第10話「黒鷲城の奇跡」
アルスの号令と共に黒鷲城の城壁と丘の上の砲兵陣地から、一斉に轟音がとどろいた。
ズドドドドン!
バルツ特製の青銅砲が火を噴き、炸裂弾が帝国軍の密集隊形の中央で炸裂した。
爆発と共に鉄片が凄まじい勢いで周囲に撒き散らされる。
悲鳴と怒号が上がり、整然としていた帝国軍の隊列に巨大な穴がいくつも空いた。
「な、なんだ、今の攻撃は!?」
後方で指揮を執っていたゲルハルト将軍が驚愕の声を上げる。
王国軍が使う旧式の大砲はただ鉄球を飛ばすだけのものだ。
着弾点で炸裂し、広範囲に被害をもたらす砲弾など見たことも聞いたこともない。
帝国軍が混乱に陥ったその一瞬をアルスは見逃さなかった。
「マスケット隊、前へ! 構え!」
城壁にずらりと並んだ市民兵たちが一斉にマスケット銃を構える。
彼らの顔にもう恐怖の色はなかった。
厳しい訓練で培われた自信と仲間への信頼が彼らを支えていた。
「一番隊、撃て!」
バァン! という乾いた炸裂音が連続して響き渡り、白い硝煙が立ち込める。
鉛の弾丸が雨のように帝国軍の先頭集団に降り注いだ。
重装歩兵が誇る分厚い鎧も、至近距離から放たれる銃弾の前には無力だった。
次々と兵士たちが血しぶきを上げて倒れていく。
「二番隊、撃て!」「三番隊、撃て!」
アルスの淀みない指揮のもと、三段撃ちが完璧に機能する。
途切れることのない弾幕が前進しようとする帝国兵を薙ぎ倒していく。
剣を交える前に、槍を突き出す前に、敵は次々と命を落としていく。
「怯むな、前へ進め! 敵は少数だ! 乗り越えれば我らの勝ちだ!」
帝国軍の将校たちが必死に兵士を鼓舞する。
だが、目に見えない死の弾丸が飛び交う恐怖は、兵士たちの士気を根底から蝕んでいた。
彼らが経験してきたのは、熱い血飛沫を浴びながら剣と剣がぶつかり合う、顔の見える戦場だった。
だが今は違う。姿も見えない敵からの轟音と共に、屈強な仲間たちが次々と肉片に変わっていく。
この一方的な殺戮は、歴戦の兵士たちにとっても初めて味わう地獄だった。
それでもゲルハルト将軍が率いる帝国軍の主力は分厚い盾を構え、犠牲を出しながらもじりじりと前進を続けていた。
マスケット銃の射程の限界まで近づかれれば、数で劣る市民軍が不利になる。
『そろそろ、頃合いか』
アルスは冷静に戦況を見極めていた。
そして次の手を打つ。
「合図を送れ! 第二陣、開始!」
アルスの命令で城壁から旗が振られる。
それを見た街道脇の森に潜んでいた別動隊が、一斉に行動を開始した。
彼らが点火したのはアルスが事前に仕掛けておいた秘密兵器だった。
それはタールを塗り込んだ大量の薪と、粉塵爆発を誘発させるための小麦粉の袋だった。
薪に火が放たれると街道の両側からもうもうたる黒煙が上がり、帝国軍の視界を奪った。
「な、なんだ、煙だと!?」
突然の煙幕に帝国軍は混乱に陥り、動きが止まる。
その密集した集団のど真ん中に、城壁から巨大な麻袋がいくつも投げ込まれた。
袋が破れ、白い粉である小麦粉がもうもうと立ち込める。
そして森の中から火矢が放たれた。
次の瞬間、街道を満たしていた粉塵が轟音と共に爆発した。
ドゴオオオオオン!!!
凄まじい爆風と熱波が帝国軍を襲う。
鎧袖一触。
人も馬も等しく吹き飛ばされ、業火に焼かれた。
狭い街道に密集していたことが完全に裏目に出た。
そこはもはや戦場ではなく、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
この一撃で帝国軍の組織的抵抗は完全に潰えた。
士気は崩壊し、兵士たちは我先にと逃げ惑う。
「退くな! 立て直せ! 退却は許さん!」
後方でゲルハルト将軍が怒号を飛ばすが、もはや彼の声は誰にも届かない。
兵士たちは武器を捨て、鎧を脱ぎ捨て、パニック状態で逃走を始めた。
「追撃せよ! 敵を一人残らず、この谷から叩き出せ!」
アルスは勝利を確信し、最後の命令を下した。
城門が開き、温存していた市民軍の予備隊が銃剣を構えて突撃する。
すでに戦意を喪失した帝国兵に反撃する力は残されていなかった。
戦いはわずか半日で決着した。
一万を誇った帝国軍の先遣隊は半数以上が死傷し、残りは捕虜となるか散り散りに逃げ去った。
対するテルフォード市民軍の損害は死者数十名、負傷者百名程度という信じがたいほど軽微なものだった。
夕暮れの黒鷲城に市民兵たちの歓喜の雄叫びがいつまでも響き渡っていた。
彼らは自分たちの手で強大な帝国軍を打ち破ったのだ。
この奇跡的な勝利は彼らにとって何物にも代えがたい誇りとなった。
城壁の上で、アルスは夕日に染まる戦場を見下ろしていた。
隣には興奮冷めやらぬエミリアが立っている。
「やりましたね、アルス様……! 本当に、勝ってしまいました!」
「ああ。だが、これは始まりにすぎない。我々が守るべき国は、まだ混乱の最中にある」
アルスの視線はすでに王都の、その先の未来へと向けられていた。
黒鷲城で起こした小さな奇跡。
彼はこの奇跡を王国の未来を照らす大きな希望の光へと変えなければならなかった。
そのための戦いは、まだ始まったばかりだった。




