親しい仲?
「ハァ、ハァ、ハァ!!」
真夜中、すでに町の大半の人間が寝静まり、辺りが真っ暗になった時間。今日は月が雲に隠れている所為かより一層くらく見える。
そんな中一人の女が息を切らしながら真っ暗な路地を走っていた。
女の服装は普通の平民と比べると少し派手だった。顔に化粧をして着飾っている。
けれど、女は別に貴族や豪商の娘というわけではない。彼女は娼婦だった。
いつものように自分の仕事場である娼館に行き、客の相手をするはずだったのだが、今日は体調がすぐれず店から休みをもらったのだ。
女は店の中ではそれなりに人気を誇る娼婦だったので、仕事にも多少融通が利く立場であった。
けれど、今日はそれが災いした。
女は時折後ろを確認しているのだが後ろには誰もいない。
けれど、女の表情は恐怖に染まっており、目から零れる涙や額からあふれる汗によって化粧も崩れている。
高いヒールの靴は走るのに邪魔だったのか脱ぎ捨てて裸足で走っている。
体調の不調や足の裏が擦りむけるているのにも関わらず、女は走ることを止めなかった。
すると、女は狭い路地から大通りに続く道を見つけた。
大通りにでて助けを呼べば誰かに聞こえるはず、そう考えた彼女は一目散にその道を走る。
あと少し、あと少し、と大通りへ続く道を走っていくうちに女に安堵が広がっていく。
だが、女が大通りへ出ようとしたとき、女の前を何かが通る。彼女はそれを感じて足を止めてしまった。
足を止めてしまった所為で女は立っていられなくなり、その場に座り込む。
座り込んだ女にどっと疲労が押し寄せてきた。全身が鉛のように重くなり、荒い息を繰り返す。吐き気にも襲われ、視界も朦朧としていた。
女は朦朧とした視界で目の前の地面を見た。
すると、女が見つめた先の地面には黒い線のようなものが描かれていた。いや、実際はそんなものは描かれてはいなかった。
女は黒い線と勘違いをしたのは切れ目だ。地面に入った切れ目が影となり線のように見えたのだ。
女はその線を見て顔を青くした。
もし、先ほど足を止めていなかったら自分はどうなっていたのだろうと考える。多分、足を止めていなかったら彼女は通り過ぎた何かによって切り裂かれていただろう。
女はそれを見て血の気が引いていき、何とかその場から逃げ出そうと後ずさる。けれど、彼女の思うように体は動いてくれない。
すると、後ろでザッと音がしたので女はすぐに振り返った。
振り返った路地は真っ暗でほとんど何も見えない。だが、彼女はそこに何かいると確信した。
「いやっ・・・いやぁ!!」
四つん這いになりながら後ろにいる何かから逃げようとする。何度も叫び声を上げるがその声を聞きつける者はいなかった。
そして、女の後ろが光ったかと思うと、次の瞬間女の上半身が火に包まれていた。
火に包まれた女はその場でのた打ち回る。女は悲鳴を上げるがそれは燃える火の音によってかき消されてしまう。
やがて女はのた打ち回ることを止めて動かなくなる。女が絶命すると身を包んでいた火も消えた。
辺りには肉の焼けた嫌な臭いが広がる。
そして、女が怯えていた何かの気配もいつの間にかしなくなっていた。
残ったのは上半身が黒焦げとなった変死体だけだった。
◇◆◇◆◇◆
月が替わり、作物の実る暖かな季節から、日差しが強くなり若干暑いと感じる季節へと変わってきた。
この学院の生徒も衣替えをし始めており、日常的に夏服を見かけるようになった。
授業の内容にも少しだけ変化があった。ベルグラントが言っていたように座学だけの授業に魔法実習が加わった。
魔法実習というのは文字通り、実際に魔法を使って課題をこなしていくというものだ。
この実習の成績は今後の学院生活に大きく作用してくる。何せ、魔導学院なのだ。
魔法実習で好成績を収められたなら周りの者からは羨望の対象となるだろう。だが、逆にまともに魔法が使えなければ能無しのレッテルを張られる。
こういった成績は学院を卒業した後にも関わってくる。この学院に通っているものは騎士や魔導師と言った職業を目指しているものが多い。
学院での成績はそういったものにかなり影響してくる。
それはどこの世界でも同じなのだが、要は魔法実習で自分が使えるか、使えないか、その価値を決めているのだ。
なので、どんな生徒でも魔法実習だけは頑張っているらしい。
変化があったと言えば、レアルにも多少の変化があった。
一つ目はレアルの噂があまり囁かれなくなったことだ。それはレアルが見ている範囲ではということになるのだが。
理由は魔導大会でレアルの実力を知ったからだろう。学院最強の生徒であるシャルロットと互角に闘える実力を持つレアルに何をされるか分からないと怯えているのだ。
現にそういう視線が多くなったことをレアルも感じていた。
レアルとしては前よりかは過ごしやすくなったのだが、視線を向けられるのはまだ続いているので落ち着いた生活を送るには程遠いようだ。
