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初恋のフォークロア  作者: 遠梶満雪
初秋の段
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38/49

少年よ大志を抱け②

 その日は、とにかくツイてない一日だった。


 朝に裏手の井戸へ水を汲みに行ったら、近所でも有名ないじめっ子の集団に絡まれた。図体ばかり大きな肉屋の息子を筆頭に、悪童たちが四、五人ほど集まっている。


 行く手に汚水をぶち撒けられたり、折角汲んだ水に泥を入れられそうになったりするのを何とか凌いで、ようやく帰ろうとした矢先に勢いよく突き飛ばされた。


 アールは地面に激突し、桶は辺り一面に中身を流してしまった。ワッと歓声が上がり、聞くに堪えない野次が飛ぶ。


 そんな騒音に腹を立てたらしい隣の大工の奥さんが扉から顔を突き出し大声でおどかすと、彼らは散り散りになって逃げていった。

 隣の奥さんはアールを一瞥してから引っ込んだ。


 それから水を汲み直して、戻って父親の酒場の手伝いをしていたが、大瓶の入った籠を運ぼうとして異変に気付く。

 どうやら、変に転んで足首を痛めていたらしい。


「おい、遅えぞ! どうした」

「何でもねぇよ!」


 父親が怒鳴るように尋ねてくる。

 だが、どうにも近所の悪ガキたちに良いようにやられたと父親には知られたくなくて、アールはそのことを言わなかった。すると、


「何でもなくねえ! 仕事が出来ねえなら邪魔だ邪魔! 今日はもういい、外行ってろ!」


と、酒場を追い出されてしまったのである。


──────────────────────


 アールが暮らしているのは王城が見えないほどずっと下ったところにある、大通りからは少し外れた歓楽街。


 酒場に宿屋に娼館と露店。貧民街とまでは言わないが、まともな貴族や金持ちなんかは寄りつかない、お世辞にも治安は良くない場所だ。


 アールの父親は旅人や傭兵相手に小さな大衆酒場を開いていて、アール自身も小さい頃からそれを手伝って育った。だが血の繋がった父親ではない。死んだ母親と知り合いだったから、その縁で育ててくれた人だった。とは言え、傍から見れば普通の父子と何も変わらない。気にするようなこともなかった。


 人気の娼婦だった母親は、アールが生まれてすぐに死んだらしい。母親似だったアールは「目付きの悪い女の子のような」貧相な少年に育ち、近所の子どもたちにとってはいたずらの格好の標的だった。その親たちからも、父親の分からない子ということでよく思われてはいなかった。


 その代わり、酒場の客や向かいの娼館の大人たちには随分と可愛がられ、彼らに教えてもらって読み書き計算は一通り出来たし、遠い異国の話を色々聞いては心を踊らせた。


 総合した結果、彼の性格は多少擦れたところはあっても常識的で、善性のある真っ直ぐなものに落ち着いたのである。


 故に、今日の出来事は結構こたえた。

 そして、まさかそこに追い打ちがかかろうとは、全く思っていなかったのだ。


 真昼間の人通りの少ない道を、足を庇いながら行く宛もなくアールが歩いていると、向こうから走ってくる人々があった。それは鍛冶屋の息子のエインという評判の悪い少年が率いるスリの集団だった。


 エインはアールを見かけると、彼が持っていた小綺麗な財布を乱暴に押し付け、そのまま仲間と共に走り去った。


 咄嗟の出来事に立ち止まり、ぼうっとその後ろ姿を見ていたところ、急に現れた大男に首根っこを掴まれ持ち上げられたのである。


──────────────────────


「だからオレじゃねぇって!」


 ジタバタと藻掻くアールを、軽々と持ち上げ吊るしている黒髪短髪の大男。人を運んでいるとは思えないほど悠々とどこかへ進んでいる。


「嘘を吐くな! それなら何故その財布をお前が持っているんだ!? お前が盗んだんだろう!」

「すれ違った奴らが押し付けてきたんだってば!!」

「そんな言い訳が通じると思うか!!」


 一向に弁明を聞こうとしない大男の頭の中では、すっかりアールがスリの犯人と決めつけられているようだった。


「子どもだからといって容赦はしないぞ、心の底から反省するまで法律というものを分からせてやるからな」


 大男はどうやら貴族か何かの従者らしい。今は財布の持ち主たる主人のもとへ向かっているのだろう。


(クソ、本当にツイてねーなオレ……)


