モテモテ84
「そうね。これでは拉致があかないもの。でもどうするのかしら? 一文無しの茂木直」
「一文くらいあるけど、金が少ないは認める。この事は覆りようがない事実だが何故にフルネーム?」
今頃だが、飾霧は俺を呼ぶ時に貴方かフルネームしか使わない。疑問に思うのも無理はないだろう。
思っていた返事と違ったのか、飾霧はバツが悪そうに視線を逸らした。
「……別に。特にこれといったこだわりはないのだけれど」
「なら、どちらかにしてくれよ。長いし呼びにくいだろ」
「不便はしていないのでお構いなく」
「いや、俺が嫌なんだけど」
普通に考えてフルネームで呼ばれたら嫌だろ。そんなの一年に一回で十分だ。
「そう。なら呼んであげない事もないわ」
「なら、直でいいよ。短いし呼びやすいだろ?」
即座に提案すると、飾霧は視線を右往左往させ焦点が合ってないのようだった。
「そ、そう。そんなに名前で呼んでほしいのね」
「別に俺は名字でもいいけど、飾霧が好きな方で構わない」
「そうやって人に頼らないと決められないのかしら?」
「その言葉そっくりそのままお返しするわ」
飾霧の言葉にいつものキレはなく、どうやら相当動揺しているらしい。
彼女はもうやけくそだといった具合に捲し立ててきた。
「そうね。なら、名前で呼ぶわ。貴方が言ったように短いものね。それで満足なのよね」
「おう。なら呼んでみてくれ」
「今呼ぶ意味があるとは到底思えないのだけど」
言葉と態度から感じ取るに、名前を呼ぶのが恥ずかしいらしい。
あんなに人の事を罵倒するこいつが?
人の心を持っていたとでもいうのか?
俺は試しに飾霧を煽る事にした。
「なんだ。恥ずかしいのか? なら最初からーー」
「黙りなさい」
「はい」
瞬時に謝った。
だからあれ程飾霧を煽る時は注意しろと言っておいたんだ。
あの目怖いんだから、猛禽類の類だぞ。
自問自答している俺を余所に取り乱す飾霧は、
「い、言えばいいのかしら? それで満足なのよね?」
と息を荒げていた。
「お、おう」
彼女を見ているとなんだか怖くなった。名前を呼ぶだけなのに凄い緊張感だ。
飾霧は深呼吸を終え一旦落ち着きを取り戻した。
そして、ゆっくりと静かに口を動かし始めた。
「な、な、な、なお?」
飾霧は壊れた機械のようで、俺はすかさず口を開いていた。
「何故に疑問形なのかは置いとくとして、な多くね?」
「わざとそうしたのよ。気が付かなかったのかしら?」
あまりの早口に聞き取るのがやっとだった。
取り乱している飾霧は珍しいので、今までの復讐も兼ねてもう少しからかうのも悪くない。
俺は落ち着いた声で語りかけた。
「左様ですか。なら次はしっかりと呼んでくださいね。はいどうぞ」
手の平を出して催促すると飾霧は視線を彷徨わせる。どうにか俺へと固定させると、すーっと静かに息を吐いた。
そして、恥じらいながらも薄桃色の唇が動き始めた。
その唇に吸い寄せられるようにゆっくりと時間が流れていく。
見たこともない初々しい姿は、初恋を思わせるような表情をしていた。
彼女に見入っていた俺に微かに届いた声、
「なおくん」
たった四文字なのに心に染み渡る声音。
恥ずかしさと何故か懐かしさを感じるそれは、言った本人より何故かこっちの方が気恥ずかしくなった。
静まり返った空気に居ても立っても居られない俺は徐に口を開いた。
「ーーくん呼びってお前らしくもない。今更変えるのも変だし、そのままでもいいかもな」
「……そうね」
短い返事からまだ緊張している事が手に取るようにわかる。
そっぽを向いている飾霧と俺はその後暫くの間無言で過ごした。
やっとの事で発した言葉が「そろそろ帰るか」である。
その場を後にした俺と飾霧は解散する事になった。
一人きりになり、冷静に自分のTシャツを一瞥してから呟く。
「よく見るとだせぇな」
咄嗟に腕組み、そのまま街中へと消えていた。




