第42話 再会
和史が碧伊に再会したのは、メープルホテルの庭だった。
その日は、会合で昼食会に参加する予定があった。
今日は、婚約者となった遥佳も、ホテルを手伝うと言っていたから、顔を合わせるだろう。
いつものように、駐車場に車を停めて庭の方へ歩いてゆくと、大きなもみじの樹々の葉が、朱や茜に染まったメープルホテルのガーデンで、いつもより沢山の人々が、テーブル席に着いていたり、散策したりして、秋の庭を楽しんでいた。
それぞれのグループで、テーブルの周りに集い、秋の庭の中で、お茶の時間を楽しんでいる。
秋の日差しのもと、色づいた紅葉の枝が人々の上に、日陰を作り、木漏れ日がきらめいている。
ホテルのアプローチに向かって歩いていると、赤い紅葉のガーデンのテーブル席に、一際目立つ若い女性が端然と座って、こちらに何となく視線を向けている。
黒い縁取りのベージュのコート、洗練された美しい姿で、彼女は座っていた。
《碧伊……!》
遠目にも、すぐにわかった。
足早に近づいてゆく。
碧伊も、誰だかわからないままに、こちらを見つめている感じだ。
そうだ、面変わりしていると、昔の知人に言われたな、と思い出す。
近づいて、
「碧伊!」
と、言った。
「和史……君」
碧伊は目を大きく見開いて、言った。
そして驚きながら、立ち上がった。
「碧伊、元気そうだ。結婚して、遠方にいるって聞いてる」
碧伊は、以前より、穏やかな美しさで、顔色もいい。
彼女は、幸福なんだ。
それがよくわかる。
「うん。和史君、帰って来てたのね、良かった。全然知らなくてごめんね」
「シベリアに抑留されてた」
「だから……帰れなかったんだ。大変だったのね。でも、必ず無事で帰って来るって思ってた」
「左手に後遺症が残ってるけど、元気だよ」
「和史君、感じも変わってて、すぐにはわからなかった」
和史は背広姿で、学生の頃とは全く違う雰囲気だ。
「僕達、二人共もう、大人だよ」
顔を見合わせて笑った。
時を経ているのに、ずっと会っていなかったのに、昨日まで会っていたようだ。
少し話しただけで、全て分かち合える、空気が溶けてゆく。話し始めると、尽きないのもわかっている。
昼食どきで、人々が入れ替わり流れてゆく。
周りの人々が、ふと足を止めて、碧伊に目を向けていた。
でも、今の彼女は堂々として、輝いていると、和史は思った。
何処か不安気だった碧伊は、自分のあるべき場所を見つけたのだろう。
「今日は、こちらに帰郷したの?」
「うん。法事があって。そういう時、ここへよく泊まるの。実家は兄が戻ってきてるし、ここの方が気楽だから」
「そうだね。僕はいま、父の会社にいる。今日は、会合がここであるので来てるんだ」
「私は今日、名古屋に帰るの。フロントに預けてある荷物を取りに行くわ」
「だったら、とりあえず中に入ろう」
碧伊を振り返る人ばかりでなく、和史の顔見知りもいる。
今日の会合仲間の人が、挨拶をしたり、話しかけたそうにしている。
二人を取り巻く環境も変わっている。
横を歩く碧伊を見つつ、碧伊は背が高かったな、と思い出した。
シベリアからもっと早く帰還していれば、抑留されなければ、早く戻って来て、碧伊と今日のように話をできていたのだろう。
今日の偶然があったからこそ、お互いの今を知り合えた。
ホールに入ると、水島の会合参加者が、早速話しかけてきた。
その間に、碧伊はフロントへ向かい、預けていた荷物を受け取っている。
フロントの向こうには、遥佳がいた。
遥佳は、急いで碧伊のところへやって来て、笑顔で、丁寧にお辞儀をしている。
碧伊も笑顔で話している。
二人は、ホテル側と客以上の顔見知りだったのだろうか。
それから、遥佳がこちらを見て、和史に気付く。
今日は、水島が参加する会合があることも知っている。
和史が、二人の方へ行きかけると、遥佳がにっこり笑って、そばに来て言った。
「あ、あの碧伊さん、実は私も婚約したんです」
遥佳は碧伊に和史を紹介しようとしているようだ。
「こちら、私の婚約者、水島和史さんです」
彼女は、恥ずかしそう笑って、碧伊に紹介した。
碧伊は、とても、びっくりしたようだ。
和史と遥佳を交互に凝視めた。
「それから、こちらは茶道の先輩の……」
今度は碧伊のことを紹介しようとしかけた遥佳に、和史は優しく笑って遮った。
「遥佳、知ってる……。碧伊さんと僕は、同級生で幼馴染みなんだ。さっき庭で偶然会って、びっくりしたところだ」
「え? そうなんですか。」
今度は、遥佳がびっくりして、キョトンとして水島と碧伊をかわるがわる見た。
「今日は本当に、偶然にも和史君に会えて、元気で、遥佳さんと婚約していて驚いたけれど、おめでとうございます。
和史君、幸せね、良かった」
碧伊が二人に美しく微笑みかけた。
そして、もう出発するからと言って、二人に挨拶をして、出口の方へ歩いて行く。
遥佳と水島は、その後ろ姿を見送っていた。
水島は、すでに昼食会が始まっていたが、またしばらくは会えないであろう、碧伊の姿に、すぐに立ち去る気にはなれなかった。
そして、出口の方へ行きかけていた碧伊だが、一旦立ち止まると、踵を返して二人の方へ戻ってきた。
碧伊は、
「あの、遥佳さん。〇〇先生にも、もしお稽古で会われたらよろしくお伝えください。なかなかご挨拶に行けないので」
微笑しながら言った。
「じゃあ、また……ね」
碧伊はゆっくりと言った。
水島も、
「また……」
と、言った。
最後に視線が合った碧伊は、あの頃の碧伊だ……と和史は思った。
今度は本当に、彼女は玄関の向こうへ消えて行った。
「碧伊さん、茶道で先輩だったのですけれど、相変わらずというか、ますます綺麗……」
と、遥佳が感心したように言った。
「じゃあ、僕は会食に行くから。また後で」
水島は、そう遥佳に言って、ホールの階段を上がって行った。
2階に上がると、今日会合がある部屋の扉が開いていて、従業員が出入りしていた。
「遅くなってすみません」
「やあ、先に始めているよ」
水島は、案内係から、窓のそばの席に案内された。
席に着いた。食事をしながらの会合だ。
窓外を見ると、そこは洋館の正面にあたるので、ゲートの方へ通ずる道や、さっきのテーブルのある庭が、2階まで届くもみじの木々の間から見えた。
そしてゲート近くの車寄せでタクシーを待っている、碧伊の姿も見える。
ベージュのコートに、バッグとスーツケースを持っている。
間もなくタクシーが到着し、ドアが開く。
碧伊は一度だけ、建物の方を振り返り、静かに乗り込んだ。
車は、ゆっくりと門の方へ動き出す。
周りの音も消えたかのように、彼女の乗り込んだタクシーを、和史は見ていた。
カトラリーを手にし、隣の席の参加者の話に適当に相槌を打ちつつ、その車が、ゲートへ続く木立の中の道へ消えてゆくまで、和史は見送った。
明日が最終話になります。




