第24話 婚 約
そこは、かつて日本に存在した、最も美しく激動の「異世界」だった。
お茶の香りと、西洋の風と、十五年だけ存在した幻のホテル
びわ色の土塀が続く古い城下町。木立に囲まれた螺旋階段の洋館「メープルホテル」。
「兄の親友」へのひたむきな想いを抱えた少女時代。
凍る大地からの帰還兵を待っていたのは、戦後の光を放つ「メープルホテル」と、変わった故郷、そしてずっと変わらぬびわ色の道だった。
誰を愛し、誰と生き、誰を永遠の記憶に刻むのか。
ここから、色々クライマックスになってきますので、よろしくお願いします。
水島家では、家族が久しぶりに揃って、午後のお茶を飲んでいた。
「とにかく、先方のお嬢さんが、ずっと泣いてるんですって」
夫人が夫と息子に話している。
近くに嫁いでいる姉も遊びに来ていて、水島家のダイニングで、母がお茶を淹れている。
「はあ・・・」
「そう言っても、仕方ないな。見合いというのは、どちらかが断ることもあるわけだし。それは、お互い様。どうしても、一度会ってみてほしい、と言われたから顔を立てて会ったのだから」
夫が言っている。
水島は、父の言ったように、どうしても一度会ってほしいと、父の知人に頼まれて、その娘に会った。
会いもせずに断るなんて、と散々言われたのだ。
ちょうど、メープルホテルでコース料理と弦楽四重奏のコンサートの券を、いつものように、遥佳に勧められて購入していた。
家族を連れて食事がてらに行けば良いと思っていたが、ちょうど良い機会でもあったので、その女性を招待することにした。
彼女は、水島家より大きな会社のご令嬢であり、真面目そうな娘さんだった。緊張しているのか、口数も少なく、とてもではないが、楽しそうには見えなかった。
水島は、一度会いたいと言われたとはいえ、本人の意思ではなく、このご令嬢も親から言われ、仕方なく自分と会っているのだろう、気の毒だと思っていた。
せめて演奏を聴きながら、食事を楽しんで帰ってもらおうと考えていたくらいだった。
だから自分と居て、何が楽しかったのか、水島にはさっぱりわからなかった。
「そのお嬢さんが言うには、あなたの前で最初は緊張して、話も弾まなかったけれど、終わり頃には、あなたが楽しそうだったので、うまくゆくのかと思って喜んでたんですって」
「え? ・・自分では気づかなかったな」
水島は、終わり頃、遥佳がデザートを持ってきた時のことを思い出していた。
「でもあなたが、こんなにモテるなんて知らなかった。だって、学生時代はそんな話なかったじゃないの」
夫人が言った。
「だって、ずっと、麗しの天女様が、そばにいたもの。他の女の子は、気遅れしてたのよ、きっと」
姉が言った。
皆、一様に納得して沈黙した。
しかし、次に水島の言ったことにみんな驚いた。
「で、実は今度、見合いを設定して欲しいんだ」
水島が、沈黙を破って、父に言った。
「ええっ?」
皆驚いて、彼を見た。
* * *
あの催しの日から、約1か月後に水島家から遥佳へ、お見合いの申し出があった。
日にちが決まって、今日遥佳は、着物を着て座っている。
場所は、元華族の別邸だった屋敷跡の料亭で、広い庭園が広がっていた。
いつになく、緊張して座る遥佳に、水島は微笑んだ。
水島家の人々と、遥佳の両親は以前から顔見知りなので、和気あいあいと、まるで食事会のようになってしまい、二人を残し帰って行ったところだった。
いつも、遥佳はホテルの制服を着て、催し担当係として接していたので、このようにお互いのために、仕事に関係なく向かい合っているのは初めてだ。
「水島さん、今日はお見合いの席を本当に設けていただいて、どうもありがとうございます」
「こちらこそ。来てくれてありがとう」
「いつも頑張ってるよね、学生と両方で」