そして、もう一つの変化はレアルが授業中に寝なくなったことだ。いや、寝れなくなったというべきか。
「・・・・ねみぃ」
レアルは頬杖を突きながら重そうな瞼を必死に開きながら授業を受けている。
月が替わる前なら当の昔に寝ていてもおかしくないのだが、生憎眠れない理由があった。
そして、レアルがとうとう限界という風に瞼を閉じようとしたとき彼の額に小さな痛みが走る。それによってレアルの意識はまた現実に引き戻される。
「今、眠ろうとしてたわね」
眠ろうとしたところを邪魔されたレアルは恨めしそうに自分の隣へと視線を向けた。
「寝てねぇって」
「瞼閉じてたじゃない」
「ちょっと目閉じただけだ」
「そう、ごめんなさい。勘違いしてしまったわ」
そういってレアルの隣にいるアイシャは特に悪びれる様子もなく謝ってくる。レアルは実際に寝ようとしていたためそう言われてしまうと何も言えなくなる。
レアルが授業中に寝れなくなった理由がアイシャだ。
漆黒を思わせる長い黒髪に吸い込まれそうな青紫の瞳。顔立ちも整っておりスタイルも抜群。座学でも実技でも優秀な成績を収めており、家は公爵家でこの国の二大貴族の片割れのエテオクレス家。男女とわず、誰からも羨望の眼差しえお向けられる完璧超人。
その隣には彼女の付き人である可愛いという言葉がよく似合う少女、ユーナもいる。
そんなずば抜けて優秀な彼女がレアルの悩みの種だった。
アイシャがなぜレアルの隣に座っているのかというと、このクラスの担当教師であるミレイナからの要望であった。
ミレイナの要望というのは、授業の居眠り常習犯であるレアルのお目付け役となってほしいというものであった。
多くの教師はレアルの素行改善を諦めていたというのにミレイナは真面目すぎるためどうにか改善しようと考えていたようだ。
普通ならそんな面倒なこと断るはずなのだが、どういうわけかアイシャはそれを承諾した。
それが魔導大会が終了した翌日の事である。
それ以来、アイシャはミレイナに任された職務を全うするべくレアルの隣に居座わるようになってしまったのだ。
その所為かレアルに向けられる視線の苛烈さが増したような気がする。
レアルはもう一度アイシャを見てみる。彼女は真面目な態度で授業に取り組んでいた。内容を聞きながらところどころメモを取っている。
これでどうして眠ろうとしてるのが分かるのかレアルは不思議でたまらなかった。
レアルは視線を戻して、少し上を見てみる。
そこには宙に浮いている小さくて透明な球があった。先ほどレアルの額にぶつかってきたものだ。
これはレアルがよく使う『基礎魔法』でアイシャが発動しているものだ。
魔導大会でレアルが使った『基礎魔法』の小型版。とわ言っても誰でも使える魔法だ。
レアルが眠るたびに一々声を掛けて起こしていては他の迷惑になるかもしれないということで、この透明な球で攻撃するということを思いついたようだ。
小さいといっても硬さはそれなりにあるので当たると結構痛い。
レアルはそれを見ながら大きな欠伸をする。すると、なぜか球が飛んできてレアルを攻撃する。
だが、今度は見えていたので手のひらで防いだ。
「今、欠伸しただけじゃん」
「欠伸の声がうるさいわ」
「何だよそれ。ひどくないか?」
「私もあなたが寝ないというのならこんなことしないで済むのだけれど。やっぱりあなたには一度自分の行為で他人にどれだけ迷惑が掛かっているとか自分が悪いことをしているということを分からせるための道徳観念を教えた方がいいのかしら?小一時間くらい」
「大丈夫だよ。俺は真人間だから」
すると、また透明な球が飛んでくる。レアルの頭に何度も。
「痛い、痛いから!冗談言っただけだろ!」
「レアル・フリーシア、静かにしろ!!」
少し声が出てしまった所為で教壇に立っている教師に注意されてしまった。他の生徒からはまたかよ、というような声がちらほらと聞こえる。
「次の問題答えてみろ」
注意された後は大体教師に問題を出される。そろそろ復習も終わり内容も少し難しくなってきたのだがレアルにはあまり関係がなかった。
レアルもこう見えて勉強をしているのだ。一年の頃の復習をしている時ならレアルの知識だけでも問題はなかったが、本格的な魔導学の問題は多少勉強しないとついていけなかったからだ。
元々、授業をまともに受ける気がなかったレアルがなぜそんなことをしているかというと、この学院の卒業生でレアルの師匠でもあるタリアより下の成績は避けたいというものだった。
タリアは聞く話によると在学中の座学の成績は壊滅的だったようで、よく卒業できたのも奇跡だと言われていた。
さすがに期間限定とはいえそこまでひどい成績は嫌なので調べものの最中に少し勉強を始めたというわけだ。
