舞踏会の誘い③
ジルコンが、ハリエットを舞踏会に誘った。
目の前で起きた光景に、マクシミリアンは手に持っていた物を全て落とした。これから提出しに行くつもりだった課題も、友人に写させてもらったノートも全て。
懐には、決心を五回固め直してようやく、今日こそ渡そうと持ち出した招待状があった。
頭がサアッと冷えていく。
彼は、『ハリエットが他の人物から招待状を貰ったことに動揺した自分』に動揺したのである。
焼けつくような自己嫌悪が喉元に迫り上がる。
ハリエットはまだこちらに気がついていない。
今までのマクシミリアンであれば、ここで気配を殺して立ち去ってしまっていたことだろう。そして、招待状はくしゃくしゃに丸めて二度と視界に入らないよう捨ててしまったに違いない。
だが、何故か足は前に進んだ。脳だか胸だかにあって今まで臆病を生んでいた部分は、すっかり麻痺してしまっていた。
「ハリエット」
想像とは違って、透き通るような声が出た。
勢いのままに駆け寄って、呼びかけに振り返ったハリエットと向き合う形になる。それから彼女の右手を素早く柔らかく取ると、自分の招待状を強く強く握らせた。
「坊ちゃん」
「ハリエット、僕は」
段々と冷静になってきた頭の内で、後悔する前にここから早く逃げろと理性が叫ぶ中、どうにかこうにか言葉を紡ぐ。ぐるぐる目が回る。
「絶対に目を離しちゃいけないなら、君のことだけを見ていたくて、ずっと誰かに見られているなら、君の視線だけが欲しくて、だから……」
一度躊躇って、下を向く。
「だから、僕は君と舞踏会に行きたい」
そう告白すると、マクシミリアンはとうとう堪え切れなくなって青褪めた苦笑を貼り付けて、返事も聞かずに踵を返して走り去ってしまった。
そしてそれから一週間ほどの間、マクシミリアンがハリエットの前に姿を見せることはなかったのである。
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「こまめに探してはいるのですが、カレッジ中を逃げ回っているらしく………。そんな訳ですからお返事のしようもないのです。一体、どうしたら良いのでしょう」
寮室でハリエットが肩を落とす。
向かいに座ったタリカとフェリシアは、少し顔を見合わせてから小さく溜息をついた。
「多分、冷静になったら顔を合わせるのが恥ずかしくなっちゃったんでしょうね……」
「もうジルコンと行ったら? どうせ下心なんてないんだろうし、礼節はきちんとしてるし、女の子を不快にさせるような人じゃないよ」
多少の嫉妬はあるかも知れないが、それこそラインの公子の旧知ともあれば嫌がらせされることもないだろう。
そもそも、とフェリシアは跳ね毛を揺らして尋ねた。
「まずハリエットはどっちと行きたいの?」
「そ、それは勿論、マクシミリアンと行ければ……と。しかし、私では支度も作法もとても足りませんし、それを理由にジルコンを選ぶのも酷い話ではありませんか」
するとタリカは少し怖い顔をして言った。
「ねえ、ハリエット。あたし、思うのだけれど、あなたはもう少し人に甘えることを覚えたほうがいいわ」
「甘える、ですか」
「ええ。お行儀やダンスだったらあたしたちだってアドバイス出来るし、臣下の装備が足りないなら整えるのは主君の仕事よ。一人ではどうにもならないと思ったら、きちんと周りに助けを求められるのも善き騎士の条件じゃないかしら」
お友達として、あなたを手伝わせて欲しい。
タリカはそういう想いを込めて、真摯な瞳をハリエットにぶつけた。
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「あれ、マクシミリアンやんか」
「ハーリ、それに西花も」
カレッジの図書館にある閲覧室。普段はあまり近づかないそこへふらりと立ち寄ったマクシミリアンは、マルムドゥの留学生ハーリとツォ国の留学生西花にばったり出くわした。
辺りを見回して、図書館内にハリエットがいないか確認してからそっと近寄る。
ハーリは何やら古い書物を沢山引っ張り出して読み漁っているところのようだった。西花はそれを横から黙って覗いている。
