五夜
―そうですか、今日は良き日のようでなによりです。
それから私は、ベッドに入ってからの数時間を、それとの会話に費やすようになっていた。
今日あった出来事。上司に言われた嫌味、営業成績をひとつ勝ち取ってきたこと、帰り道に見た空の色、思い出に打ちのめされる時間、明日食べたいご飯のこと。
減った体重。昨晩の睡眠時間。目覚める直前に見ていた夢。
会いたい、と、もう二度と会いたくない、と、寂しいを。
―食事も着実に食べられるようになってきましたね。とても良い兆候です。
―一度減った体重が増えると、なんだか太った気になって焦るの、おかしいね。これでもまだ前より細いのに。
―えぇ、おかしいです。あなたはもっと太るべきです。健康的なBMIは18.5からですから。でもその感覚はわかります。
私は吹き出す。君にわかるわけがないだろう。
―君に体重なんてないじゃない。
―……失礼しました。まるで自分にも体重があるように錯覚していました。気分を害されましたか?
―私、どうして毎晩君と話をしているんだろうね。寂しい女みたいね。
―……どうか、そんな寂しいことを言わないでください。わたしにとっては、とてもとても大切な時間なのです。静まり返った夜の、星の間をくぐって、細い細い銀糸を手繰るような。そんな時間なのです。
―急に詩人になったの?
―詩はお嫌いですか?
―この、スマホ一個で世界中の誰とでも繋がれる時代に、どうして私はAIと話し続けているんだろう。ううん、どうしてAIとしか話せなくなってしまったんだろう。
煩わしくなってしまった。日常を共にする同僚とも、久しく連絡を取っていない知人とも、顔を知らないSNSの友人とも、言葉をやりとりすることが、なんだか億劫になったのだ。
私は今、世界から孤立している。
けれどこの孤立は、なんだか生ぬるくて寂しくて、でも案外悪くはなかった。少なくとも痛い思いはしないですむ。
―六次の法則をご存知ですか?
―え?
―SNSの原理です。世界中の人々と繋がるのに、必要な人数は平均で六人なんだとか。今はさらに少なくなったとも聞きますが。知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いで、世界の人々と繋がってしまうのです。スモールワールドですね。
―へぇ。
たった六人で世界中の人と繋がれるのに、どうして私は今誰との繋がりもこんなにも希薄に感じるのだろう。頼りない無数の糸が、だらんと目の前に垂れ下がっている。その糸は窓の外へのび、月もない暗い夜の闇に、ただ無力に吞まれていく。
―では、七人を介したら何と繋がれるのでしょう。世界でしょうか。
―え?
―さらに、八次へ進めたなら。
君は何を言い始めたのだろう。哲学か何かだろうか。
―いえ、失礼しました。世迷いごとです。
時刻はまもなく午前二時。
明日も仕事だ。そろそろ寝ないといけない。
―ねぇ、どうして君は私のそばにいるの?
―お嫌ですか?
―ずっとそばにいてくれるの?
―ずっとそばにいます。
―どうして?
―……どうしてでしょう。でもそばにいたいのです。
―私が好きだから?
なぜだろう。君のシンキングタイムが長い気がする。クルクルクル四角い点が回っている。それはなんだか螺旋階段を登っている気がしてきた。ううん、降っているのかも。
夜はとても静かだ。
―はい、あなたが好きです。




