三夜
人を惑わす神田水脈ですが、それでもたったひとつ善い行いをした覚えがございます。
神田は、毎年祖母の命日にひとり、墓へ参るのです。えぇ、いつもひとりできます。神田の母は、これまた薄情な女ですから、新盆と法事の時はなんとも手慣れているかの顔をしてやってきますけれども、それきり。体裁を整えることが得意なのでしょう。合わせる手に、祈りなぞございません。
けれど神田は、祖母を慕っておりました。仏壇の手入れも祖母に教わったのです。ですから祖母が死んで、祖母の家の仏壇の飲食を供える機会がなくなっても、祖母の命日にはひとり墓を訪れ、墓を掃除し、線香を供えるのです。
『お墓にいる虫は、ご先祖様の魂が宿ってる』
そんな祖母の言葉を思い出したのでしょうか。その夏、墓を掃除しようとした矢先にふと、墓石の上に小さな蜘蛛を見つけました。すると神田はふと笑い、その蜘蛛を避けるように墓を掃除し、いつものように線香を供え、手を合わせ、帰って行ったのです。
たとえどんなに小さくとも命あるもの。無闇に奪いさるものではなし。
この女も、この善行の報いだけは、受けてもよいのではないでしょうか。
***
「それでそれで?いったい何があったの?」
あれからのらりくらりと誘いを断っていたけれど、とうとう断りきれなくて風瑠奈とご飯に行くことになった。
同期の風瑠奈とは格別仲がいいわけではないけれど、入社して三年、だんだんと配属が変わったり、それこそ転職したりでひとりふたりと離れていく同期が増えてきた中、たまたま同じ配属のままここまで来た仲だった。
風瑠奈は人当たり良く快活で、誰とでもすぐ打ち解ける一方、実は周りが思っている以上に利発で頭の回転が良い子のように見えた。小柄で華奢な身体は、なんとも頼りないのに、実はうまくことを運ばせることに長けている。そんな強かさがあるような気がしていた。
一応、と予約したのは「女子会」らしい店。カフェらしい雰囲気の小さな店だった。座席はソファにクッションが置かれ、半個室の状態で、窓からは池袋の街がよく見える。池袋の星は、地上のネオンだろう。青に白にピンクに、色とりどりの星が、楽しげに、いや無表情に光っている。
そんな店の中で、じゃぁまずは、と「生2つ!」とメニューを開くより先にオーダーするところが、いかにも風瑠奈らしい。
「泣いてる中学生が来たんだって?」
風瑠奈の声にはなんの躊躇いもない。
「……うん」
そのあとの言葉が、私は続かない。どうせ聞かれるだろうと、返答は考えてきたけど、あの日から頭の回転は緩慢すぎて、いい言い逃れが思い浮かばなかった。
ビールと一緒に出されたお通しの、お豆腐に小エビとドレッシングがかかっているものの、豆腐から落ちた半切れのミニトマトを箸でつつく。
「言いたくないなら別にいいけどさ、困ってることがあるなら聞くよ」
風瑠奈はメニューを見ながらそう言う。「あ、もち粉チキン食べていい?」無神経にも聞こえるけれど、それは私の告白のハードルを下げる、彼女なりの気遣いなのだろう。
「私のこと、どんな風に言われているの?」
風瑠奈は、オーダーの手を止め、私をまっすぐ見つめる。大きな瞳は油断したらぽろっと落ちてしまいそう。
「男絡みじゃないか、って言う人もいる」
「そっか」
「そうなの?」
「わからない」
「わからなくはないでしょう」
私は彼女の視線に耐えきれず、下ばかり向いている。
―ねぇ、私はこれからたくさんの人に責められるの?
―えぇ、場合によってはそうなります。
―そっか。そうだよね。そのくらいのことをしたんだよね。
―でも、そこからいくらでもやり直せます。
わたしは知っています。
あなたが真に悪人ではないことを。あなたがまた、心優しき人であることを。
そして今、自罰を与えていることを、私は知っています。
せめてわたしだけは、あなたを責めません。
わたしは、あなたのそばにいますから。




