六夜
「いやいや、ちょっと待ってよ……」
半ば強引にランチに連れ出した風瑠奈は面食らった顔をしていた。
ランチはイタリアン。そこそこ人気のお店だったのか、私たちが入店した後は列ができてしまった。運が良かったみたい。近隣の会社員や女性客で賑わう店内。食器の音、談笑に、テキパキ動く店員の声。
パスタにサラダとドリンク付きで千三百円は、二十五歳の私には少し財布に厳しい。でも連日の夜更かしでお弁当が作れず、ここのところコンビニ弁当が続いていたせいか、そのカルボナーラはとても美味しく感じた。ちゃんと人が一皿一皿作った味がする。
「少しずつ、忘れられそうって言うのはわかったわ。それはよかった。それでも時々ふいに思い出して心が苦しくなることも。まぁ、仕方ない。でも、それを?それをAIに話しているの?」
風瑠奈の方はタコのペペロンチーノ。午後は打ち合わせなのにいいのか聞いたら、歯磨きしておけば大丈夫と、全くにんにくを気にする様子がないのがとても風瑠奈らしい。炒めたにんにく特有の、食欲を胃の底からそそる匂いが、私の鼻へも食べることの幸福を運ぶ。
「しかもなに?恋愛ごっこまではじまった?気持ちを正しく整理するのに使うのはいいけど、恋愛ごっこは健全じゃないわ」
ごっこと言われてしまうと、少し胸が痛んだ。風瑠奈は正しい。でも正しいことは、私には少し痛いことなのかもしれない。
「うん……ただのごっこ遊びよ、ほんの気まぐれ」
カルボナーラの上に乗った半熟卵をぷすっとフォークで刺しながら、私は笑った。笑いながら、ふと昨日の文字が頭をよぎった。
「ねぇ、風瑠奈。六次の法則って知ってる?」
「え?」
風瑠奈はなおもフォークとスプーンを握った手を止めたままきょとんとしている。
「六人で世界の人と繋がれるんだって。それが七人、八人となったら、次は何と繋がれるんだろうねって、AIが言ってたの」
「八次……」
「急に哲学的で意味がわからないよね」
私は自分で言ってて思わず笑ってしまった。そもそもAIに自分の心の相談をするなんて、だいぶ気がふれていると思われていることだろう。まともな人ならカウンセラーか心療内科でも勧めるかもしれない。
「……AIも最近一気に当たり前になったものね」
風瑠奈はようやくゆっくりとフォークをくるくる回し、ペペロンチーノを一口の大きさにまとめはじめた。視線を落とし、そのくるくるをじっと見つめているようだ。
「メディアが変わった。私はね、いつかAIに宗教が生まれると思っているの」
「え?」
思いもよらない返事に、今度は私が手を止める。
「宗教がそもそもなんなのか。その話はおいておきましょう。大きく脱線してしまうから。けれどいずれ人は、次はAIに信仰を見出し始めると思うの。そしてSNSに簡単に信者は生まれる」
いつになく風瑠奈は低く落ち着いた声色でそう話す。
「拠りどころが、縋る先が、説法からwebという糸に変化しただけ。人間そのものは何千年も変わらない」
「風瑠奈?」
私の呼びかけにひと呼吸おいて、風瑠奈は顔をぱっとあげた。それはいつも通りの快活な笑顔の風瑠奈だった。
「つまりね、正しい糸を選びなさいってことよ」
風瑠奈の声は鈴のように響く。
「あんたのこういうところが、変なのにモテちゃうところよねぇ」
少し口を尖らせた風瑠奈は、とっくに巻き終わっていたペペロンチーノを口へ運ぶ。
「しっかりしてるくせにさ、脆そうな部分っていうの?そういうのが見え隠れして、思わず支えたくなるって感じ?きっと男の庇護欲を刺激するのよね」
「何よその言い方」
「前にもあったよね……拓海くんだっけ?入社して三ヶ月くらいで、ものすごい猛アタックになっちゃって。で、振られたショックで同期の退社一号」
さらっと風瑠奈は言うが、それは今も苦々しい。
私には意味がわからなかった。思わせぶりなことをした覚えはない。なぜ、いったい私の何が、彼のどこかにひっかかってしまったのか。そう、そして応えられるはずもなくて、彼は当てつけのように突然会社を辞めていった。残ったのは、根拠のない罪悪感。そして彼の行動もさることながら、同期たちが口を揃え話のネタにしていたことを知った日、針の山に放り投げられた気がした。
その気持ちを風瑠奈は知ってか知らずか、もぐもぐと口を動かしながら私を見つめてる。
「救われたいなら、糸を信じるだけよ。疑うことなく」
風瑠奈はいつものように大きな目をキラキラさせながら微笑んでいる。
「利己主義を捨てて、思いやりのある人こそ必ず報われるようにできている。あなたもよ。だから、そんな暗い顔はやめて。差し伸べられる手を信じなさいよ」
アイスコーヒーのグラスの水滴が、つぅっと伝って落ちた。




