モテモテ72
朝早く目覚めた俺はランニングをしていた。
偶に早起きすると、体を鍛える為に走り込んでいる。
走るのはどちらかといえば好きな方で、走ってる時だけは色んな悩み、人間関係、全ての柵から解き放たれたように感じるからだ。
程よく汗を流し、クールダウンも兼ねてゆっくりと公園を歩いていた。
まだ時刻は六時。
休日という事もあり、公園は異様なまでの静けさに包まれていた。
前日の夜中に雨が降っていた事もあり、辺りは霧に覆われている。
その中を黙々と歩いていると、前から走ってくる人影を見つけた。
同類を見つけて、ほっこりとした気分に包まれていると、徐々に人影が近づいて来る。
どんな人物かと興味津々。
ーーきっと、ダンディーなオジ様だな。
やっとの事で捉えた姿は、期待していたフォルムとは正反対のものであった。
黒の帽子から飛び出したポニーテール。半袖にアームカバー。ショートパンツにレギンスと、走りやすい格好をしていた。
あまりのスタイルの良さに、視線が吸い寄せられていく。
通り過ぎようとした彼女は立ち止まるとこちらを振り向いた。
じろじろ見過ぎたせいかも知れないと、生唾を飲み込む。
怯える俺に向かって、静かに凍てつく声が響いた。
「ーー早朝からとても不愉快なのだけれど」
聞き覚えのある声と舌鋒の鋭さに動揺を覚える。
「そ、その声は、飾霧」
「何をそれほど驚いているのかしら?」
ここまでの美少女そうはいない。
それに、あの人を見下した表情は飾霧のもので間違いないだろう。
帽子を被っていたし、髪型もポニーテールだったから気付くのが遅れた。
「なんでお前がここに」
「日課のランニングをしていただけよ。貴方に関係あるのかしら?」
「通りで」
感心しながら、飾霧の全身を隈なく眺めていると、
「人生で初めて鳥肌が立ったわ」
不審者にでも出会したのだろう。自分の体を抱きしめている。
心のこもっていない声で、
「初体験おめでとう」
と拍手をした。
「この短期間で、二度目の鳥肌が立ったわ」
「朝から絶好調じゃねぇか」
的確に毒を吐く彼女に、朝っぱらから精神力を多量に奪われていく。
「常に万全のコンディションにしておくのがプロなの」
「はいはい。そうですか。それは凄いですね」
「……」
俺の生返事を無視した飾霧は流暢に話始める。
「貴方はこんな所で何をしているのかしら? もし、警察に行くのなら早めに行く事をオススメするわ」
「俺がたまたまランニングしただけで、事件扱いするんじゃねぇ!」
我慢出来ずに大声を上げてしまった。
「にしても、奇遇ね」
またもや華麗に流されるのはいつもの事、一々目くじらは立てないぜ。
「だな。珍しい事もあるもんだ」
「確かに朝から珍しいモノを見てしまったわ。今日は特別な一日になりそうね」
「そりゃよかったな」
この程度で怒っていたら飾霧とは会話できないんだぜ。
「ええ。とても有意義だわ。そのお礼と言ってはなんだけど、ほんの少しお話を聞いてあげるわ」
含みのある言い方に昨日の出来事が脳裏を過った。
「なんでその事を知ってやがる」
「なんの事かしら?」
「何とぼけてやがる」
「いいから話すの? それとも話さないの?」
飾霧の邪悪な表情で全て見透かされているのだと、そう感じた俺は潔く昨夜の出来事を話す事にした。
「わかったよ。話せばいいんだろ。話せば」
「そうよ」
「実は昨夜……」
つつみかくさず説明を終えると、飾霧はゆっくりと唇を動かし始めた。
「色々と楽しみにしているわね」
裏がありそうな言葉に俺の不安は一層濃くなる。
「もう嫌な予感しかしねぇ」
「何を言っているの? これだから貴方はモテないのよ」
元凶のくせに悪びれもなく堂々している彼女に向かって顔を顰めた。
