寝物語にあなたの声を
「ハリエット、あなた、顔が真っ赤よ」
「あれえ…………?」
いつになく身体が重く、鉛のような思考のままに起き上がると、タリカがその美しい顔を心配そうに歪めてこちらを見ている。
「熱があるんじゃないかしら、医務室に行くべきよ」
「しかし、授業が」
「そんなフラフラして行ったって、みんなを心配させてしまうだけだわ! 先生たちには言っておくから……」
陶器のような手に引かれ、ハリエットは医務室に連れて行かれた。少し前まで初等課程の子どもたちで埋まっていた寝台も、今はすっかり風邪の流行が収まり、すっからかんになっている。
カレッジに常駐する医者の老婆が、慣れた手付きでハリエットの熱を測り、喉の奥を確かめる。
「うん、王都熱だわね。ライン領から来たばかりで耐性がなかったんでしょう。大人しく寝ていればすぐに良くなりますよ」
「そうですか…………」
ハリエットは医務室のベッドで寝かせてもらえることになった。
ふかふかの枕に頭を任せ、質のいいタオルケットを掛けられて、更には氷水の入った革袋を頭に載せられた。本来なら貴族くらいしか受けられないような介抱を惜しみなく与えられる。
(カレッジって、すごいなあ…………)
額は心地よい冷たさで、苦痛が少しずつ軽くなる。
熱冷ましの薬湯を煮る音を聞きながら、ハリエットは段々と眠りに落ちていった。
──────────────────────
窓の外に雪が積もっている。外の物音は全て雪に吸い込まれ、静まり返った室内には、ただ熱く掠れた吐息だけが聞こえる。
「…………ハリエット、お水をちょうだい」
「ええ、坊ちゃん。少しお待ち下さいね」
小さな吸い飲みに水差しから水を注ぐと、それを青褪めた口元に近づける。
ハリエットは沈痛そうな面持ちで、魘されている幼い子ども、マクシミリアンを見た。
彼はとても病弱だった。気分が悪いと言って寝込んでは、酷い顔色のまま、いつまでたっても起き上がることが出来ないことがよくあった。
別段、ライン領の衛生環境が悪いという訳ではない。領地の子どもたちは至って健康、こうして看病しているハリエットすら、病気が感染ったことはない。
(これさえ無ければ、坊ちゃんも外で皆さんと満足に遊べるでしょうに…………)
長く寝付いていることの多い彼には、ハリエット以外に親しい友人は出来なかった。急に体調が崩れることに怯えて、元気なときでも屋敷の庭以上遠くには出たがらなくなってしまった。
いつ具合が悪くなるかも分からない、原因不明の病弱さ。『小さい男の子にはよくあることだ』と言って、医者も実質匙を投げた。
当然、マクシミリアンの両親も大変心を痛めていたし、彼の年の離れた兄二人も度々様子を見に来ては、ハリエットにも気を遣ってくれた。
(あ、水が切れそう。汲んでこなきゃ……)
普段は大人のメイドが交換してくれる水だが、今日は来客があるとかで皆忙しそうだった。重たくて危ないだろうが、自分で持ってくるしかない、とハリエットは立ち上がる。
「お水を貰ってきますね、すぐ戻りますから」
濃青のガラスの水差しを手に取ったハリエット。まだ僅かに残った水の底で、ひらりと動く何かが目に止まる。
(…………? やだ、ゴミが入ってた?)
慌てて部屋を出て渡り廊下まで走ると、ひっくり返して中身を出す。吹き込んで積もった雪の上に、鮮やかな欠片が落ちた。
「何だろう…………」
拾い上げると、それは萎れた花びらだった。
「花? でも、これ、毒のある…………」
マクシミリアンと二人で読んだ、毒草図鑑に載っていた花。こんな真冬に、咲いている筈のない花。
指先が震えるのは、果たして寒さのためだけだったのだろうか。
──────────────────────
目を覚ます。
眠る前より幾分か澄んだ視界でベッドの脇を見ると、愛しい彼が座っている。
夢と現実が曖昧なまま、ああ、こんなに大きくなったんだ、良かったなあ、と口走りかけ、それすらも満足に出来ないで、ただ彼の袖口を引っ張る。
「…………あ、起こしちゃった?」
「いいえ、いいえ…………」
そんな気に病むような顔をしないでくれ、と言おうとするが、どうにも言葉にならなかった。
マクシミリアンはそっと彼女の火照る額に触れると、少しだけ眉をひそめる。
「まだ熱があるね、薬は飲める?」
「はい…………」
薬匙が近づけられて、ほろ苦い味が口に広がる。吸い飲みから水も飲ませてもらったところで、はっと我に返る。自分が仕えるべき相手に世話をさせている事実に、病の悪寒よりも背筋が冷えた。
しかし、マクシミリアンは至って穏やかな顔で、ハリエットの氷嚢を交換しながら、小さく笑った。
「今度は僕が看病する番かな」
ああ、この人は、知らないのだ。どうして自分があんなに苦しめられていたのか。アレの悪意で人生を狂わされかけたことにほんの少しも気付いていない。
残酷な真実に辿り着き、父に泣いて縋ったあの日から、私は彼に隠し事をし続けている。そして、その裏切りの代わりに、私が彼の騎士となって、一切の邪悪から守ることを誓ったのだ。
そう、彼は騎士が守るべき宝。
再び眠気で薄れていく意識の中で、マクシミリアンの手を握り、ささやかな温もりに安堵する。生きている。良かった。生きている。大好きな人。
「…………ゆっくり眠って、元気になって」
すっかり声変わりした彼の音が、古びたオルゴールのように心地良かった。