 心の中で舌打ちする。

 こんなところに遊びに来る貴族なんてロクなものではない。勘違いが解けなければ、もしかしたら今日が命日かもしれないなんてこともある。


「とっ捕まえてきました! こいつですよ!」


 大男が誇らしげに声を張り上げる。

 見えてきた馬車の近くで退屈そうに待っていたのは、長髪を低く纏めた若い男だった。


 そして主人らしき男はちらりとこちらに視線をやると、わざとらしく深く息を吐いてから短く言う。


「違いますよ」

「ええ!?」


 青天の霹靂みたいな表情をした大男は、アールの顔と財布と主人の顔を順繰りに何周も見た。アールは彼を、ほら言ったじゃねえかと言わんばかりにじっとり睨めつけた。

 呆れたような態度の彼の主人は、一つ立てた指で手のひらを叩きながら、ちくちくと指摘する。


「まず、集団での犯罪に対して、末端一人捕まえたところで何も意味はないことは分かるでしょう」

「……はい」

「それにそもそも、あの集団には、彼のような結ぶ程の長さのある金髪はいませんでした」

「……はい」

「かつ言えば、彼の足首を見なさい。酷い捻挫です。どう考えても走れやしません」

「それは……そうです……はい……」


 こんなに分かりやすい囮に引っ掛かるなんて、と主人は大男をぺちぺち叩く。


「だから常日頃から私の指示を最後まで聞けと言っているんです。これに懲りたら今後一人で突っ走ることのないように。あと彼に謝って手当てをしてあげなさい」


 大男は渋々、馬車の荷台にアールを乗せると、奥から薬箱を引っ張り出した。


「わ、悪かったな」

「おー、人の話はちゃんと聞くもんだぜ、おっさんよう」


 少し嫌味たらしく言ってやると、大男は何か言い返そうとして押し黙った。それから言うべき言葉を思い出したらしく訂正する。


「……おっさんじゃない! まだ若い! それに俺にはヨーシカという名前がある」


 彼の名は王都ではそう聞かない響きの名前だった。アールはぼんやりと、彼の主人はどこか別のところ、例えばアーシュライエン辺りの貴族の出なのだろうかと思った。

 王城に籍を置く貴族でも、側に仕えさせる人間は領地から連れてくることが多いらしい。


 足に湿布と包帯を巻かれながら、アールはヨーシカの主人、赤い瞳の男を見上げる。

 彼はアールを興味深げに見つめ返すと、明るく尋ねた。


「少年、君の名前は?」

「…………」


 それはなんだか芝居がかった言葉に聞こえ、どことなく不安を感じた。警戒したアールは答えなかった。


「沈黙、まあそれも致し方ありません。胡散臭い顔だと良く言われるんです、私は」


 その男は、アールに向かい合い、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「まずは自己紹介をしましょう」


 赤味がかった長髪を棚引かせ、スグリ色の瞳を優しく細めて、彼は己の名を名乗る。


「私はアズワット。アズワット・ツェルン」


 その誇らしげな声と共に差し出された綺麗な手を、アールはただ、じっと見ていた。


「……アール」

「良い名前だ。酒場の子ですかね?」


 どうしてそれを、と言う前に、アズワットは差し出していた手をそのままアールの手に向けた。


「君の手、あかぎれがあるでしょう。洗い物を多くしている証です。それに薄い傷跡、これは割れた食器か何かで切ったのでは? 重いジョッキをよく運ぶからか指にタコも出来ていますね」

「え、気持ち悪…………」

「気持ち悪いですか…………」


 なんで全部分かるんだよ、という気持ちを込めた言葉が思わず漏れていた。

 アズワットは子どもの率直な言葉にややショックを受けたらしい。


「私の悪い癖なんです、いつも人を気味悪がらせてしまう」

「そりゃ自分で言ってないことを勝手に読まれて知られるって気分悪いよ……」


 この貴族、変な奴かもしれない。


「なるほど、だけどそれなら安心ですね。私が誰からも嫌われているのは家名のせいじゃなくて自分個人の問題だという訳ですか。それはそれで思うところはありますが」


 この貴族、変な奴だ。


「家名って家族のことじゃん、それで嫌われるも何もねえだろ。オレは貴族とかよく知らないし」

「おや、『皇帝殺しのツェルン』を知らない?」


 皇帝殺し、そう言われると思い当たる節はある。


 ウェールツディット地方の伝説の皇帝、彼の最期は信頼していた臣下による暗殺だった。その臣下はツェルン家の出だったと伝えられている。

 その後起きた、ウェールツディット中を巻き込んだ戦乱を終わらせた東の英雄。ようやく訪れた平和を祝い、英雄を王とするためのパーティーで彼を殺したのは皇帝殺しの息子だったという。