あと、次にタリアと会ったときに自慢して見下してやるという目的もあった。
レアルは教師に出された問題を難なく解いて席に座りなおす。そして、隣にいるアイシャにもう一度恨めしい視線を送った。
「どうかしたの?」
「いや、お前が隣に座るようになってあてられる回数増えたような気がしてな」
「多分、気の所為よ」
「・・・・はぁ」
レアルは言っても無駄だとは分かっていたが納得いかないという風にため息をつく。
そして、寝ることはもう諦めてぼんやりと授業を眺めていることにしたようだ。
◇◆◇◆◇◆
「お、レアルかじゃねぇか」
レアルが職員室から出てくるとカイトと出くわした。
今日の授業は全て終わり、今は放課後の時間となっている。放課後になると学院の施設が解放され、生徒が各々自由な時間を過ごす。
「職員室から出てきたけど、また怒られたのか?」
「またってなんだ。別に呼び出されて怒られたことは一回しかない」
「意外と少ないな」
「ほとんどの教師が放置してるからな。それに今はお目付け役もいるし」
それを聞いてカイトは思い出した、と呟く。
「そういえば、お前って授業中あのお嬢様とイチャついてるらしいじゃん」
「イチャついてねぇよ。監視だよ。真面目な教師に頼まれて俺が居眠りしないように見張ってんだよ」
「お嬢様よくそんなの引き受けたな」
「ああ、断ればよかったのに」
「内心では結構役得だったりするのか?」
「んなわけねぇよ。知ってるか俺の授業中の回答率、先月より上がってるんだぜ」
レアルは自嘲気味に笑いながら皮肉を言う。
「にしてもあのお嬢様がねぇ」
カイトは少し驚いたように呟く。
「何を驚いてるんだよ」
「え、ああ。お嬢様とこうも仲良くなってるなんて思ってなくてな」
「だから、そういうのじゃないって言ってるだろ」
「いやいや、実際お嬢様の近くにユーナ以外の親しい人間がいるのは珍しいんだよ」
「何で?」
レアルはカイトの言うことはあまり信じられなかった。
アイシャの人気はレアルも十分理解している。教室でもユーナ以外の生徒と話しているのも見かけている。
「ほら、お嬢様って基本的に周りに冷たいだろ?人を寄せ付けにくい雰囲気作ってるし」
「そうだな」
「それが何でかっていうと、家の所為だな。学院に通ってる奴にもお嬢様に打算で近づくやつがいるんだよ。で、お嬢様はそれが嫌いであんな風になってるわけだ」
「休憩とかよく他の奴らに囲まれてるぞ?色々と誘いもあったし」
誘いと言っても男子からのものではない(男子にはそんな勇気はないだろう)。ほとんどが女子で昼休みに一緒に食べようとかそんなものだ。
「じゃあ、そん時お嬢様と誘った奴らは仲良さそうに見えたのか?」
「それは・・・・」
レアルはカイトの問いかけにすぐに答えることはできなかった。その時の様子をよく見ていたわけではないが仲がいいというほどではなかったと思ったからだ。
アイシャの態度は邪険にはしていないがどこかよそよそしいといった感じで対応していたと思う。
「要するに、お嬢様はあんな性格だから今まで仲がいい奴なんて少なかったんだ。だから、お前みたいにすぐ親しくなったのは珍しいんだよ」
「・・・・・親しいのか?」
「何でそこで疑問形で返すんだ?」
カイトは何を言っているんだと言わんばかりに呆れている。
「いや、あいつの俺への態度って結構刺々しいぞ」
「そうなのか?」
「席が隣って言ってもそんなに話したりしないし、結構嫌味言ってくるし、今日も説教されそうになった」
「もう倦怠期に突入してるのか」
「倦怠期言うな。そんな間柄じゃないって何度も言ってるだろ。てか、アイシャの話はもういいだろ。俺もこの後用事があるんだ」
「アイシャ?」
すると、カイトはレアルがアイシャの事を名前で呼んだことに反応する。レアルはそれを見て面倒くさそうな顔をする。
変な勘違いをされては厄介なのでレアルはすぐに理由を説明した。
「あいつが言ったんだよ。苗字は少し長いから名前でいいって」
「やっぱ、仲良いじゃん」
カイトは何やらにやにやと笑みを浮かべている。その顔を見てレアルはため息を付いた。
そして、このままだとかなり時間を食いそうだったのでカイトは放っておくことにした。
「おい、どこ行くんだよ?」
「用事があるっていっただろ」
「用事ってどんな用事なんだ?」
「今から人に会ってくるんだ。少し学院を離れる」
「街に行くのか。俺も一緒に行ってもいいか?」
「人に会うって言ってるだろ。何で接点のないお前を連れて行くんだよ。それに学院から出るならちゃんと外出届出して来いよ」
「よし、じゃあ今から出してくる」
「ちなみに正当な理由がないと受け取ってもらえないからな。例えば、遊びに行くとか」
すると、来た道を戻って職員室に向かおうとしていたカイトの足が止まる。どうやら、レアルが言ったような理由で渡すつもりだったらしい。