「それとこれとは関係ねぇだろ」
「関係大ありよ。全く男ならこれを機に三人落とすくらいの事を言えないものかしら」
「それ無理ゲーだろ」
「軟弱者ね。貴方といると童貞が移りそうだわ」
男子高校生が最も傷つく言葉だけを残し、飾霧は走り出した。
「おい! 待てよ!」
当然のように後を追った。童貞を移してやろうと思ったからだ。
美しいフォームで走る飾霧はとても可憐で優雅。そして、早かった。
どうにか食らいついていると、彼女は急にスピードを落とした。
「ーーどうして付いてくるのかしら? 新手の嫌がらせ? もしくはストーカーなのかしら?」
「別に俺が行こうとした先に飾霧がいただけだ」
飾霧は「そう」と一言口にした後、何かを閃いたのか再度口を開く。
「ーーせっかく同じ方向に向かっているのだから、どちらがこの公園を先に一周できるのか。勝負するというのはどうかしら?」
飾霧にしては珍しい提案に悪寒感じた。絶対に何か企んでやがる。
「勝負って言ってもただの勝負じゃないんだろ?」
「当たり前よ。負けた方が一つだけ命令を聞く。でいいかしら?」
そんな事だろうとは思っていたが、これはチャンスかもしれない。やっとこいつに一矢報いる事が出来るのだからな。
「その命令って……なんでもありなんだよな」
今まで復讐も兼ねて、脳内で飾霧をあられもない姿にして思い付く限りの恥辱をしていると、白い目を向けられていた。
「貴方が考えている。人間では到底思いつかないような最低のゴミクズが思いつきそうな下卑た考えでも平気よ」
汚物を見るような表情と言動にKO寸前のダメージ負いながらも声を振り絞る。
「……その言葉忘れるなよ」
「えぇ」
目を合わせた二人は瞬時にスタートを切った。
一周走り切った俺は膝に手を付きながら息を荒げていた。
飾霧は帽子を取り、清々しい表情で額の汗を拭った。
すーっと息を整えてから、
「思いの外いい勝負だったわ」
とスポーツマンらしい言葉を口にした。
「……俺にとっては納得いかないけどな。まさか女と同着になるとは……」
ギリギリ同着だった俺はいろんな意味で汗だくになっていた。
負けたら何をされていたかと思うだけで尿意が止まらない。
「恥じなくてもいいのよ。私は特別なのだから」
「そんな事一々言わなくてもわかってるわ」
そう。この子は魔王。
「分かっていればいいのよ」
そっぽを向く姿が妙に可愛くて、慌てて言葉を紡いだ。
「にしても、久しぶりにいい汗かいたわ。サンキューな」
「えぇ。たまには誰かと走るのも悪くはないものね」
意外と好感触な返事がきたので、爽やかに微笑んだ。
「じゃあ。また一緒に走るか?」
「貴方がどうしても私と一緒にお散歩をしたい。と言うなら考えなくもないのだけれど」
いつになく早口だった事から、飾霧が動揺しているのは手に取るようにわかる。
いつものお返しと言わんばかりに、底意地の悪い表情を浮かべた。
「ほんと、素直じゃねぇな」
少し俯く飾霧は僅かに沈黙した後、
「……そうかもしれないわね」
そう上げた顔は薄らと微笑んでいて、まるで太陽のような眩しさに辺りの霧は晴れていく。
俺の穢れも浄化され、どこからともなく声にならない思いがこみ上げてくる。
高鳴る胸を押さえながら「結局」と呟き、その後噛み締めるように続けた。
「俺の負けかよ……」
空を見上げていると、飾霧はいつになく優しい声色を奏でる。
「今日は貴方にとって特別な一日になるといいわね」
いつもと違う雰囲気の彼女に目を奪われながらも、俺は「そうだな」と頷いていた。
その後、飾霧と別れた俺はお日様に照らされつつ、朝方より幾分か暖かい空気と共にゆっくりと家を目指すのだった。




