今日も薄暗がりの中で①
日没後、ヴァスト・シュリーマンフェンスが寮への道をひとり急ぐ。景色からは色彩が失われ、ただ所々でロウソクがオレンジ色にゆらめいた。
ほとんどの生徒たちは既に自室で休んでいるか、談話室で語らっている頃だろう。
「ヴァスト?」
他に誰もいないと思っていたところに突然呼びかけられ、一瞬心臓が止まる。視線をずらすと、そこに自分の麗しき婚約者が立っていることに気がついた。
「タリカ、もう日も暮れているのに不用心じゃないか」
「医務室に寄っていたの。それに、その言葉はあなたにそっくり返せるわよ」
王城とも行き来しやすいカレッジは、防犯に細心の注意が払われている。とはいえ、稀に貴族の子女を狙った侵入者が現れることもある。
日も暮れた後に寮の外にいるのは、男女問わず望ましくない。
「婚姻だって近いのにうっかり暗殺されでもして、あたしの人生設計をふいにされたら困るわ」
「僕がいなくても君なら引く手数多だよ…………」
婚姻。
このまま順当に行けば、二年後にはカレッジを卒業して二人は結婚することになる。
容姿端麗なることこの上なく、けれど驕らず淑やかな性格、学業も決して悪くない。そんな非の打ち所がない相手と添い遂げることが出来るなら、喜ばない人間はいないだろう。
しかし、ヴァストはそれ故に、鉛のように重苦しく、責め苛まれているのである。
ヴァスト自身は、お世辞に言っても優れた容姿とは言えなかった。幼少から治らない隈、青白い肌、四白眼、鷲鼻、痩せこけた長身。ひとつひとつは些細な、欠点ですらない特徴でも、こう集まってはまるで幽霊公子だと人々に囁かれる。
華のある貴族たちの間に混ざれば、一層それらは強調され、幽霊公子のあだ名の通り、隅でひっそりとしていなければ堪らなかった。
武芸も学問も、シュリーマンフェンスの名に恥じない程度は出来るが、突出している訳でもない。定期テストはベリアスやアールに負けたし、騎乗ではマクシミリアンに勝てない。剣で打ち合えば西花が勝つ。
何一つとして、一番にはなれない。
つまるところ、恐怖に駆られているのだ。
自分のような人間が、タリカと結ばれることへの憂慮。この美しい宝石は、もっと他により輝ける場所があるのではないかという期待。自分が彼女に提示できるのは家柄しかないという不安。
捻れて絡まり凝り固まって、どうしようもなくなってしまったコンプレックスの塊。
それらが混ざり合って、ずんとのしかかる重圧になる。
おくびにも出さないその内心に、タリカは気付いていたのかいないのか。彼を真っ直ぐに見据えて、こう言った。
「ねえ、あたし本当に、あなた以外と一緒になるなんて考えられないのよ」
「タリカ」
一瞬、やめてくれ、と叫ぼうとしてしまう。彼女の眩い光が、自分の闇を一層暗くすることを知っていたから。ねじ曲がった心には、正面切った好意こそが、何より蝕む毒なのだ。
「あなたはあたしの一番なのよ、ヴァスト」
お願いだから、そんな甘い台詞で酔わせないで。
『僕も、もしかして』なんて淡い夢を見せないで。
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ヴァストが寮室に戻ると、部屋は真っ暗だった。
またマクシミリアンは床に転がって、考え事をしているらしい。こういうことが月に三回はあるので、同室のヴァストはもう慣れっこになっていた。
「明かりくらいつけてくれよ、もう寝ているのかと思ったじゃないか」
「勉強してる訳じゃないんだ、必要ないだろ」
今回のマクシミリアンの鬱屈の原因は大体予想がつく。ハリエットが風邪を引いて、寝込んでいることだ。確か放課後に医務室まで見舞いに行っていたはずだが、恐らくそこで何かあったのだろう。
「また何か言葉を間違えたのかい」
「いや、今回は多分大丈夫だった」
じゃあどうして、と重ねて問うと、マクシミリアンはむくりと起き上がって座り込んだ。暗い部屋のせいで表情はよく読めない。彼は独白でもするかのように、低くボソリと呟いた。
「怖くなった」
「何が?」
「分からない。上手く言葉に出来ないんだ」
ヴァストは薄々感づいていたことだが、マクシミリアンは本来、それほど気弱な人物ではない。むしろどちらかと言えば芯が強く活発なほうである。
貴族的なやり取りも卒なくこなしているところだってヴァストは見かけたことがあった。
ただ、咄嗟に自分の気持ちを言語化するのに不慣れで、言葉を選んでいるうちに押し黙ってしまう、というのが彼の常だった。
普段の彼は、親しい友人たちのような気のおけない相手であればそれなりに話せるのだが、どうやらハリエット絡みのことになると何より口が重くなるらしい。
「ゆっくりでいいから、話してみなよ。誰にも言わないからさ」
そう勧めると、マクシミリアンは少し迷ったような顔をしてから、俯きながらポツリポツリと語りだした。




