舞踏会の誘い②
「仮面舞踏会かあ……行きたいなあ……」
マクシミリアンに教えてもらった空き地の草の上で、ひとり剣を磨くハリエット。しかし、その手際は極めて悪く、まるでうわの空である。
幼い頃、本を指でなぞりながら想像した舞踏会。誰も彼もがおめかしをして、素敵に踊って、ご馳走を食べて、一夜限りの夢を見る。
ラインの城でも時折開かれていたそれは、ハリエットにとっては微かに洩れる音と光を楽しむだけのものだった。
それを実際に自分の目で見ることが出来るというのなら、これ以上喜ばしいことはない。
それだったらマクシミリアンと行きたいな、そんな言葉がふと頭を過ぎった。いやいやと首を振って俯く。
「それは流石に衣装が準備出来ないかな……」
旧冠家たるマクシミリアンが着る服ともなれば、生半可な衣装ではとても釣り合わない。下手を打てば実に滑稽で見苦しいことになって、恥をかかせてしまいかねないだろう。
しかし父親からの小遣いもそれほど多くないし、そういった理由でライン家からの援助に頼るのはやはり個人的に気が引ける。
奨学生向けの貸衣装もあるという話だが、あくまで自費入学という体を取っているハリエットが利用出来るかどうかは分からない。
参加して当然という態度のタリカたちも、何も意地悪で言っているのではないことは分かっている。彼女たちはただ、そういうことが想像もつかない生活を送ってきただけなのである。
カレッジにだって騎士の娘くらいは大勢いる。しかしながら、子どもをカレッジに通わせられるような家は大概、貴族の傍流か騎士団に地位を持つ親なのだ。
タリカやフェリシアが知っている騎士の娘、というのはそういう彼女らのことで、間違っても父親と二人暮らしで森に住んでいたような小娘とは違う。
主君の家から格別の恩寵を賜って通えているだけで、本来ここは自分の居場所ではない。
そう思うと、他の誰かとでも良いから舞踏会に行きたいという気持ちさえ、すっかり掻き消えてしまうのである。
「というかそもそも、お誘いだってあるかどうか分からないし……」
こちらから誘うことも可能ではあるが、マクシミリアンのことだから行きたくないなとすら思っているかもしれない。
「仮面舞踏会かあ…………」
ハリエットは繰り返してそう言うと、手を止めて空を仰ぎ見る。
ただでさえ衣装の準備も出来そうにないのに、どうして彼と行きたいだなんて願えるだろうか。
ああ、あの時のような霞んだ月の下でなら、古着も女神の衣に見えたに違いないのに。
ほうと溜息を吐く。
すると、背後から突然声をかけられた。
「舞踏会に行きたいのかい」
恥じらいと動揺の混じった表情で振り返ると、そこにはあのジルコンが立っていた。聞いていたのですか、と尋ね返すと、彼は申し訳無さそうに答えた。
「これは失礼! 盗み聞きをするつもりは無かったんだが……あまりにも顔を曇らせていたものだから、つい」
「いえ、構いません。ですが、今聞いたことはどうか全てお忘れください」
「それはどうして? 行きたいなら行くべきだ」
「それは……相手もいませんので」
ジルコンは考え事をするように腕を組むと、そのハシバミ色の瞳でハリエットを見据える。
「マクシミリアンはきっと、君と行きたいと言うだろうけれど。男友達はもう相手がいるし、他の女子へ先に声をかけるとは思えない」
「だとしても、会の最中には他の貴族と会うでしょう。その時、隣に立っているのが臣下の私ではどうしたって良くは見られませんから」
彼は首を傾げた。
「随分と古風な考え方をするんだな、君は。貴族が来るとはいえ学生たちだって主役だ。誰と誰が組んでいようが、真面目に捉える奴はいないし気にすることもない」
「そう……でしょうか」
「うーん、どうしても気が進まないって顔だな」
するとジルコンは、胸のポケットから紙切れを取り出した。持ち歩いているペンの蓋を口で外すと、その場で何か書きつける。
「ほら、これをあげるよ」
「これは…………招待状ですか?」
彼の名前が綴られた、金箔押の招待状。思わず受け取ってしまったが、意図を思い出して慌てて突き返した。
「う、受け取れません」
「返事はすぐじゃなくても構わないさ。いや何、預かってくれるだけでもいい。光栄なことだが俺には熱烈なお誘いが多くてね、無理矢理奪ってでも招待状が欲しいなんて女子もたまにいるんだ。流石にそれはちょっと困るから」
ジルコンは少しだけ眉を下げながら、優しげな微笑みを見せる。それから思い出したように指を立てると、いたずらっ子のような表情に変わった。
「ついでにアピールポイントを言うと、俺はあくまで貴族ではないのでね。衣装もそんなに豪勢なものは着ないし、会場には本家の従姉が来るからコネクション目当ての客に囲まれる心配もないかな」
肩の力を抜いて舞踏会を楽しむには丁度良いだろう?と言うジルコン。
「とにかく──それは君が持っていてくれ、ハリエット。俺に返してくれる招待状はどちらでもいいよ」
そう言うと、彼はそのまま立ち去ってしまった。ハリエットはまだインクの乾かない招待状を両手で握り締めたまま、ジルコンの背中を目で追っていた。