「何か調べ物をしてるの?」
「折角やから、仮面舞踏会について調べてみよかなって。ぼく、ウェールツディットの文化史に興味あるんよ」
「へえ、面白い話はあった?」
「そやねえ…………あ、『薔薇の夜事件』って知っとる?」
よくは知らない、と答えるとハーリは挿絵の入ったページを突き出してきた。本の中から、短剣を振りかざした女性のおどろおどろしい顔がこちらを睨んでいる。
「百五十年くらい前のエルリンテンの王妃様は、政略結婚で嫁いできた人やったらしいんよ。でも王様は他の女の人に夢中で、周りも止めなかったんやて。それで王妃様は何も言えなかった」
「それは酷い」
「その年の仮面舞踏会もその愛人と行ってしまって、とうとう堪忍出来なくなった王妃様が兄弟たちと会場に乗り込んで大暴れ! 王様や大臣たちも含めた二十人以上が死んで、王妃様とその一族も処刑になるって大惨事になってしまったんよ」
血に塗れた仮面が砕けて薔薇の花弁のようだと例えられたその事件以来、エルリンテン王家では婚姻時に家柄よりも本人同士の意思や相性を重視する流れが出来、今に続いているのだという。
「な、おもろいやろ」
「うーん……そうかな…………」
「えー!! この話だって、色んな研究者が集まって当時の手紙とか日記とか裁判記録とか死亡記録とか組み合わせてようやく全容が分かったんやで!? すごいやん、おもろいやん、なあ西花」
横を向いて西花に同意を求めるハーリ。期待に燦めく赤土色の瞳で見つめられたものの、西花はまるで理解出来ないという表情をした。
「分からん。悲劇を聞いて面白がるのは学者と作家だけ」
「なんでやーーーー!!!」
「さ、才能があるってことだよ多分……。面白いかどうかはともかく、研究するのは大事なことだし」
小声でも圧を感じる返事の勢いの良さに口元を緩ませながらも、マクシミリアンは慌ててフォローする。
するとハーリはマクシミリアンをその大きな目でじっと見た。思わず一歩下がると、彼はニコッと笑って言う。
「マクシミリアン、ちょっとは気分も晴れたみたいやね」
「え?」
「最近ずっと浮かへん顔しとったやん? 事情は分からんけど、普段よりもユーウツそうな感じで心配やったんよ」
気が紛れたなら良かった、と身振り手振りで暗くて憂鬱な顔を表現しているハーリ。そんな酷い顔だっただろうかと思ってマクシミリアンが自分の頬を撫でていると、西花が口を尖らせる。
「ハーリ、あまり甘やかすな。くだらん自省など思う存分させておけば良いではないか」
「またそういう口を利いてこの子はもう……」
「周りが察してやってばかりでは、此奴はいつまでも黙り込んだままで訊くことを覚えない。この国でそれは致命的だと俺は思うが」
いつになく厳しく、西花は叱るように静かに言った。
きちんと言葉にすることを知らなければ、相手が真に必要としていることを聞けない。必要としていることを知らなければ、相手を助けることは出来ない。そしてそれは全て自分自身にも逆転する。
「同情しているんだか何だか知らんが、ベリアスもヴァストも甘くて残酷なことこの上ない。誰が貴様にそうさせたのかは想像に難くないが、このままでは怪物共に良いように喰われて死ぬだけだ」
自衛の出来ない公子など、政治家や野心家にとっては便利な道具でしかない。それを皇国の末皇子たる西花は戒めているのであった。
呆然としていたマクシミリアン。それから、腑に落ちたようにポツンと言った。
「そっか、僕、甘えてたのか」
一日中ぐるぐると渦巻いていた嵐が、すうっと消えたような気がした。いや、正確には消えてはいないのかもしれない。
だが、心は既に渦中ではなく、その濁流を遠くから眺めることが出来ていた。
「マクシミリアン?」
「ハーリ、西花、ありがとう。自分のしたかったことがようやく思い出せたかもしれない」
そう言うと、マクシミリアンは席を立ち、どこかへと急いでいった。その顔は、いつもよりは明るい、意志に満ちたものであった。
「元気出たんかな。西花は上手やね」
「多分話の後半ほとんど聞いてないだろう、あれは」




