モテモテ60
やっと一曲目が終わりを迎えた。
既に満身創痍の俺は椅子から転げ落ちていた。
それとは対照的に、「どうでした?」と待望の眼差しでこちらを見つめる黒笠。
どうにか体制を立て直し椅子に腰掛け、苦痛に顔を歪めながらも言い切った。
「……殺す気か?」
「そ、そんなに酷かったですか?」
「酷いなんてもんじゃない。乗り移った悪魔を除霊できるレベルだったぞ」
「例えがイマイチ伝わりませんが、ごめんなさい」
直ぐに頭を下げられる素直でいい子なのだが、歌声はその真逆。
「まぁいい。だが、一言言わせてくれ」
「なんでしょう?」
きょとんとした表情に、可愛いじゃねぇかと思いながらも、俺は心を鬼にしてその言葉を口にした。
「諦めろ」
意外な言葉だったのか、黒笠は「えええええ」っと目を丸くした。
その後、怪訝な表情で尋ねてきた。
「ど、どうしてですか?」
俺は腕を組み眉根に力を込めると、思いの丈をぶつけた。
「ーーどうしてもこうしてもない。教えればどうにかなるレベルではない。しかも、これ以上は俺の身が持たない」
「……でも、まだ一曲しか……」
こちらの様子を伺うようにして、弱々しい声で尋ねてきたので力強くねじ伏せた。
「だからだよ。一曲でこの破壊力なんだよ。核か? お前の歌声は核なのか?」
「そんな大袈裟な事が……」
「あるんだよ。俺もまさかとは思ったさ。歌を歌っただけで、人をどうにかできる奴がいるなんてな。俺が知ってるだけでもマクロスぐらいだぜぇ。でもいたの。目の前にな。驚いたぜぇー」
「ーーライオンっていい曲ですよね」
「何が、生き残りたいっ生き残りたいっだよ。俺が生き残りてぇーんだよっ!」
「……ごめんなさい。まさか、それほど酷いとは……」
黒笠は我慢しているつもりだろうが、涙がポロポロと頬を伝っていた。
罪悪感を覚えた俺は慌てて、
「あっ。でもあれだな。もしかしたら百に一つ。いや、万に一つの可能性で上手くなれるかもしれない気がしなくもないな」
「……ほ、本当ですか?」
「ほ、ほほほほ本当だよ?」
泣き止んだ黒笠の純粋無垢な瞳のせいで動揺が抑えきれなかった。
「信じていいのですよね?」
全てを見透かされたような気がして俺はバツが悪そうに答えた。
「いや、あまり人を信じない方がいいよな?」
「どちらなのですか?」
ちょっぴりS気が含まれた声に驚いて頭を下げていた。
「信じて下さい」
「そこまで言うなら信じます」
と微笑む黒笠の表情はまるで、雨が止んだ後の清々しいまでの空のよう。
見惚れている場合では無い俺は後頭部を掻きつつ、
「とは、言ったものの。まだ歌うのは早いから、発声練習をしてみないか?」
真面目に考えた意見を述べた。
「発声練習とはなんでしょう?」
流石は歌が苦手なだけはある。何も知らない黒笠に丁寧に説明する。
「そうだな。一言で表すと、歌う前の準備運動みたいなもんだな」
「準備運動……確かに大事ですね」
「そうだろう。だからこれから俺の真似をして歌う為の準備運動をしてもらう」
「わかりました」
やる気があるのは表情を見れば一目瞭然。
なので、多少歌には自信がある俺も出来るだけ本気で取り組む事にした。
「そしたら行くぞ。まずはリップロールだ」
「リップロール?」
「そうだ。説明するのは難しいから、まず口を閉じてくれ」
「こうですか?」
と口を閉じながらなので、聞き取りづらいがめっちゃ可愛い。くっそぅ。
「ーーそ、そしたらその唇をプルプルと動かすように、小さく長く息を吐いて唇を振動させるんだ」
「こうですか?」
プルプルと黒笠の艶のある柔らかそうな唇が小刻みに揺れる。
何これ? そういう修行?
