第1話 横暴な夫の豹変
前世において、私は実に平凡な人生を歩んできた。
普通に学校に通って、普通に就職して、会社員として働き、その仕事に忙殺されて、事故で亡くなった。まあ、最期に関しては平凡ではないのかもしれないけれど。
ともあれ私は、不幸な最期を迎えた訳である。それを不憫に思ったのか、神様は私に二度目のチャンスを与えてくれた。
「できの悪い妻め! 俺の言うことが聞けないというのか!」
「きゃっ!」
しかし、せっかく別の世界に転生できたというのに、私の人生というものは良いものとは言えなかった。
夫であるディゴール様は、横暴な人であった。高慢で尊大な態度の彼は、書類を私に投げつけてきた。
ことの発端は、彼の仕事に関するミスを指摘したことだ。ディゴール様は、それに癇癪を起したのである。
「一々、俺のミスを指摘して何になるというのだ? 上から目線で見下して、いい気になるんじゃないぞ? この家では、俺が当主なのだからな」
「ディゴール様……」
「気が悪いな、少し開けさせてもらう。お前は、仕事を片付けておけ」
ディゴール様は、不快感を露わにしながら執務室から去っていった。
貴族に生まれた私は、政略結婚で彼に嫁ぐことになった。もう二年が経つだろうか。
はっきりと言って、彼との相性は悪かった。いや、ディゴール様と相性がいい人なんていないのかもしれないが。
とにかく、私の結婚生活というものは不幸なものであった。最悪の縁談と言っても、過言ではない。
「……離婚も考えた方がいいのかな」
床に散らばった書類を片付けながら、私はいつも考えていることをまた考えていた。
離婚という選択は、常に頭を過るものである。ただ家のことを考えると、それはできない。
私が生まれた家は、貴族としてはそこまで裕福な方ではない。ダナート伯爵家との関係がなければ、やっていけないかもしれない。
「はあ……」
「……」
「……うん?」
ため息をついた私は、拾い上げようとしていた書類が持ち上がっていることに気付いた。
私は後ろに、視線を向ける。するとそこには、ディゴール様がいた。いつの間にか、彼は戻って来ていたようだ。
私は少しだけ焦る。離婚と言ったのが、聞こえていたのだろうか。ディゴール様は、何かを思案しているように見える。
「ディゴール様、あの……」
「……ふむ、大体わかった。なるほど、しかしこれは杜撰な出来だな?」
「え? あ、えっと……はい?」
ディゴール様は、書類の一枚を私に渡してきた。
それは、私が先程ミスを指摘したものである。その書類に対して、今私の夫は何と言っただろうか。
「面倒なものだな、しかし契約は契約だ。俺も努めなければならないか」
「ディゴール様?」
「……それで、お前は俺の妻だったな?」
「何を仰っているのですか? 私はレスリア、ディゴール様の妻です」
ディゴール様は、何やら不可解なことを言い始めた。
離婚を聞いたことに対する皮肉だろうか。まるで私のことを覚えていないかのように言うなんて。
「レスリアか。今から仕事を片付ける。お前には俺のサポートをしてもらおう」
「え? ああ、はい。もう気分転換はよろしいのですか?」
「いや、まだその最中だといえる」
「はい?」
ディゴール様と会話が噛み合っていないような気がする。何かが変だ。
彼の表情も、今まで見たことがないようなものになっている。その不敵な笑みは、余裕が感じられて、彼らしいものであるとは言えない。
「……座り心地は悪くないようだな、さて」
「ディゴール様……」
ディゴール様は、執務室の自身の机の前で腰かけて、ペンを手に取った。
彼はそれを書類に軽く走らせていく。いつもならもう少し腰は重いし、ゆっくりとしているものなのだが。
「レスリア、確認しろ」
「あ、はい……」
私は、また少し面食らうことになった。ディゴール様に、名前を呼ばれたからだ。
彼に名前で呼びかけられるなんて、一体いつ振りのことだろうか。いつもは「お前」とか「おい」とか、そう言うのだが。
疑問を抱きながらも、私は書類に目を通す。その出来は完璧であった。先程までは、いくつもおかしな点があったというのに。
「ディゴール様、問題ありません」
「そうか。それなら、進めていくか。疑問があれば、お前に尋ねよう。構わないな?」
「ええ、はい。それは、もちろん良いのですが……」
ディゴール様は、新たな書類にペンを走らせていた。
なんとも真面目なものである。彼はいつも、一枚の書類を終わらせるのに三十分以上かけていたというのに。
何がおかしい。彼は本当に、ディゴール様なのだろうか。
「まあ、とりあえず座るといい。いや、エスコートが必要か?」
「は、はい?」
違和感に固まっていた私に、ディゴール様は立ち上がり手を伸ばしてきた。
彼はまた不敵な笑みを浮かべて、その赤い瞳を光らせている。それに私は、困惑していた。不覚にもディゴール様のことを、かっこいいなどと思ってしまった。
「ひ、一人で座れます」
「そうか? 釣れないな?」
私が彼の手を取らず、自らの椅子に腰掛けると、彼は少し残念そうにしながら自分の椅子へと戻っていった。
やはり、何かがおかしい。今目の前にいる夫は、私が知る夫ではないのかもしれない――。
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