満月の夜の日に
とある満月の夜の日。月は幾万の星たちとともに大地を照らしていた。
こんな綺麗な月を見ると、酒の肴にして景色を楽しみながら酒を飲む、という風情のある夜の過ごし方も悪くないと思えるほどに。
けれど、そんな月の眼下に広がっているのは趣のある風景とはほど遠い、真逆の光景だった。
目の前に広がるのは激しく燃え上がる豪華な屋敷、その炎によって周りはかなり明るく見える。
そして、もう一つ目につく光景があった。それは人の死体だ。それも一人や二人ではなく数十人という死体が屋敷の庭に転がっていた。
転がっているのは使用人や兵士といったこの屋敷に仕えていたものばかりだった。
だが、その死体は惨いものだった。ほとんどの死体は五体満足のまま死んでいない。必ず腕や足が切り取られており、あり得ない方向に体が曲がっているものもある。もっと惨いものは胴や頭を切断されたもの、何かに踏みつぶされたようにぺしゃんこになっているものなど、どんな殺し方をしたのか分からないものもある。
死体からは夥しい量の血が流れ出て屋敷の庭を赤く染めていた。そして、その場所は吐き気を催すくらいに血の匂いが充満していた。
けれど、そんな光景を目の当たりにしながら平然と立っている三人の人影があった。全員同じような黒い服装をしている。
一人は背丈や体格からして女だと分かる。全身を覆い隠せるほどのマントを羽織り、質が良さそうな白いシャツと丈の短いズボンを履いて、太もも辺りまである長いソックスとかなり軽装だ。紺青の髪は邪魔にならないように後ろでまとめられていて、無表情ではあるが美しい顔立ちをしている。
残り二人は男だ。片方は身長がかなり高く、肌が浅黒い。がっしりとした体格に筋骨隆々になるまでに鍛え上げられた体。そして、顔の右頬にある大きな傷が男の厳つさを増していた。この男なら人の頭を簡単に握りつぶせそうだ。女とは違い、こちらは腕や足や胴体に身を守るための鎧を装備している。だが、この男も同様に無表情だった。
そして、もう片方の男の見た目は少年くらいだ。まだ幼さの残る顔だちに黒い髪、そして、特徴的な赤い瞳。体は細身で背丈もまだ女より少し高いくらい。動きやすそうな法衣のようなものを纏い、細長い黒い棒を肩に掛けて瓦礫の上に腰かけていた。その表情は無表情ではなく、少し不貞腐れたようにむくれていた。三人の中ではこの少年が一番表情が豊かだった。
「さて、ここでの仕事も終わりましたね」
唐突に紺青の髪の女がそう告げた。仕事というのはこの屋敷の住人を全て殺すことだったのだろう。
「何をむくれているのですか?」
「別にぃ、むくれてなんかないよー。こんな大陸の南の端まで来たっていうのにつまらない仕事させられたなんて思ってないからね」
女は少年の方に声を掛ける。少年はむくれていることを否定したが、あからさまに不満を持っていることを主張した。
「私はあなたを連れてきたつもりはありませんよ。元々私たち二人で行うはずだった仕事にあなたが勝手に付いてきただけでしょう?」
「そうだよ」
「なら、文句を言わないでください。それに、仕事の内容は予め説明して置いたはずですが?」
「いや、だって貴族の暗殺だよ?護衛には強そうなやつがいるとか思っちゃうじゃないか。なのに全然弱いんだもん。もうちょっと良い依頼選んだ方がいいんじゃない?」
少年はがっかりしたようにため息をつく。それを見て女は呆れて小さくため息をつく。
「あなたが仕事に対してどんな楽しみを見出しているのか知りませんが、なぜ私たちがあなたの基準で依頼を選ばなければならないのですか?楽しみたいのであればあなた一人でやってください」
「はーい、今度からそうしまーす」
この場の雰囲気には似つかわしくないほど陽気な返事が返ってくる。
「にしても、今回は暗殺だったんだよね。屋敷丸ごと燃やしちゃってるけど大丈夫なの?」
「あなたが好き勝手暴れるからこうなったんです。まぁ、元々屋敷の人間は皆殺しにする予定だったので問題はありません」
「何で?」
「依頼主からできるだけ派手にやってほしい、と要望がありましたから。要は見せしめというやつですね」
「へぇ・・・・」
少年は燃えて崩れ落ち始めている屋敷を見ながら興味なさげに返事をした。すると、少年は燃え盛る炎の中から出てくるものを発見した。
気立ての良い服を着ていることからこの屋敷の貴族だろう。初老くらいで服は焦げてボロボロ、顔は煤だらけで黒くなっている。そして、初老のこの男は左腕がなかった。右手で傷口を押さえながら苦悶の表情を浮かべている。命からがら逃げてきたようだ。
「まだ、生きてる人間がいるみたいだけど」
「そのようですね。どうやら今回の目標のようです。確か、あなたが仕留めると言っていたと思いますが?」
「あれぇ、そうだっけ?全然覚えてないや」
「でしたら、早く仕留めてきてください」
「はいはい、分かりましたっと」
少年は瓦礫の上に立ち上がると軽く地面をける。すると少年の体はふわりと舞い上がり、先ほど屋敷から出てきた男の前に降り立つ。
突然、目の前に現れた少年に男は驚く。
「な、何者だっ!?」
息も絶え絶えに男は少年に問いかけた。だが、そんな質問には答えるはずもなく、少年は薄く笑うだけだった。こんな状況でありながらそのような表情ができる少年を男は気持ち悪さを覚えた。そして、同時に恐怖も感じた。
「やぁやぁ、燃え盛る屋敷の中を必死で出てきたところで悪いけど、あなたには死んでもらうよ」