俺のメンタルを鍛える修行だったのか。今すぐむしゃぶりつきたいんだけど。
「ーーお、おっけぇ。出来るだけ長く続けるのがコツだからな」
「わかりました」
そう。永遠にこの時間が続けばいいのに。
俺の思いは届く事もなく。黒笠がなんだか唇が痒いですと、言うので流石にやめさせた。
言い方はこうだった「……先輩。なんだか少し、唇が痒いです」上目遣いを添えてだ。
なぜか俺は拳を握ってたよね。これがガッツポーズって言うのだと、初めてその身を持って体感した。
いつまでも拳を握りっぱなしでいる訳にも行かず。発声練習を続ける事にした。
「ーーじゃあ次だな」
「はい」
「次はロングトーンだ」
「ロングトーンですか」
聞いた事があるのだろう。思い出そうと斜め上を見ている。
思い出すのを待ってもいいが、ここは俺が簡単に説明しておくか。
「ロングトーンはだな。言葉のとおり。アアアアアアアアと、声をできる限り同じ音量、同じ音程、同じ強さで声を出す事を言う」
「全て同じにですか。難しそうですね」
「確かに最初は難しいかもしれないな。まずはやってみるから真似してくれ」
アアアアアアアと俺がロングトーンを披露すると、黒笠も見よう見まねで再現する。
「ーーこうですかね?」
「おお、いい感じ」
「へへぇ」
思いのほかできていたので素直に褒めたら、とても嬉しそうだった。クソ可愛い。
その後も声を出す時間を伸ばし練習を行う。ある程度形になったので次に進む事にした。
「じゃあ最後に音段発声だ」
「音段発声。全く聞いたことないです」
「そうか。まぁ、これが一番難しいから頑張ってマスターしような」
「わかりました」
二つの発声練習を終え自信につながったのか、瞳には希望の色が色濃く見える。
教えている方もなんだか嬉しい。教師とはこのような職業なのかもしれない。
やばい。高島先生の顔が浮かんだ。
高島先生の幻影をかき消し、説明を始めた。
「それじゃあ説明するぞ。音階発声とは、「ドレミファソファミレド」の音階に乗せて行う発声方法で。音階発声ができると、発声だけでなく音階を訓練する練習にもなり一石二鳥なんだ。お得だろ?」
「よくわからないですけど、お得な気がします」
意味不明と顔に書いてあるが、先に進もう。
「で、これをやるに当たって必要なのが、ピアノなんだ。この音階発声は、ピアノを弾きながら正確な音程で行うことが重要になる」
「でも、ここにはピアノがないですよね?」
「確かにない」
黒笠が言う通りピアノはそう簡単に都合良く何処にでもある代物ではない。
だから俺には秘策があった。
徐にポケットからある物を取り出す。
「ーーだからこいつの出番って訳だ」
「スマホですか?」
驚く黒笠にドヤ顔で説明を始めた。
「そう。これでピアノの動画を検索し、それに合わせて練習をする」
「先輩は物知りさんですね」
「ーーまぁな。そんな訳で準備はいいか?」
「はい」
褒められて嬉しくなり、踊り出しそうな勢いで教示する。
あれから三時間に渡り、最初に行ったリップロール、ロングトーン、それに音段発声の練習をした。
一応。全部こなせてはいたので、問題はないと信じたい。
だが、心のどこかで信じ切れていない自分がいる。「だってこれで出来たら普通じゃん」とか思ってしまう。
俺はともかく、当人の黒笠は自分が歌えると信じている。
だから歌う前に先生として、ここは激励の一つでもくれてやるのが筋というものだろう。
俺は渋めの表情を作った後、低い声で語りかけた。
「黒笠。ーー自分を信じろ。俺が信じるお前でも無い。お前が信じるお前を信じろ。いいな?」
「はい。信じて歌います」
気合は十分だ。スイッチと共にイントロが流れ始めた。そして、緊張の瞬間がやってきた。
俺は黒笠から目を逸らさぬよう、しっかりと目に焼き付ける。
ついに、黒笠の潤った唇が動き始めた。
「ほーー」
その刹那、俺の意識は途切れた。




