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土塀の町でわたしは兄の親友に恋をした。凍る国からの帰還兵はメープルホテルで出会う。  作者: レモン


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第27話  煙草の煙 2

「隼人、だいぶ調子が良くなったそうじゃないか。そろそろ、こっちへ帰って来ないか」


隼人が父親からその連絡を受け取ったのは、それからしばらくしてのことだった。


父は叔父から、隼人の様子を定期的に聞いているらしい。

その父から、郷里近くのS市にある企業への就職話を持ちかけられた。

父の友人が役員を務めている会社で、叔父の今の会社とも関わりのある、いわば親会社にあたる企業だという。


「ここでずっと働いてくれても良いが」


以前、叔父はそう言ってくれていた。

戦争で幹部だった者たちが不明になり、人手に困っている事情もあったのだろう。

それでも隼人は、そろそろ別の環境に身を置く時期なのかもしれないと感じていた。


復員後初めての列車に乗り、土塀の街に着いた。

しかし、地元に戻ってきたという感傷も、感慨も持つことができない。

破壊から逃れたその町は、以前と変わらず、練塀と緑の樹々が外界から隔絶するように、静かに時や記憶を封じ込めたまま、そこにある。


進駐軍の人々も、町の人々も、何事もなかったかのように陽射しの中、穏やかに歩いている。

ここだけ、別世界のように。


隼人の外見は、元気そうに見えたので、両親はほっとしていた。


しかし、故郷や家族を目にしても、懐かしがったり、喜んだりする気にはまだなれない。

顔見知りの誰にも会いたいとは思えなかった。

整然とした寺の佇まいも、何故か落ち着かない。


用事だけ済ませると、すぐにまだ在職している、神戸の職場に戻っていった。


今度移るS市は、隣町で近いとはいえ、大都市で、そこに今までと同じように単身で住む予定にしている。地元と関わることもないだろう。


神戸に戻った隼人の家に、店が休みでやって来た加奈は、


「何となく、いつか隼人は去って行く、って気がしてた。ここは、とりあえず居る場所って感じだもの」


と言った。


「ほんと淋しくなるけど…」


そう言っていた。


「いいわね、別に郷里があるって。羨ましい。その辺は行ったことがないから、行ってみたいなあ」


店のカウンターで、加奈の姉も言った。


「いいとこらしいな」


マスターも言った。


「今度帰る時、皆で一緒に行くか?」


隼人は半分冗談で言った。


郷里に完全に戻る前に、もう一度、準備のため帰郷する予定にしていたが、それはすぐ済む用事なので、連れが居ても構わない。


「慰労会ということで、皆で行こうか」


マスターが、本当に皆で一緒に行くと言い始めたので、少し驚く。


加奈も姉も喜び、マスターと加奈姉妹、隼人と4人で行くことになった。


「客から聞いたんだが、メープルホテルというのが出来たらしいね」


その後、予定を立てたマスターが言った。


「それは知らなかった」


そこで一泊し、翌日はまた別の観光地で温泉旅館に泊まることなどを、間も無くマスターは加奈や姉たちと決めていた。


隼人は、1日目は、1人で用件を済ませる予定で、その間、あとの3人は史跡など町を観光して、用事が済み次第合流するつもりだったが、加奈は隼人に同行すると言って付いてきた。


