第2話 確かな違和感
私は、ディゴール様とともに執務を行っていた。
その最中、彼は手を止めて、ベルを鳴らす。それは使用人を呼ぶためのものだ。
「ディゴール様?」
「レスリア、少し休憩だ。紅茶でも飲むとしよう」
「あ、はい。それは、ありがたい提案ではありますね……」
ディゴール様の言葉に、私はゆっくりと頷く。
もちろん、休憩というものはありがたい。根を詰めても、いいことなんてない。
でも、まるで私を気遣うような口調、それからタイミングでの提案だ。本当に、今日のディゴール様はディゴール様らしくない。
「……何か御用でしょうか?」
「入れ」
「失礼します」
ディゴール様の呼びかけに応えたのは、このダナート伯爵家のメイド長であった。
彼女は古くからこの屋敷に仕えている方で、気品に溢れる初老の女性だ。ただ、ディゴール様はあまり彼女のことを好いてはいない。
何故ならばメイド長は、時にディゴール様に意見するからだ。使用人としての誇りを持っている彼女は、主人の過ちを何度か正そうとする所がある。
「お前は……メイド長、だったな?」
「はい、そうですが……」
「紅茶を入れてきてもらえるか? 二人分だ。そうだな、茶菓子も持ってきてくれ」
「……」
メイド長は、ディゴール様の命令にすぐに返事をしなかった。
それは恐らく、驚いているからだ。いつもの彼ならば、仮に紅茶を頼むとしても自身のものだけである。
それから、ディゴール様は口調も優しさかった。尊大ではあるものの、彼の言葉からは気遣いの精神が感じられる。
「……かしこまりました、ディゴール様」
「おっと、待て」
「まだ、何かおありでしょうか?」
困惑していたものの、メイド長は冷静に返答を返していた。
そういった所は、ベテランだからこそなのだろう。私などとは違い、動揺は見せていない。
ディゴール様は、そんな彼女を引き留めた。彼はまた、何か思案するような仕草をしている。
「メイド長、お前はこの屋敷の使用人達をまとめる立場にあるはずだ。そのお前が、こうして俺の呼びかけでやって来たのは何故だ?」
「……丁度、手が空いておりましたので」
「しかし、この言わば雑務にお前の手を煩わせるというのは、少々忍びないものだな? 他の者に持って来させるべきだといえる」
ディゴール様の言葉に、メイド長は少しだけその身を強張らせていた。
その理由が、私にはわかる。彼女は恐れているのだ。ディゴール様による横暴な振る舞いを。
メイド長ならともかく、他の使用人であるならば、彼の罵声には耐えられないと、考えているのだろう。だからこそ、この呼びかけにも彼女が来たのだ。
「雑務などとは、思いません。ディゴール様と奥様の休息は、大切なものです」
「紅茶と菓子を持って来るだけのことに、大袈裟なものだな? それとも、何か懸念があるということか」
「懸念など……」
「この俺に、嘘が通用すると思わないことだな? お前には恐れがある。他者を気遣っているのか? なるほど……」
ディゴール様は、メイド長を見ながら笑みを浮かべていた。
その不敵な笑みの底が知れない。彼はまるで全てを見透かしているかのように、メイド長に目を細めている。
見つめられている彼女の方は、汗を流していた。それは、焦りや恐怖からのものだろうか。メイド長も、ディゴール様に何かを感じ取っているのかもしれない。
「……良かろう。ここで、お前の申し出を受け入れるというのも、また主人としての器だといえるか。メイド長、訂正しよう。紅茶と菓子はお前が持って来い」
「ディゴール様……」
「とはいえ、このようなことはこれきりにするのだな。お前はメイド長として、他者を導く立場にある。この俺が命じる雑務などは、誰かに割り当てるべき事柄だ」
ディゴール様は、メイド長の意思を汲んでいた。
それに私も、彼女も驚く。あのディゴール様が、このように譲歩するなんて信じられないことだったからだ。
それに彼は、主人の器などと言い出した。その自らさえ推し量るような言葉に、私達は動揺を隠せない。
「……ディゴール様、取り計らってくださり感謝いたします」
「感謝される謂れはない。俺は主人として、当然のことをしたまでだ。しかし、奇妙なものだな。お前達の様子というものは、実に面白い」
ディゴール様は、どこか楽しそうにメイド長と私の顔を順に見てきた。
彼と目が合い、私は固まる。その赤い瞳から、目を離すことができない。
吸い込まれていくような感覚に、私は陥っていた。目の前にいる彼という人間が、なんだかわからなくなってくる。
ディゴール様の背後に黒い影のようなものが見える。それはやがて、彼と重なっていく。それは一体、何なのだろうか。
「……っ!」
「むうっ……!」
そこで私とディゴール様は、それぞれ反応することになった。
頭痛のような鋭い一瞬の痛みに、私は彼から目をそらしていた。ディゴール様の方も、驚いているようだ。
その奇妙な感覚が何だったのかは、よくわからない。けれど私は、確かに見た。あれはまるでそう、悪魔のようであった。