 望まれた国の主を二度も殺した不届きな血。

 それがツェルンだとアールも聞いたことがあった。


 彼はそのツェルンの名を持つ貴族らしかった。


「だけどそれは生まれるずっと前の話だろ、嫌われる理由になるもんか。まあ、さっきみたいなこと繰り返してるんなら嫌われるのはあんたが悪いよ……」

「悲しいですねえ」


 アズワットはまるで微塵もそう思っていないような態度で相槌を打つ。


「でもオレが犯人じゃないってすぐ分かったみたいに、使い方とか言い方次第じゃ周りの見る目も変わんじゃねえの。オレ、それはすげえと思ったもん」


 実際、本心からそう思っていた。そんなことが出来るなら、もっとうまく使えば褒められるに決まっている。

 アールだって、少し読み書きや計算が出来るのを生意気だと言われたこともあったが、父親の酒場や近所の店の手伝いでは注文や会計を書きつけて、大したものだと喜ばれた。


「……君はなかなか良いモノの見方、考え方をするんですね」

「平民の癖に?」

「まさか、そんな風には思っていません。人間の割には、です」


 貴族のほうがよっぽど歪んだ先入観と慢心で縛り付けられている、とアズワットは呟いた。

 彼の言葉にはもう、最初の方の芝居がかった様子は見られなかった。


「見聞はそれなりにあるようですが、何か目標はあるんですか? 夢があるとか」

「別に。考えたこともねえな」

「君のような人が王城にいてくれれば私も話しやすいのに。君、議員とか興味ありません?」

「冗談キツいぜ、オレ勉強は嫌いじゃねえけど、難しいことは分かんねえよ」


 そう口を尖らせたアールに、アズワットは首を横に振る。


「それは違う、君はまだ知らないだけです。誰だって、欠片も知らないことは想像がつかない」


 まだ無いモノを考えるには、材料になるモノを知らなければいけない。


「君はきっと、材料さえ揃えばとてつもないものを創ることが出来る。君が言った通り、出自なんて関係ありませんよ。今は平民出身の大臣だっているんですから」


 勉強が好きならカレッジに行くと良い、とアズワットは言った。


「この国で一番、知識と技術が集まっているところです。きっと君をより強くしてくれますよ」

「ふーん、考えておく」


 アールは、自分が凄いと思った人に褒められて、悪い気はしなかった。アズワットが出来ると言うなら、議員とやらを目指してみるのも悪くはないなと思った。

 なんでこんなに嬉しいんだろう、と思ってから、偉い大人が初めて自分と対等に、真面目に話してくれたからかと気がついた。


「またいつか会えると良いですね、王城とかで」

「あんたが嫌われ過ぎて死んでなきゃな」


 そんな軽口を叩くと、手当てを終えたヨーシカに軽く拳骨を喰らう。

 手当ての礼を言ってから、アールは父親のところへ帰ったのだった。


──────────────────────


 店の裏口。アールは何となく気後れして中に入れなかった。


(とは言っても、カレッジ行くとか、親父は許しちゃくんねえよなあ……)


 生活に困窮している訳ではないが、余裕があるということもない。店のことだって考えなくてはいけない。勉強したいだとか言い出しても、ぶん殴られるのがオチなような気がしていた。


 その場でぐるぐる回っていると、扉の向こうから、早くから来たらしい客たちと父親の会話が聞こえてきた。


「おいマスター、坊主はどうしたんだい」

「足挫いたみてえでよ、仕事になんねえから暇にしてやった」

「サボりじゃねえのか、うちのガキは嘘ついて休もうとするぜ」

「アールがそんなことするもんか、病気でもつまんねえ意地張って働こうとすんだ」

「いい息子だな。器用だし、頭も良かったよな。店継がせるのか? それとも従騎士かなんかにするのか」


 アールは息を潜めて耳を傾けていた。

 父親はしばらく黙っていたようだが、とうとう口を開いたようだった。


「何でも構わねえよ、あいつがやりてえってんなら悪事以外は認めてやるさ」


 アールはゆっくり息をすると、勢いよく扉を開けた。


「親父! あのさ……」


──────────────────────


 アズワットとの出逢いによって、自分の人生は大きく変わったとアールは思っている。


 だが、アールとの出逢いによってアズワットの人生も大きく変わったことは、アールは少しも知らないのである。

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