初秋の断片、月夜の夢
連合王国東部、一等爵ライン家が治める地は、古くから肥沃な平野から育まれる農作物と優れた馬の生産で繁栄してきた。
騎士団が魔獣と戦うことが常であるウェールツディットでは、軍用馬の需要が高い。また、全国に張り巡らされた街道を伝令に走る早馬や、主な輸送方法たる駄馬も欠かせない。
馬産に秀で、目的に合った調整のノウハウを持つライン領は供給を一手に担ってきた。馬具の有名工房も多く存在し、市場はそれらを求めにくる各国の商人で賑わう。
税収に加え、馬や食糧を他領や他国へと輸出することで得られる富は、ほとんどを魔獣対策へ費やして尚、貴族たちが着飾るに足る。
そうして装われるラインの招宴は、西方パルニカの文化の影響が濃い他二領とは違い、黄金砂漠周辺諸国の文化が流入した独特の妖美な気配を帯びているのである。
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何年か前のある秋の、欠けた月の弱々しい夜だった。
ハリエットは、ラインの城の自室に戻る途中、遠くの窓越しに見えた燦めく景色に足を止めた。
広間の上部には換気の為に隙間が設けられており、ハリエットのいる渡り廊下から見下ろすと丁度、中の様子を覗ける角度になっていた。
今夜は収穫祭のパーティーがあるらしい。昼間は領民のどんちゃん騒ぎを見守っていた貴族や騎士たちが、お互いの一年の仕事を労って楽しむ時間。
豪奢な広間では贅沢に蝋燭が使われていて、その光がシャンデリアや鏡や色付きガラスと合わさって、夜中とは信じられないほど明るくて美しかった。
色とりどりの衣装がちらつく。ダンスを踊っているらしい。
もっと近くで見てみたい、と思ったが、パーティー会場まで入れてもらえるのは使用人でもごく僅か。宮廷作法に通じたベテランの者だけである。
ましてや、ハリエットはまだ子どもであるので、もう寝ていいとまで言われてしまったのだ。
家出をしてみたあの日、マクシミリアンに出会って、あれやこれやという内に気がつけば城仕えになっていた。
お世話係と言われてはいるが、実際は単なる遊び相手のようなもの。それでもみんな優しくて、部屋も服もご飯も上等な品を用意してもらって、これ以上我儘を言うのも良くない気がした。
もう誰にも何も言えないのだと思った。
ボーッと明かりを眺めていると、眠たげな足音が近づいてきた。
「そんなところでどうしたの?」
とっくに眠りについていたはずのマクシミリアンが目を擦りながらあくび混じりに尋ねる。手にはランタンを持っていた。
「いえ、別に…………坊ちゃんはどうなされたのですか」
「喉が乾いちゃった」
ならば一緒に厨房へ行きましょう、と手を差し出すと、マクシミリアンはまだ寝ぼけた様子で大人しくついてきた。
外よりも暗い廊下は物陰が少し怖かったけれど、自分のほうが年上なのだと言い聞かせて先を進む。
慎重に階段を下り、会場に近い中庭を通って厨房へ向かった。
城に勤める料理人たちはほとんどがパーティーの為に大厨房へ出ているようで、火の番に老婆だけが残されていた。
小さな客人の訪れに老婆は喜んだ。
井戸水を沸かしている間、二人が木椅子に座って待っていると、老婆がパーティーで余ったという焼き菓子を振る舞ってくれた。
「アーシュライエン風のお菓子だそうで。ああ、パーティーは華やかでよろしいですねえ」
びっくりするほど甘いお菓子を頬張って、冷ました白湯を飲むと、マクシミリアンは少し拗ねた顔をした。
「僕もパーティー行きたかったな。兄上たちは行ったのに」
「もっと大きくなればお呼ばれしますよ」
老婆がそう言って彼の頭を撫でる。それを見てハリエットは少しだけ、羨ましいな、と思った。
(そっか、坊ちゃんはいつか行けるんだもんね)
それでハリエットはお菓子の味を忘れないよう、ゆっくりと噛み締めた。けれど、その甘みは水を一口飲んでしまえばすっかり消えてしまったのである。
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厨房から出てもまだ、パーティーは続いているようだった。曲の種類は定かでないが、微かに音と光が漏れている。
思わず耳を澄まして、じっと音の聞こえる方を見ていると、マクシミリアンがこちらを見上げてくる。
「ハリエット?」
「……ああ、部屋に戻りましょうか」
「パーティー、気になるの?」
どきりとした。
何と返そうか逡巡していると、マクシミリアンは片膝をついて手を差し伸べた。
「ダンスの相手は僕では不足ですか、お姫様」
見様見真似の芝居がかった仕草にクスッと笑ったハリエットは、軽くお辞儀をして手を取った。
二人とも、決して美しい服を着ている訳ではなかった。マクシミリアンは麻のシャツにズボンだけだったし、ハリエットも普段着用のシンプルなドレス。
それでも、儚い月明かりに照らされて、まるで魔法にかけられたように、幻想的な空間がそこにあった。
欠けた月のシャンデリアと、タンポポの観客。
足取りは不確かで、背伸びしないと彼女には届かなくて、暗がりの中でお互いの顔を見るためにぐっと近づく。
ささやかな音を拾い上げて彼らは踊った。遠くで歓声が聞こえる。
「今はまだこんなことしか出来ないけれど、もっと僕が大きくなったら、ハリエットを本物の舞踏会に連れて行くよ」
「そうしたらまた一緒に踊ってくれますか?」
「勿論! だからずっと、友達でいてね」
「ええ、約束です」
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昔からずっと、周りの人が笑っているのが嬉しかった。みんなが笑っていられるところなら、自分も笑っていいのだと安心できたから。
それで僕はみんなが喜んでくれることをしようと頑張った。
結構すぐに自分が存外無力なことに気がついた。
なんなら僕がいないほうが嬉しい人がいることも知った。
そういうのが薄々感じられるときは、どうしても顔が強張って、困ったような妙な笑顔になってしまう。
もう幼い子どもでもなくなって、頭に染み付いた憂鬱にも疲れてきた。だけど、彼女の本当に嬉しそうな表情の為なら、僕はまだ頑張れるんだ。
少なくともそれだけは本物なんだって、そんな気がするから。
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