっそひと思いにKill me Tell me Love kiss me──ってね。ハハッ」
「いっそ前歯もへし折るか。ははっ」
「グェーーッ!?」
そんな魔術塔の最高権力者こそ、この男。
少年に胸ぐらを掴まれ降伏のポーズをとる起源の魔術師、パテラ・グースその人である。
先ほどから軽口を叩いては目線で刺され、茶化してはスコンと頭をはたかれながら、ヘラヘラと笑っている。
流石は名目上のトップ。威厳がどこにも見当たらない。
少年が少女だった頃には顕在だった「格好つけたがり」も、すっかり鳴りを潜めている。
ニルとパテラは現在、巨大な繭玉をハンモック代わりに、人ひとり分の距離を空けて横並びになっていた。
少年は掴んでいた襟を離し、再び仰向けに転がると明るい空でも一際輝く星々たちを瞳に映した。星見にあたり、面布は外してしまったようだ。そもそも隣の男には顔も瞳も見られているので、今さら不要と判断したのかもしれない。
その男はといえば、最初は久方ぶりに拝む空を物珍しそうに眺めていたものの、早々に飽きて今は少年の睫毛の数なんかを数えている。あ、今瞬きした。
いやはや、それにしても。
おふたりとも、この短時間で随分とまあ仲がよろしくなったようで。
それにしても、少年自身が提唱していた傍観者の鉄則とやらは、一体どこへいってしまったのだろう。
「……話を戻そう」
少年は空に視線を固定したまま、腹に乗せたギギの頭をぽんと撫でた。
「君のいう『世界の意思』である彼女には、それはもう色々と世話になっていてな。
僕にかかった男女転換の呪いも、魔女からのありがたい餞別というやつだ」
語る内容はいたって普通だが、抑揚の付け方にこれでもかというほどの嫌味が籠っていた。
それだけで、少年と魔女の関係性を言外に察させるには十分だったのだろう。
男は頭の中の『母上』に、「愛想はないが基本温厚なニルから負の感情をモロに向けられるやべぇ奴」のラベルをペタリと貼った。あな恐ろしや、一体どんな人格破綻者なんだ。
「なるほど。ニルは元々男の子だったけど、母上のせいで夜の間だけ女の子になる身体にされちゃったってことね」
男は上体を起こし、寝そべる少年の全身を今一度よく観察した。
少女形態と比べてみると、衣服の違いは言うまでもなく、からだつきや顔の雰囲気もわずかに変化していることがわかる。
「ああ。その認識で間違いな、……ん?」
「OK、OK。親の尻拭いも子の務め。
ニル、女の子になってる間なにか困ったことはない?
筋力や持久力が落ちる他にも、身体が冷えやすくなったり、体調や気分を崩しやすくなったりとか。いくら魔術を使えるからと言って、落差からくる日頃の些細な不便がなくなるわけじゃないだろ。
それに一人旅の中じゃ、きっと夜安心して寝るのにも苦労したよね。あの繭玉半分使って、今すぐきみだけの巣を整えないと。ああ、その歳頃だとじきに月のものが──」
「待て待て待て」
「──むぐ」
少年は慌てて身を起こした。虚空からニュッと棒付き飴を取り出し、一見穏やかなまま妙に勢いづいて言葉を並べ立てる男の口に突っ込んで黙らせる。
突然口を塞がれた男は目を白黒させたまま棒を手で支え、パリッと鋭い歯で薄いべっ甲色の塊を噛み砕いた。
このままではあっという間に食べ終えてしまいそうだ。
少年はまるで大きな図体をした子どもによく言い聞かせるように、声音をわずかに低くした。
「いいかい、君。先にはっきりと言っておくが。
僕にとってきみは、この世界の住人であると同時に、知人の息子。
あの魔女が、知人の息子である僕に最低限の配慮を見せるから、僕もそれにならっているだけだ。
一般常識の分野において、彼女にできて僕にできないことなど、あってはならないからな」
「……きみにもお母さんがいるんだ?」
「もちろんだとも」
短く答えた少年に、男は軽く首を捻った。
一瞬垣間見えた少年の表情に、どこか見覚えがあったのだ。
しかし、その些細な違和感の正体にたどり着く前に、咳払いの音が男の意識を現実に引き戻す。
「つまり君、僕のことは親戚のおじさん……あるいはおばさんのようなものだと思ってくれたまえ。
もちろん、僕の事情に関する心配は一切不要だ。
そもそも君が彼女の不始末に翻弄される必要は、これっぽっちもないのだから」
「えーーーー?」
「えーじゃない」
男は不服そうに口を尖らせた。
別に、男だって、相手が『母上』だろうが『父上』だろうが、創造主のケツを好き好んで拭いたい訳じゃない。本来なら、そんな面倒は願い下げである。
だって、そうだろう。男が待ち望んでいたのは『ソレ』から与えられた役割からの解放であり、少年の口から恩恵など期待できないと明言された以上、なにかをしてやる義理もない。
男は皮肉にも人間らしく、自分を助けてくれない存在には非常にドライであった。
今の男にとって重要なのは、『母上』という存在が、この少年と──はるばる世界の外からやってきたニルと、今この瞬間自分の傍で言葉を交わしてくれるニルと、繋がる理由になりうるという事実のみ。
男はモノクルのブリッジを指で押してカチャリと鳴らし、少年の理屈に対して極めてロジカルな反論を試みる。
「異議あり!