隼人は用事を済ませたあと、マスターたちと待ち合わせているメ一プルホテルへ車で行く途中だったが、ちょうど車は、土塀の町に入っていた。


「学校時代は、この辺で過ごしたんだ」


「ふうん、この辺が、隼人の郷里の町なのね。すごく風情があって、いいじゃない」


加奈が、窓外を眺めながら、感心したように言った。


「一度火事で、町の中心部が全焼して、新しく造り変えられたと言ってた」


それから、二人の乗った車は、ちょうど門前町の大通りにさしかかっていた。


「ちょっと、そこで車を止めてくれないか」


大通り沿いにある建物を見たとき、隼人は、タクシーの運転手にそう言った。

そして少しの間、待っていてくれるように頼んだ。


車が止まったのは、立派な和風の、雰囲気と品格のある店舗の前だ。


《さくら茶舗》という看板が入り口にかかっている。


大火と、その後の復旧のことは知っていたが、新しくなったさくら茶舗を目にしたのは初めてだ。


陸からは、何度か、便りをもらっていて、いつかは会うかもしれなかったが、さしあたって会う気はなかった。


でもこの日、通りがかりに急に立ち寄る気になったのは、この先の予定が決まり、加奈やマスターたちとの旅行で、気持ちに余裕があったからかもしれない。

そして、ちょっと立ち寄るだけの時間しかないということが、気持ちを楽にさせていたのかもしれない。


「学校時代から仲の良い友だちの店なんで、顔だけ出してくる」


車を待たせておいて、隼人は《さくら茶舗》の前で降りた。


加奈も、


「じゃあ、私は待ってる間、外で一服するわ」


と、隼人の後に続いて車を降りた。


隼人は、以前とはすっかり変わった店の暖簾をくぐって店内に入ると、上品なお茶の香りがした。

中は広くなって、障子を透過した光のような、柔らかい明るさの中、和風で格調高くしつらえた雰囲気の、心地よい空間が広がっていた。


「すごく変わったな。陸が考えたのか」


隼人は思った。


「いらっしゃいませ」


と、控え目な声がした。

声の方を見ると、ほのかな明るさの中で、若い娘が頭を下げる。


白っぽいブラウスに、さらさらした長い髪、優しい真摯な目がこちらを見た。


隼人は、一瞬、その娘が誰だかわからなかった。

彼女も、少し首を傾げて見ているようだ。


でも、ここにいるということは……。


《美夜?》


「もしかして、お前、美夜?」


彼女も、


「あっ」


と、小さく言って、目を見開き、隼人を見つめた。


「大きくなったなあ」


思わずそう言いながら、隼人は、自分でもふっと可笑しく思った。


「隼人くん・・・?」


すっかり、若い女性らしくなった友人の妹は、びっくりしたように、立ちすくんでいる。

背が伸びて、大人っぽくなったが、紛れもなく美夜だ。


「久しぶり、元気だったか? 陸はいる?」


「うん。呼んでくる」


美夜は、慌てた様子で、奥へ行った。

その後ろ姿は、かつて隼人が知っていた、中学生の美夜ではない。


奥から出てきた陸は、以前とあまり変わっていない。

もともと、少し童顔というか、この兄妹は、二人とも、年齢より若く見えていたのを思い出す。


「隼人」


と 陸もずいぶん驚いている。でも、喜んでいるのがわかる。


「また、急だな。」


そして、


「奥へ上がらないか?」


と誘われた。


「いや、いい。今日は顔を見に来ただけだから。まだ用事があるし、車を待たせてる」


「それより、陸、除隊したんだろ。具合は?」


隼人は尋ねた。


「見ての通り、良くなった。隼人は今どこに?」


「まだ神戸。でも、今度こっちで仕事が決まったし、戻る。」


「そうか。ゆっくり話したいのに残念だな。今日は、家へ帰るのか?」


「いや、メープルホテルってのが、できたんだろ? 今回は連れがあるし、そこへ泊まるんだ。」


「そうか、また、こっちへ帰って来たら会おう。」


陸は嬉しそうに言った。


外には、車を待たせてある。


「またな」


と言って、隼人は店の外に出た。


外には、壁にもたれて、通りを見ながら一服していた加奈がいた。


「隼人、終わったの?」


加奈はそう言って、車の方へ戻って来た。


「ああ、行こう」


隼人は、加奈とともに、再び車に乗りこんだ。


陸と美夜が、店の外まで、見送りに出て来ている。


隼人は言い訳のように、こちらに完全に戻って来たら、また、彼らと会うこともあるだろうと自分に言い聞かせ、何年かぶりの、利発で清廉に美しく成長した美夜の姿も、脳裏から追い払った。

彼は、美夜の方を振り返ることができなかった。


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