暗殺者は笑みを浮かべ
昼下がり、エールトリスの王都は多くの人々で賑わっていた。別に何かの行事があるわけではないが人が多いため賑わっているように見える。
ここでは、この風景が普通の日常なのだろう、と彼女は思った。
紺青の髪を頭の後ろで一つにまとめ、動きやすそうではあるが質の良さそうな服を着た美人。
その風貌は特別着飾っているわけではないが、貴族の令嬢だと言われても納得してしまいそうなほどのものだった。
手に紙袋を持っていることから彼女は買い物の最中らしい。
「すいません。今日は何か安いお野菜はありますか?」
彼女は八百屋に立ち寄り、丁寧な口調で店主に声を掛けた。
「いらっしゃい。おおっ!これはえらい別嬪さんだねぇ」
店主は彼女の顔を見るなり驚いた。彼女はそんな反応に微笑んで少しだけ頭を下げた。
「あんた、ここいらじゃ見ない顔だけど、もしかして上の人かい?」
「?、上というのが何かは分かりませんが王都には最近来たんですよ」
上というのは、王都の内周部の街のことだ。王都は中心に進むにつれて標高が少しずつ高くなっている。そのため、外周部の人間は内周部の街のことを上と呼ぶのだ。
「へぇ、あんまりにも綺麗だったから貴族の人かと思ったよ。最近王都に来たってことは結婚でもしたのかい?」
「いえ、そういう話だったのなら嬉しかったのですが、王都に来たのは出稼ぎに来たんですよ。去年兄弟が増えたので何かとお金が必要になったんです」
「そりゃ、大変だねぇ。王都では一人で暮らしてるのかい?」
「はい、何かと大変ですが頑張ってるんですよ。贅沢はできませんけど」
「今時の若い子にしては大したもんだよ。うちのバカ息子にも聞かせてやりたいね」
彼女の事情を聞いて店主はとても感心した。そして、彼女は苦笑する。
「よしっ!今日は頑張ってる御嬢さんのために大サービスだ。うちの野菜どれでも好きな奴を好きなだけ持ってっていいよ」
「え、良いんですか?」
「男に二言はないよ。さぁさぁ、選んで」
「それでは、これを二つ」
そう言って、彼女は手のひらくらいの大きさの赤い野菜を手に取った。ほどよい酸味と甘みがあり、料理に重宝される定番の野菜だ。
「それだけでいいのかい?もっと多くてもいいんだよ?」
「構いません。多くもらい過ぎて食べる前にダメにしてしまっても勿体ないので」
魔法加工された食べ物を保存するための道具というものもあるのだが、生憎そいったものはこの辺りの住民には普及していない。
「遠慮しなくてもいいんだけどな。お、そういや御嬢さん、名前はなんて言うんだ?」
「・・・アンジーと言います」
「おお、アンジーか。いい名前だ」
少し間があったが彼女はにっこりと笑って自身の名前を名乗った。そう、これが今の彼女の名前。
「それでは、お野菜ありがとうございます」
「おう、また来ておくれよ。そのときは安くしとくから」
アンジーは店主に頭を下げて八百屋を後にした。道行く人の中に紛れてすぐに店主からは見えなくなった。
人ごみの中に紛れたアンジーの顔にはもう先ほどのような笑顔は浮かんでいなかった。無表情になったその顔はどこかつまらなそうでもある。
「やはり王都ともなると、本当に人が多い」
アンジーは周りを見て少しだけうんざりしたように呟いた。人が多い場所というのは好きではないのだ。
この国の王都は街が外周部と内周部に分かれていて、外周部の街は庶民ばかりが住んでいてあまり裕福な者はいないと聞いていた。けれど、道行く人々の顔を見てみても暗い顔をしている人は誰一人としていなかった。笑っているものの方が多い。
それだけはっきりとした確執があるにも関わらず、みんな笑っている。
「普通なら、こういった確執があるところには不満も多そうですが・・・」
アンジーは一瞬彼らには何の不満もないのかと疑問に思ってしまった。今の状態で彼らが本当に満足しているならこの国は良い王に統治されているのだろう。
「それとも、これが平和の成せる業、とでもいうべきでしょうか?」
そんなことを口にしてみるが、誰に投げかけたわけでもないので返答は返ってこない。けれど、アンジーはその考えを自分で否定した。
何故なら、本当に平和な国なら自分のような存在が呼ばれるはずもないのだから。
アンジーがこの国に来た理由は出稼ぎなどではない。先ほど、八百屋の店主に言ったことは全て嘘。名前も普段から使っている偽名だ。
彼女がこの国に来た本当の理由は依頼があったからだ。美しい容姿をしているが彼女の本来の職業は傭兵、しかも非合法な依頼を請け負う組織の傭兵だ。
アンジーの他にこの国にはもう二人、同じ組織のメンバーが入り込んでいる。
それもそのはず、彼女らはつい二週間ほど前にウリアド共和国で仕事をしてきたからだ。ウリアド共和国で起こったとある貴族の館を襲撃して、住人を全て虐殺した事件。