「はい、休みの日にホテルを手伝ってるんです。催し物があるのは、大体月に1回で、土曜日の午後と日曜日、それと夜だから。夏休みもありますし」
「すごく熱心に頑張ってるから、感心してた」
「ホテルは、母が始めたんですけど、私も手伝わされて。でもやってみると、色んな人に会えて、楽しいんです。
もし母がメープルホテルを始めていなければ、私の毎日で、これだけ色々な方に会えなかったと思います」
「着物もよく似合ってる」
水島が言った。
「フフ・・・私、お茶会のお手伝いにも行ってるので、慣れているかもしれません。下っ端ですけど」
二人は広い庭園に出た。
ツツジが満開で、大きな池には沢山の鯉が泳いでいる。
水島は、自分よりずっと若い彼女の隣に立っていることに、わずかな躊躇いのようなものを感じた。
——自分でいいのだろうか。
「遥佳さんは、何故僕に?」
水島は少し冷静な顔つきで、遥佳を見た。
遥佳は、隣の水島を見上げた。
いつまでも、そのそばに居たいなと思う。
こうしてそばにいると、水島は自分よりはるかに大人な気がする。
——そう思うほどに、ふとした不安も胸をよぎる。
自分はまだ学生で、何も持っていない。
それでも、今はただ、この時間を大切にしたいと思った。
遥佳は言った。
「私、水島さんに会う度に、いつも励まして貰っているような気がしていました。
それから、催しの度に会えるのが楽しみになりました。
だから、ずっとそばに居られたらいいな、と思うようになったんです。
……もちろん、私の勝手な希望かもしれませんが」
遥佳が誘った催し物にもお見合いにも、こうして付き合ってくれた。
いつも微笑んで、励ましてもらった。
でも、このあと、結婚というものに向き合う相手としてまで、本当に見てくれるかどうかな。
好感は持っているけど、いざお見合いをしてみると、やっぱり結婚までは・・・と、思われたかもしれない。
《可愛いお嬢さんですが・・・》
《まだ学生さんなので・・・》
その場ですぐ断るのは失礼なので、後日両親のもとに、やんわり、よくわからない、お断りの返事が届くのかな。
私も、お見合いを申し込んで、自分の気持ちは伝えた。
できることはした。悔いはない。天命を待つのだ。
今は、せっかくの今日のこのひとときを、楽しもう。
遥佳は、少し不安になりながら、そう、頭の中で色々なことを思っていた。
《あーあ、あの美夜ちゃんの叔母さんが連れて行ってくれた、あの素敵な、大人の雰囲気のカクテルバーに、水島さんと行きたかったな。水島さんによく似合うだろうな》
遥佳が、池で泳ぐ大きな鯉を見ながら、思っていたときだった。
水島が、微笑んで遥佳を見て言った。
「遥佳さん、本当に、僕と結婚を前提に付き合ってもらっていいですか?」
遥佳は、驚いて水島を見た。嬉しい、良かったと思う。
遥佳は、頬を赧めて言った。
「はい・・・よろしくお願いします」
嬉しさの中に、これから始まる現実の重みが、ほんの少しだけ静かに混ざっていた。
それから、2人は、食事をしたり、遥佳のリクエストで、あのカクテルバーにも、水島は一緒に行ってくれた。
「ここはいいね。また、何かで使いたいし、時々来よう」
彼も気に入ったようだった。
そして、3回目のデートが終わって2人は婚約した。
二人の婚約を、遥佳の両親も、水島家の人も喜んだ。
「あんなに苦労して復員して帰ってきて、こんなに若くて可愛いお嬢さんが、お嫁さんにきてくださるなんて」
水島夫人は、遥佳の母に言った。
メープルホテルの催しで顔を合わせていたので、知りあって1年近く経っていた。
結婚は、遥佳の卒業を待って行われることになり、遥佳が、戦前からあった、地元ミッションスクールの出身なので、その隣接した教会で挙式をして、メープルホテルで披露宴をすることになった。




