モテモテ66
飾霧と俺はいつもの定位置で各々暇を潰していた。
しばらく窓際から運動部を眺めていた俺は気怠い声で問い掛ける。
「なぁ、いつになったらハーレム体験させてくれるんだよ」
彼女は小説から視線は離さずに唇だけを動かした。
「ーーまだよ」
たった三文字だけを口にして、小説のページを捲る。
俺たちの会話は幕を閉じたのだった。
慣れたさ。こんな事は日常茶飯事。今まで数え切れない程にあった。
この程度で俺の心は揺らぎはしない。
ふっと鼻で笑い、再度口を開く。
「ーーなぁ、いつも本読んでるけど楽しいのか?」
「貴方と話すよりかは、とても有意義だわ」
吐血しそうになり自分の胸元を掴みながら、
「……一々、人を傷つけないと……会話できないのかよ」
表情を歪めつつも言い切った。
すると、彼女は本を力強く閉じ鋭い視線を向けてくる。
「あら、貴方が人だと誰が決めたのかしら?」
衝撃の言葉に空いた口が塞がらなかった。
俺って人じゃなかったのか?
今まで人だと何も疑わずに生きてきた。けど、違ったのか?
だったら俺は…………いや待つんだ。
こいつの口車に乗るな。意識を保て、そして言い返せ!
「……誰が決めたかは知らないが、俺は紛うことなき人間だっ!」
「ということはやはり人間なのかはわからない。そういう事になるわね」
なんだそのお気に入りのおもちゃを見つけたかのような表情は、俺はお前のおもちゃじゃない。とは言ったものの。
俯きながら恨めしそうに視線を向ける。
「ーーそしたら、お前はどうなるんだよ」
「私は人間に決まっているでしょ。そこらの有象無象と同じではないけれど」
威風堂々と申すので、俺と同じ目に合わせてやる。
今からお前の焦った表情が拝めると思うだけで心躍るぜ。
「じゃあ、お前が人間だって誰が決めたんだよ」
「私よ。私自身が人間だと定めたのよ」
小学生が考えた屁理屈のような答えに焦った。
なんで俺が焦らされてんだよ。やはりこの女只者ではない。
ただ、お前がそう来るなら俺にも手がある。
先程までとは打って変わって堂々と席を立つ。
「だったら話は簡単だ。俺だって自分自身が人間だと、ここに宣言する」
その言葉に一瞬表情を曇らせた飾霧は、実に不愉快だと言わんばかりの態度で、
「そう。なら貴方は今から人間の一員ということね。終わらない地獄へようこそ。大歓迎よ」
最後にシニカルな笑みを浮かべた。
悪寒を感じた俺は弱々しい声で、
「……毎度の事だけど考えが怖いんだよ」
とゆっくり腰を下ろした。
「そうかしら?」
「そうだ。それより悪かったな。読むの邪魔して」
「いいわよ。偶には飴をあげないと可哀想だものね」
「……飴をもらった記憶がないんだが」
「私と会話が出来るだけで相当なご褒美なのだけれど」
こいつしか思いつかないような大胆な発想は華麗にスルー。
「それはともかく、飴と鞭とはよく言ったもんだな」
「私は飴も鞭も両方使いこなすわよ」
「鞭はわかるけど、飴は全然想像できねぇな」
鞭を片手に拷問する飾霧を想像していると、彼女が口を開く。
「そうね。例えるのなら天国かしら」
「……天国ねぇ」
斜め上を見上げた。
天国といえば…………エロ、だよな?
飾霧があんな事やこんな事、はたまたあのような事まで!
想像力は無限大だった。考えれば考える程元気になろうとする俺のムスコ。
慌てて想像をかき消し冷静になろうとした矢先、飾霧から甘い声が届く。
「今、邪な事を考えていたわね?」
「べ、別に」
口笛を吹きそうな勢いで動揺していると、飾霧は俺に向かって歩き出した。
正面で立ち止まったので目が合う。
俺は堪らずゴクリと生唾を飲み込んだ。
飾霧は緊張している事などお構いなしと言った表情で、中腰になり顔が徐々に近づいてくる。
何この状況……もしかして、男女の間で行われるという幻の儀式。
キッスなのでは……
期待に胸膨らませ咄嗟に瞼を閉じると、耳元で艶かしい声が響いた。
「あ、た、り」
反射的に「おまっ」と言う声と共に目を見開く。
赤くなった俺の顔を確認するかのように覗き込んできた。
飾霧は目と鼻の先にも関わらず、じっと見つめたまま小首を傾げた。
「ーー飴はこう使うのよ」
そう言い残しソファに戻る彼女に対して、バツが悪そうに言う。
「……勉強になったわ」
「素直でよろしい」
飾霧は震える手つきでカップを掴むと、紅茶を一口飲んだ。
その姿を見逃した俺は冷静になる為に熟考していた。
未だに心臓の音がうるせぇ。
にしても、さっきの一連の動作はなんだ?
もしかしていつも頑張っている俺へのご褒美だったとか?
絶対ないな。だとするとただの気まぐれ……だよな。
少し落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がり背伸びをする。
「そんじゃ、もうそろそろ帰るかな」
鞄を持ち上げ、今にも帰ろうとしていると、
「なら、私も一緒に帰ろうかしら」
飾霧が無表情を崩さぬまま言った言葉が、この世で何よりも信じられない俺は心で叫んでいた。
ーーまだ続くんかーい!
いつもならここで次の話に飛ぶ筈なのに、今日は延長戦があるらしい。
偶にはそういうのもありなのかもしれない。
心の中で叫びスッキリした後、冷静になり返事をする。
「そうか。本当に一緒に帰るのか?」
「そうよ」
と、身支度を始めたので、現実とわかりながらも再度同じ言葉を口にする。
「本当に一緒に帰るのか?」
「そうよ」
二度目の返事で現実だということがわかった。
なら、答えは明白。
不適に笑った後、飾霧に力強く指を差した。
「お前偽物だろ」
「こんな絶世の美女が二人もいたら困りものよ」
俺は、「な、なんだと?」と驚きを隠せなかった。
だって、僅かも動じないあの物言いは飾霧そのものだからだ。
「間抜けな顔をいつまで晒しているつもりかしら? 行くわよ」
「いや待て、これは何かの罠だな」
身支度を済ませた飾霧が鞄を両手で持った後に振り向く。
「用心深いというのは美徳でもあるけれど。時に損をする事もあるのよーー」
不敵に微笑みつつ「覚えておきなさい」と続けた。
一枚の絵画のような美しさに、不覚にも見惚れていた。
色々考えていた俺の思いは吹き飛ばされ、一つ残ったのは清々しいまでの本心だった。
「一緒に帰ろう」
室内に寂しく響き渡る声は自分へと帰ってくる。
いつの間にか部屋はもぬけの殻になっていた。
言葉を届けた筈の人物は既に部屋には居なかったのだ。
赤っ恥をかかされた俺は全力で後を追った。




