第11話「凱旋と新たな秩序」
黒鷲城での奇跡的な勝利の報は、翼を得たかのように瞬く間にリンドブルム王国全土へと広まった。
絶望に沈んでいた王都の民衆は、帝国軍一万をわずか二千の民兵で打ち破ったというにわかには信じがたいニュースに熱狂した。
打ちひしがれていた彼らの心に、アルス・フォン・リンドブルムという名前が救国の英雄として、希望の光として刻み込まれた瞬間だった。
「第五王子アルス様、万歳!」
「テルフォードの市民軍こそ、真の王国の盾だ!」
民衆の称賛の声は、そのまま旧来の権力者たちへの痛烈な批判となった。
カサンドラで無様に大敗を喫し、王宮に引きこもっていた第一王子ジークハルトをはじめとする貴族たちは完全に権威を失墜させた。
「な、なぜだ……なぜ、あのアルスが……」
ジークハルトは自室で報告を聞き、呆然とつぶやくことしかできなかった。
彼が虫けら同然に辺境へ追いやった弟が、自分には到底できなかった偉業を成し遂げた。
その事実が、彼のちっぽけなプライドを粉々に打ち砕いた。
もはや王国の中で、アルスの存在を無視できる者はいなかった。
アルスは黒鷲城で帝国軍の捕虜の処理や戦後処理を終えると、市民軍を率いて王都への凱旋を開始した。
その道中は民衆の熱狂的な歓迎に迎えられた。
村々では人々が道を埋め尽くし、花を投げ、アルスの名を連呼した。
彼らが向ける眼差しは王族への畏敬ではなく、心からの感謝と信頼に満ちていた。
やがて王都の城門が見えてくる。
そこにはアルスを出迎えるために集まったおびただしい数の民衆がいた。
そしてその先頭にはジークハルトをはじめとする兄王子たちと、居並ぶ貴族たちの姿があった。
彼らの表情は一様に硬く、嫉妬と恐怖の色が隠しきれない。
アルスは馬を降りると、民衆の歓呼の中を静かに兄たちの前へと進んだ。
「兄上、ただいま戻りました」
その声は穏やかだったが、誰もがその言葉の裏にある重みを理解していた。
もはや力関係は完全に逆転していたのだ。
ジークハルトは屈辱に顔を歪ませながら、かろうじて言葉を絞り出した。
「……うむ。ご、ご苦労であった。よくぞ、国の危機を救ってくれた」
その夜、王宮では緊急の貴族会議が招集された。
議題はもちろん今後の対帝国政策と、混乱した国内の統治についてだ。
病床の父王に代わり議長席に座ったのはジークハルトだったが、もはや彼に議事を進行する力はなかった。
貴族たちの視線は皆、末席に座るアルスに注がれていた。
議論は紛糾した。
帝国にすぐさま和平を申し込むべきだという弱腰な意見と、この勢いで帝国領に攻め込むべきだという無謀な意見がぶつかり合う。
誰もが責任ある決断を下すことを恐れ、ただ言葉遊びに終始していた。
その無益な議論を、アルスは冷ややかに見つめていた。
そして頃合いを見計らって静かに立ち上がった。
その瞬間、騒がしかった議場が水を打ったように静まり返る。
「皆様方のご意見は、よく分かりました。ですが、今の我々に必要なのは、議論ではなく決断です」
アルスは議場にいる全ての貴族たちを一人一人見回すようにして言った。
「この国は、今、存亡の危機にあります。国内は混乱し、外には強大な敵がいる。この難局を乗り切るためには、国が一つの意思のもとに、迅速に行動せねばなりません。そのためには、強力な指導力が必要です」
彼の言葉は誰にも否定できない正論だった。
「つきましては、皆様にご提案がございます。この国家非常事態が収束するまでの間、国王陛下の全権を、この私、アルス・フォン・リンドブルムに委譲していただきたい」
その言葉は爆弾発言だった。
事実上のクーデター宣言にも等しい。
貴族たちが息をのんでざわめく。
ジークハルトが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「き、貴様、何を言うか! それは王位の奪い取りであろう!」
「奪い取るわけではありません、兄上。あくまで、一時的な権限の委譲です」
アルスは冷静に言い返した。
「この国を救うため、最も有効な手段だと、私は確信しております。そして……」
アルスは窓の外に視線を向けた。
王宮の前には今もなおアルスを支持する民衆と、彼が率いてきた市民軍が集結していた。
「……民も、兵も、それを望んでいると、私は信じております」
それは静かな、しかし絶対的な最後通牒だった。
民衆と軍隊、その両方を手中に収めたアルスにもはや逆らえる者などこの国には存在しなかった。
ジークハルトはわなわなと唇を震わせたが結局何も言い返すことができず、その場に崩れるように座り込んだ。
他の貴族たちもアルスの背後にある巨大な力を悟り、沈黙するしかなかった。
やがて一人の老貴族がおそるおそる立ち上がり、深々と頭を下げる。
「……アルス様の、ご意思のままに」
その一言が全てを決した。
次々と貴族たちがアルスに恭順の意を示していく。
それはリンドブルム王国の古い秩序が崩壊し、新たな秩序が誕生した瞬間だった。
アルスは静かにその光景を見つめていた。
彼の表情に勝利の驕りはない。
ただ、これから背負うことになる国家の重責を静かに受け入れる覚悟だけがその瞳に宿っていた。
王国の未来は今、この若き英雄の双肩に託されたのだ。