「なっ!?な、何故私が殺されなければならないのだっ!!」
「ん~?別に僕はあなたが生きていようと死んでいようとどうでもいいんだけど。まぁ、そういう依頼だからさぁ。なんか、見せしめらしよ?」
「なん、だと・・・!?」
見せしめということはこの国の誰かが自分を生贄に捧げたということだ。何等かの利益を生むために。
「あれ?がっかりした?残念だったね。そういうわけだから諦めてよ」
少年は愕然とした男の表情を見て面白そうに笑う。その表情はあどけない子供のように無邪気な表情だった。
けれど、男にはそんな少年の笑い声など耳には入ってきていなかった。それもそのはず、今まで何十年と身を粉にして国に尽くしてきたというのに、その自分の最後が尽くしてきた国の誰かに殺される、という理不尽な死を迎えようとしているのだから。あまりにも酷すぎて、今まで何のためにこの国に尽くしてきたのか分からなくなる。こんな死に方をする自分が滑稽にすら思えていた。
「あら?反応なくなっちゃった。つまんないなぁ、もう。じゃあ、終わらせようか」
少年は肩に掛けていた黒い棒を両手に持ち変える。棒の長さは少年の身長くらいあるのでかなり長い。すると、棒全体を黒い魔力が包み込む。そして、魔力を流し込んだ棒の先端から大きく湾曲した太い刃が飛び出した。一瞬にして少年の身の丈ほどありそうな大鎌が完成した。
「・・・ひっ!?」
今まで放心状態だった男は突然現れた大鎌を見て意識を取り戻す。そして、怯えながら後ずさりをする。
真っ黒な法衣に身の丈ほどある黒い大鎌。死神を彷彿とさせる組み合わせだ。現に男には目の前にいる少年が自分の命を刈る死神にしか見えなかった。
大鎌を持った少年が近づくたび、男は後ろに後ずさる。
「や、やめろ・・・くく来るなっ!?」
恐怖に耐えかねた男は後ろを向いてどこかへ逃げようとする。だが、駆け出そうとした瞬間、男の体が止まる。男の視界が縦にずれた。男は自分の身に何が起きているのか分からなかった。足を動かそうにも体が言うことを聞かない。ゆっくりと体が倒れていく。そして、地面に倒れた時にはもう何も見えなかった。
男が何をされたのかというと斬られたのだ。後ろにいる少年によって、体を縦に真っ二つに。だが、魔法を使ったわけではない。持っている大鎌を縦に振りおろしただけ。それだけで人を両断してしまったのだ。一体、細身の体のどこにそんな力があるのか不思議に思えてくる。
すると、斬った男の死体に奇妙なことが起きていた。体を両断されたというのに血があまり流れ出なかったのだ。本来なら大量の血、それどころか臓物や脳漿を撒き散らしてもおかしくないはずなのにほとんど何も出てこない。両断した大鎌にすら一滴も血は付いていなかった。
その理由は男の死体の切断面の周りを見ると分かった。切断面の周りが黒く染まっていたのだ。所々罅が入っていてその隙間から血が少しずつ血が流れていた。
焼かれているというわけでも、腐っているというわけでも、ない。体が何かに蝕まれたように黒く染まっているのだ。
「は~い、お仕事終了~」
少年は人を殺したというのに先ほどと変わらない陽気な声でそう告げた。大鎌の刃も砕けるようにして消えた。
少年はゆっくりと歩きながら二人の元に戻る。
「あなたは手負いの人間に一体何分時間を掛けているのですか?」
すると、女の方に少しきつく睨まれた。
「えぇ、だってあの人が色々聞いてきたんだもん」
「そんなことに一々答えなくていいのです。どうせ死ぬ人間なのですから」
「そんなこと言っちゃだめだよ。人と話すことは大切なんだって、この前読んだ本に書いてあったんだからね。そんな仏頂面ばっかしてないでもっと笑おう?はい、スマイル!」
死人に対して冷たい言葉を投げかける女に対し、少年はなぜか笑顔を求めた。けれど、そんなことで女が笑うはずもなく、思いっきり無視をした。
「あれぇ?全力で無視されちゃった・・・」
「行きましょう」
「ああ」
二人は少年を置いてこの屋敷を去ろうとする。少年は慌てて二人を追いかけた。
「もう、置いてかないでよ」
「勝手についてきたあなたを気にする必要などありません」
「冷たいなぁ。そう思わない?」
「次の仕事は?」
「こっちも無視された!?ひょっとして僕って嫌われてるの?」
そう質問するが誰も答えてくれない。これには少しがっかりしたのか肩を落とす。二人はそんなことには気づかずに次の仕事の話を始める。
少年は少しだけ後ろに下がりながら話し合う二人の後姿を見る。話し合っていても二人とも表情の変化は見られない。
「ほんと、仲がいいんだから」
何を思ったのか肩を竦めながらそんなことを言う。そして、また二人に近づき問いかける。
「ねぇねぇ、次はどこ行くの?」
「あなた、また付いて来る気ですか?」
「別にいいじゃん。どうせ帰ったって暇だし」
「これ以上邪魔されては迷惑なのですが・・・」
「むっ!邪魔とはなんだ!!ちゃんと仕事はやってるもん!!」
さすがに邪魔者扱いは頭に来たのか強く反論する。頬を膨らませているあたり本当に子供のように思える。
「はぁ・・・まぁ、いいでしょう。ただし、こちらの指示には従ってもらいますよ」
「はいは~い、お任せあれ」
軽い返事に女は本当に分かっているのか?、という視線を送るが、言っても無駄だろうと思い何も言わなかった。
「で、どこ行くの?」
「次に行く場所は、エールトリス王国です」
「ふぅん、エールトリス王国、ねぇ」
少年はそう呟きながら夜空に浮かぶ満月を見上げた。