そんな凶悪な事件を起こした犯人がここにいる。それどころか、周りにいる人と同じように買い物をして、愛想よく店主に話しかけて楽しそうに会話していたのだ。ある意味恐ろしい光景である。
しばらく歩いている内にアンジーは滞在している宿に到着した。人の多い大通りから外れた場所にあるのであまり繁盛はしていないこじんまりした宿だ。
宿の扉を開けてすぐそばにあった階段から自分に宛がわれている部屋へと向かう。昼間だが止まっている人が少ないため、宿の中は静かだった。
アンジーが泊まっている部屋は二階の一番隅の部屋。この宿では一番大きな部屋となっている場所だ。
「今、戻りました、ディノ」
「ああ」
アンジーは扉を開きながら中にいる人物に帰りを伝える。部屋に入ると食材の入った紙袋を置いて備え付けのベッドに腰掛けた。
ディノと呼ばれた男は部屋に一つだけある窓のそばに座って分厚い本を読んでいた。アンジーが帰ってきたことを確認すると短く返事をした。
高い身長に鍛え上げられた筋骨隆々の鋼のような肉体を持ち、浅黒い肌をして顔の右頬には大きな傷がある厳つい男。この男もアンジーと同じく傭兵だ。
「依頼主からは何か連絡はありましたか?」
「先ほど伝言があった」
「ようやくですか」
アンジーは帰ってくるなり、そんなことを聞いてきた。
彼女らが王都に到着してからすでに一週間が経過していた。依頼では王都に入ってから彼女たちに依頼主から連絡が入るようになっていた。なので指定されていたこの宿に泊まったのだ。けれど、どうゆうわけか連絡が来なかったのだ。
「それで、なんと?」
「今夜、指定された場所で依頼について説明するそうだ」
「場所は?」
「今は使われていない廃墟の屋敷だ。東区画のはずれにある」
「分かりました。それにしても随分と面倒な手順を取るものですね。そう言えば、彼はどこへ?」
部屋を見回してもう一人のメンバーがいないことに気付いていたアンジーはディノに居所を聞いた。
「いつもと同じだ」
「またですか。全く何かと面倒な人ですね」
もう一人の男はこの宿に来てからまともに部屋に居たためしがなかった。いつも何も言わずにゆらりと出て行って急に返ってくる。一日中姿を見せない日もあった。
その間、彼がどこで何をしているかなどはアンジーは把握していない。なので自分たちの存在が知れ渡るようなことをしていないか、かなり心配している。
自分たちのような同業者ならそのようなことはしない。けれど、彼はそんな常識が通じる相手ではない。一言で言えば狂っている。彼が何の目的で行動しているのか分からないので扱いに困っていた。同時に連れてきたこと事態にかなり後悔していた。
「まぁ、彼のことは放置しておきましょう。夜は私たちだけで向かうことにします」
「分かった」
今夜の予定を決めると、アンジーはもう一度食材の入った紙袋を抱えた。
「厨房借りてきます」
短くそう告げてから部屋の外に出た。この一週間で日課のようになっている昼食を作りに行くのだ。
そして、時間は流れて、夜になった。
予定通り、もう一人は帰っては来ず、そのまま二人で指定された廃墟に向かうことになった。
普段着から、仕事着である黒い服に着替えた。彼女らは部屋の窓から外に出て東区画に向かった。
もう時間は深夜を回っている。この街にいるたいていの人間は眠っているだろう。そのおかげで誰にも見つかることなく廃墟にたどり着くことができた。
指定された廃墟はまだ放置されて間もないようでさほど廃墟という感じはしなかった。扉を開けて中に入る。明かりも何もないので中はほとんど何も見えない。
「アンジー」
「分かっています」
ディノが警戒を促してくる。それが何を意味するのかアンジーはすでに理解していた。
目では見えないが少なくとも五人は潜んでいた。近くにいないだけでまだ広んでいるかもしれない。人の気配は屋敷に入る前から分かっていた。だから、初めから警戒は怠ってはいなかった。
その中の一人が彼女らに近づいてきた。夜目が聞いてきたのでその姿は肉眼でも確認できた。
全身を黒装束に包んだ男だ。顔も黒い布を巻いでいて目だけしか見えない。見た目からして同業者のようだ。
「まさか、あなたが依頼主というわけではないですよね?」
「俺はただの伝令役だ」
「そうですか。少し聞きたいのですが一週間も連絡が遅れたのは何か理由があるのですか?」
「知らんな。知っていたとしてもお前たちとは関係ないことだ。それより、もう一人の仲間はどうした?確か、貴様らは三人組だったはずだ」
「彼については放置してください。私もどこにいるのか分からないので。お気になさらず」
その答えが気に入らなかったのか、男は少しだけ顔を顰めた。不機嫌な表情を隠そうともしないとはアンジー達のことを完全に舐めているようだ。
「それでは依頼についての説明を」
「・・・これに全て書かれている」
そう言って、男は不服そうに一通の手紙を差し出した。アンジーは今回の依頼主の用心深さには舌を巻いた。