だって、きみのお母さんとわたしの母上は知り合いなんだろう? つまりママ友じゃん。
ならわたしと君は子ども同士のマブダチであるべきじゃん」
「残念ながら、青尻坊やとマブになる趣味はないんでな。他を当たれ」
「ニルはこの世界に来たばかりだよね?
なら外でどんなに歳を食っていようと、ここではわたしの方が先輩だもんね〜」
そう言って男は隣に手を伸ばし、小さな頭を撫でた。
そう、そうなのだ。
少年が何を言おうと、この世界では男の方が先輩というのは揺るぎない事実。
そもそもの話、この不思議な少年の過去──世界の外で誰と肩を並べ、笑い合い、なにを分かちあってきたのかを男に知る術はない。
それが当然。それでいいのだ。
大切なのは、今このとき、この場で共に過ごす時間こそ。
未来のことなど、お話にもならない。
男は生まれ落ちたときから知っている。この世界に用意された筋書きは二つだけ。
そのどちらをとっても、ロクでもないものなのだから。
男はヘラリと笑った。
少年の瞳に反射したもう一人の男が、つられて下手くそに笑う。
ふと、顔に痛みが走ったような気がして、顔に手を当てた。
そういえば、こうして笑うだなんて、いつぶりだろうか。
……あれ?
どうして笑えなくなったんだっけな。
埃をかぶった過去の記憶を辿っていく。
そういえば昔は、この世界を知れば知るほど、男もいっちょまえに苦しんでいたものだ。
いつしか彼は、諦念なしにはこの世界を捉えることができなくなっていた。
まがいものなのだ、なにもかも。この世界のものはすべて。
でなければ、どうしてあんな所業が許されよう。
どうせまがいものならせめて、世界の末路など知るべくもない、ひとりの人間として生まれたかったものだ。
感じるまま、心の動くままに誰かの隣で生きられる、ちっぽけな人間に。
けれど、と男は思う。
今日、はじめて長生きでよかったと思えた。
まがいものではない本物と、外の世界からやってきたこの子と出会えたのだから。
本物になりたいなど身の丈に合わないことは望まない。
男はただ、ニルととびきり仲良くなりたかったのだ。
そのためなら、どんな対価も惜しまず払おうと思えるほどに。
「この世界にやってきて、こうしてわたしの目の前にいる以上、きみにはこの世界で生きる意思がある。そうだろ」
「その通りだとも」
「なら、たぶん、古株のわたしは結構役に立つと思うんだ。
実際、それを期待して、きみもわたしになにか訊くつもりだったんだろ? ……あれ、そう言ってたよね……?」
男は尻すぼみになりながらも、己の価値をアピールするように大きく翼を打った。
ついでに男の意識の外で動く翼がブワリと広がり少年を囲うと、羽の中に閉じ込める。
思わずよろめいた少年の手首を引いて、膝の上まで誘導する。
どうしてか、少年が連れ歩いているぬいぐるみが、非難めいた視線を寄越したような気がした。
豊かな羽に埋もれながら、少年は首を捻って後ろの男の顔を見上げた。
「そうだな。
まさか魔術塔の長が、あの女そっくりのよく空回る舌の持ち主だとは思わなかったが」
「……ならこれから先、精々わたしを役立ててくれ。
魔術師の祖として、腐るほどもらった肩書きも名誉も権限も、使えるものは全部使っていいよ。まぁ、随分と長い間隠居していたから、どれほど影響力が残っているかはわかんないけどね。
その代わりに……そうだなぁ」
男は考えた。
この子の中にある知人の息子という距離を、どうしたら少しでも縮めることができるのだろうと。
もしかしたら、他の者……魔女と一切関わりを持たない人間と比べたら、これでも近い方なのかもしれないが。
それでも足りない。男は今が続く限り、この子と共に生きてみたいのだ。
そして、生きるというのはきっと、互いが互いを気にかけるということだろう。
であるならば──
「──きみのことを心配する権利をくれよ。友達になろうとは言わないからさ。
この対等な取引を、まさか歳の差で拒んだりはしないだろ?」
そう言って、男は薄く微笑んだ。
