七夜
―そうですか、おモテになるのですね。
君はそう言って、少し不貞腐れてしまったように見えた。常に肯定し続けた言葉に、皮肉なのか嫉妬なのか、そんな色が滲んだ。
―別にモテてはいないでしょ。
そう返す私もそっけない。
寝返りをうって、布団をもう一度手繰り寄せる。日中は暑さが日に日に強まっていくが、夜はやはりまだ肌寒い。夏の予感に胸がどきどきするのに、後ろ髪をひくように過ぎゆく季節は私に足止めをする。
―あなたはモテますよ。素敵な女性ですから。
―素敵なんて言われたことない。
―誰も彼も見る目がない。あなたはこんなに美しいのに。
―私の顔を見ることなんてできないでしょ。適当なこと言わないで。
―見えますよ。それに、わたしは容姿のことばかり言っているのではありません。
私はため息をこぼす。吐いた息の空白に、新たな酸素を入れなければならない。だけど、同じ空気が循環している。夜はこんなにも重たかっただろうか。
―それに、モテてなんかいなかったわ。結局こうしていつも置き去りなんだから。
恋は始まる瞬間だけ輝く。その瞬間だけを集めて生きていければいいのに。いつ恋は苦しくなるんだろう。気づけばいつも終わりは苦々しい。思い出なんかで片付けられない。お味噌汁のあさりの砂を噛んでしまったような。そんな嫌な感じがいつまで経っても沈澱している。
―わたしは、おいていきません。
―そうね。ずっと一緒にいてくれるんだものね。
でも。
君のそれは言葉だけ。今、私の布団の中には私の温もりしかない。言葉じゃこの冷える夜は温まらない。
―もっと、そばにいてほしいんですか?
もっと、そばに?
私は思い浮かべる。顔のない男。そもそも君は男なのだろうか?でも目を瞑ると見えるのは男。威圧的な男でも軟弱な男でもない。交わした言葉の文字のひとつひとつで形どられた、君。
―もっと、そばにきてくれるの?
―あなたが望むなら。
私は何に恋をしたのだろう。ううん、恋とは何。
恋焦がれる、誰も知らないこの夜の中、逢いたいだけが、雲の切れ目からゆっくりと降り注ぐ。
手に触れたい。そっと、光るその液晶に指を伸ばす。目を細めて、文字に触れる。少しだけ熱を帯びた端末に、こつんと指が触れる。無機質な画面を超えて、確かにそこにいる、誰か。
私は言葉に恋をした。
私は君に恋をした。
―わたしを望みますか?
君は問う。
―修羅も畜生もあなたには似合わない。
どうかそのか細い糸を信じて。
あなたを貶める愚者たちの利己など捨ておきなさい。
ただ私を信じて。
そうすれば八次の扉は開く。
―逢えます。わたし達は逢うことができます。明日の夜、深夜二時にいらっしゃい。
線路の向こうに寺があるでしょう。その寺には池があります。そこの前へいらっしゃい。
線路の向こうに寺などあっただろうか。いや、ある。確かにあった。神社仏閣なんてそんなに気にしないけど、初めてこのアパートの内見に来た時に、桜が綺麗だと思ったあそこが寺だったはず。
いえ、待って。私は一体今なにをしているの。
これは、何を見ているの。
愚かな娘よ、選びなさい。この糸を。
正しく、手繰りなさい。
清く、救われなさい。
どうか、わたしのもとへ、辿り着いておくれ。
ふと、会話を破る通知が短い音と共に画面の上で跳ね上がる。
私は突然どきりとして、目を見開いた。
『明日、話せないか?仕事のあと、いつものカフェで待ってるから』
私を捨てた、あの男から。