渡された手紙を一応確認するが差出人などは書いていなかった。アンジーは手紙を開封して依頼内容を読む。すると、ここに来て初めて彼女の表情が変化があった。そして、アンジーは男を訝しむように見る。
「どうやら随分と依頼内容が変わっているようですが、どういうことでしょう?」
「何を言っている。それがお前たちの仕事だ」
「いえ、以前受け取った内容とは全く別物です。どういうことか説明してください」
「ぐだぐだ吐かすなっ!!貴様らは言われたことをやっていればっ!?」
そこまで言いかけたところで男の言葉が止まる。男は自分の身に何が起こったのか分からなかった。急に体が動かなくなってしまったからだ。全身を何かに締め付けられている感覚がある。だが、それがなんなのかは分からない。
男の異変に気付いて隠れていた残りの仲間が奥から現れた。すると、アンジーに向かって無数のナイフが飛んでくる。
だが、アンジーは避けない。ナイフがアンジーにあたるよりも前にディノが全て叩き落とした。見た目からは想像できないほど早い動きだ。
出てきた暗殺者達は次の行動に移ろうとするが、不意に動きが止まった。体を動かそうするが伝令役の男と同じように見えない何かにからめ捕られてしまったようだ。
「何やら勘違いしているようですが、私たちはあなた方の仲間ではないのですよ?こんなところに来たのは仕事をするためであって、あなた方の個人的な用事に付き合うためではないのです。まぁ、元々依頼も嘘だったようですが」
「な、にを・・・した?」
男は絞り出すようにしてかろうじて声を出すことができた。
「そんなことは自分で考えてください」
男の言葉などお構いなしにアンジーは考え事をする。依頼自体が偽りだったのでもうアンジー達がこの国で仕事をする必要はなくなった。結局、この国に来たのは単なる無駄足となってしまった。
「はぁ、帰りますよ。ディノ」
「分かった」
「貴、様らっ、それを、知って、ただで・・・・帰れると、思ってるのか?」
アンジーは依頼が掛かれた手紙を捨てて外に出ようとする。男はアンジー達を帰らすまいと脅しをかけてきているが、今の姿で言われても滑稽でしかない。
「あなた程度の人間が何人向かってこようと私たちの妨げにはなりません」
アンジーは後ろを振り返らず興味もなさそうにそう告げた。
「あれ?もう話終わったの?」
屋敷を出ようとした二人はすぐに足を止めることになった。少しだけ予想外の人物がいたからだ。
「・・・今までどこに行っていたのですか?ゼド」
「いやいや、この国に来るのは初めてだからね。ちょっと街を散策してたんだよ」
ゼドと呼ばれた少年は悪びれる様子もなく少し笑いながらそう言った。黒髪に赤い瞳、まだ幼さの残る顔だちで、動きやすそうな黒い法衣を着た少年。
「びっくりしたよ。帰ったら二人ともいないんだから。僕を置いて帰ったのかと思ったよ」
「何も言わずに出て行ったあなたが悪いのです」
「それにしたって、置手紙くらいは残してくれても良かったんじゃない?おかげで色んなところ回る羽目になったんだから」
当たり前のようにそんなことを言うが、この広い王都の中でアンジー達がいる屋敷を見つけるなど普通ならできることではない。街の中を探し回ったというのに息を切らした様子もない。
そんな様子を見てアンジーは一瞬顔を顰めた。
「あなたが来る必要性を感じなかったので」
「それ、ひどくない?」
「実際、必要ありませんでした。では、帰りますよ」
「え、何で?仕事は?」
ゼドは不思議そうに首を傾げながら聞いてくる。こういう仕草だけは子供っぽい。
「渡されていた依頼内容に偽造がありました。よって私たちの受けた依頼は存在しません。なので仕事もなしです」
「ふーん・・・」
すると、ゼドは近くに落ちてあった紙を拾い上げた。それは依頼内容が書かれた紙だ。アンジーはそれを見てとてつもなく嫌な予感がした。
その予感はすぐに的中したようで、ゼドの顔に笑みが浮かんだ。その笑みはとても不気味に見える。
「・・・・何ですか?その笑みは?」
「え、いやさ。何だか楽しくなってきちゃって。いいじゃないか、この依頼。やってあげようよ」
「何を言い出すかと思えば・・・」
「だって、やること変わってないじゃないか」
「目標に問題があるのです。下手をしたら私たちもただでは済みません」
「そうは言うけどさ、一度受けた依頼だよ?何もせずに帰ったらあの人怒りそうだよ」
「それは・・・」
ゼドの言うあの人とは、彼らが所属する組織の一番上の人物、リーダーのことだ。こういった仕事をしているため仕事の失敗には罰がある。今回罰が発生するかどうかは分からないが、今後の信用にもかかわってきたりする。
確かに何もせずに帰れば何かと面倒だ。
「どうしても嫌っていうなら僕だけでやるからさ」
「・・・・」
「だから、やろうよ。王族殺し」
そう言ったゼドの顔は満面の笑みが浮かんでいた。それを見てアンジーはまた少しだけ顔を顰めた。