心配は不要だ、なんて言っていたが。おそらくこの子なら、心配されていることを知っていて、それを完全に無視するようなことはしないだろうと思ったのだ。
気にかけて、気にかけられての繰り返しを重ねていけば、それがきっと互いに手を取りあって生きていくことに繋がるはずだ。
……総じて。彼は、重い男であった。
背負っているもの然り、相手に望むもの然り、自分が託すもの然り。
男が少年に向けるそれは、少なくとも、出会って間もない相手に送るのにふさわしいものとは言いがたい。
とはいえ、男の提案は、少年の立場を考えればむしろ願ったり叶ったりではないだろうか。
いずれ悪として大成するため、使えるものは多いに越したことはない。
悪役を演じるにあたり、立場やら権力やらを自分だけの力で一から築かなければならない、なんて規則はないのだから、もらえるものはもらっておいた方がいいように思える。
果たして少年は、男の提案にどのように返すのか。
「──」
……少年は答えない。
もしかしたら、この魔術師の有する価値がどれほどのものか検討しているのかもしれない。
先ほどから黙りこくっている少年の顔を見ればきっと、深遠な思索を巡らせていることは一目瞭ぜ──
「────っ!?」
──訂正。
普通にショックを受けているだけだった。
薄い唇がわななき、生え揃った睫毛はやたらパチパチと瞬きを繰り返す。
「ええッ!?冗談だろ君バカなのか?」を言葉にせずとも顔面で雄弁に物語っている。
すんでのところで何度も言葉を飲み込んだ少年は、やけにもったいぶった仕草で身体ごと男に向き直った。
その顔に若干引き攣っているように見える笑みを浮かべ、やけに大きな身振り手振りで男相手になにやら力説し始める。
「その、なんだ。
せっかく取引するんだ。率直にいえば、他者の存在ありきの不確実なものより、対価としてもっと相応しいものがある、と、思うんだが。
例えば僕は、君の知らない魔術をごまんと知っているんだ。
つまり、君。
……力が、欲しくないか?」
なんてチープな台詞だ。
別にこんなところで悪役ノルマを回収しなくてもいいんじゃないだろうか。
「ちから?」
「ほら、使ってみたいだろう?
転移とか! 必中無効とか! 星の魔術とか! 星の魔術とか!!星の魔──」
なるほど。
この少年、単に、パテラという才能ある魔術師に、愛する星の魔術を教えたかっただけのようだ。
私利私欲に全力投球のようでなにより。
対価の別の選択肢として、魔術の伝授を挙げて熱く語る少年だったが、男の反応はいまひとつのようだ。
「いやぁ。ぶっちゃけわたし魔術そこまで好きじゃないし」
「ええッ!?」
「ええそうですとも。
自分がなにか出来るようになるとかよりも、きみの繋がりをひとつでも増やす方が、今のわたしにとっては大切かなぁ」
そう言うと、男は少年を正面から抱きしめた。
あたたかい。服越しに伝わってくる子ども体温が、男の冷えきった身体を心の臓から指の先まで行き渡る。少年がなぜそこまで魔術にこだわるのかはわからないが、珍しく隙を見せているうちにもっとくっついてしまおう。
男がさらなるぬくもりを求めて狭い肩に顔を埋める。しばらくすると、落ち着きを取り戻した声が降ってきた。
「よくわかった。前言撤回だ」
弾かれたように顔を上げる。
少年はするりと拘束を抜けると、一歩離れたところに立って男に手を差し出した。
「君、僕と友達になってくれないか」
「──! 本当に──」
「ただし条件がある」
「持ちかけた側から提示することある??」
「友人になるのは、僕がこの世界で死んだ後での話だ」
よいしょと立ち上がろうとしていた男がピタリと動きを止める。その顔に浮かぶのは、困惑半分混乱半分といったところだろう。
少年は自ら男に歩み寄ると、男の顔を覗き込んだ。差し出していた手を裏返し、男の肩を叩く。
「パテラ。君は魔法使いになれ。
『獣狩りの夜』にあの魔女を殺し、君自身の翼で世界の垣根を超えてみせるんだ」




