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第6-1話 この世界の中の自分

その夜、俺は早く寝ろと言われた。


が、眠れるわけがなかった。


腹の中に鉄屑と骨と青白い核があると知った直後に、はいそうですかと眠れる人間がいたら見てみたい。


それでなくてもわからない事、知らない事が多すぎる。


俺は寝台の上で、包帯を巻かれた肩を庇いながら上体を起こした。


「……そういえば」


俺は、炉の前で道具を片づけているゲラルトと、薬草を吊るしているアイシャを見た。


「俺、名前を言ってませんでした」


アイシャが目を瞬かせる。


「そういえば……ずっと泥食いさんって」


「二年も泥食いと呼んでたからな」


ゲラルトは悪びれもせず言った。


「ずっと名乗らなかったのはお前だ」


「状況が状況だったんですよ」


二年間は狂ってたそうだし、今日は死にかけて、縫われて、腹の中を見られて。


名前どころじゃなかった。


俺は喉を鳴らしてから言った。


「湊。ミナト、です」


「ミナト」


アイシャがゆっくり繰り返す。


ゲラルトも一度だけ呟いた。


「変わった名だな」


「俺のいたところでは、普通……たぶん普通です」


「姓は?」


「桐生です」


こちらも聞いた事が無いと首をかしげるゲラルト


「じゃあ、ミナトだな」


ゲラルトは短く言った。


「俺はゲラルト。姓は捨てた。」


「捨てた?」


「長くなる。今は聞くな」


いきなり布石みたいなことを言わないでほしい。


アイシャは少し背筋を伸ばした。


「私はアイシャです。アイシャ・ベルカ。ここで師匠の弟子をしています」


「よろしく、アイシャ」


「……はい。よろしくお願いします、ミナトさん」


さん付けされた。


さっきまで泥食い扱いだったので、少し人間に戻れた気がする。


この勢いで、俺は聞くべきことを全部聞くことにした。


「ここは、どこなんですか」


ゲラルトが壁に掛かった古びた地図を顎で示した。


「アウレリア王国の西の辺境。ロガっていう小さな町の外れだ。俺の工房は、そのさらに外れ」


「王国」


「そうだ。王都はここから馬で二十日以上。ここいらは、王都の法より魔獣の足音の方が近い」


地図には、大陸らしき大きな塊が描かれていた。


真ん中には黒い裂け目のような絵。


黒い裂け目から東にアウレリア王国があり、


裂け目の淵から海までの中間ぐらいに城のマークがあるので、あそこが王都か。


その周囲にいくつか町や村の印がある。


王都から黒い裂け目の間にある一番西の町がロガだそうだ。


「この真ん中の黒いやつは?」


「大淵だ」


ゲラルトの声が少し重くなる。


「魔獣が多い場所だ。昔から人が近づかねえ。近づいた奴の大半は戻らん」


「魔獣って、昨日いた野盗とは別の?」


「当たり前だ。野盗は人間だ。性根は魔獣より悪いこともあるがな」


アイシャが小さく頷く。


「ロガは魔獣狩りと鍛冶で食べてる町です。炭焼き、皮なめし、骨の加工、あとは旅人相手の宿ですね」


「危ない町なんですか」


「危ないです」


即答だった。


「でも、辺境ではまだましな方です。王都から離れているので兵士は少ないですけど、自警団がありますし、師匠みたいな魔剣鍛冶師もいますから」


「魔剣鍛冶師って、珍しいんですか」


ゲラルトが鼻を鳴らす。


「珍しいどころか、まともに名乗れる奴は数えるほどだ。術師で、鍛冶師で、魔獣の骨を見られる目が要る。どれか一つでも欠けたら、ただの鉄屑しか打てねえ」


「術師は?」


「それも多くねえ。血で淡い線を引ける奴はそこそこいる。アイシャみたいに火種を起こす程度ならな。だが、戦場で使える術師は別だ」


淡い線。


血そのものが宙に残るわけじゃない。


血を媒にして、空気の中にうっすら道が生まれる。


昨日の魔術師も、アイシャも、そうしていた。


日本では、法と社会のシステムで弱くても生き残れていた。


ここでは魔獣もいるし、社会の仕組みも整っていないようだ。


強くなければ生きていけないという事だ。


急に空恐ろしくなって、背筋が寒くなった。


「王都はどんなところなんですか?」


「強力な魔法を使う王と子達がいる」


ゲラルトが地図の王都の印を指で叩く。


「アウレリアの王家は、五つの聖跡から力を受け継いだとされてる。火、水、風、土、光。王族の血は、その辺の術師とは桁が違う」


「五つ」


「建国の始祖が神から授かった、ってのが王都の言い分だ。俺はその手の神話は半分も信じちゃいねえが」


火、水、風、土、光。


俺はその並びを頭の中で繰り返した。


闇は?と思ったがないのだろうか。


「西にはルミエールって学者どもの国がある。術を神の奇跡じゃなく、技として扱う連中だ。北にはバルバロス。魔法より鉄と城壁を信じる奴ら。南にはポルタ。砂の海を船で渡る、やかましい連中の町がある」


「砂の海?」


「今は覚えなくていい」


「情報量が多い」


「お前が聞いたんだろ」


それはそう。


でも俺の頭はもう限界に近かった。


それでも、聞かなきゃいけないことがある。


「昨日の連中は?」


工房の空気が少し冷えた。


アイシャの手が止まる。


ゲラルトは炉の火を見たまま答えた。


「赤竜の牙。ロガ周りを荒らしてる野盗だ。元傭兵、逃亡農民、破門された半端術師の寄せ集め。昨日来た奴らは、その中でも腕の立つ方だった」


「なんでここを襲ったんですか」


「魔剣の芯材、魔獣の骨、金になるものがあるからだ。あとは俺への恨みだな」


「恨み?」


「昔、何度か叩き潰した」


「そりゃ恨まれる」


「先に襲ってきたのは向こうだ」


アイシャが補足する。


「私たちの前にも、近くの炭焼き小屋が襲われていたそうです。あの人たち、血がついていたでしょう。たぶん、そこで……」


言葉が途切れた。


俺は床の黒い染みを思い出した。


昨日の男たちの血。


その前に、誰か別の人の血もついていたのかもしれない。


「死体は」


「自警団が持っていった」


ゲラルトが淡々と言った。


「息のあった奴は縛って渡した。息のなかった奴もな。賞金が少し出る。扉の修理代にも足りんが」


「逃げた奴は?」


「二人いる。森へ逃げた。しばらくは戻らんだろうが、根城が残ってるなら面倒は続く」


この世界は、昨日襲われたから終わり、じゃないらしい。


敵は逃げる。


仲間がいる。


報復もある。


当たり前のことなのに、胃の奥が冷えた。


『警戒は妥当です』


頭の中で声がした。


空き棚の前。


角つきのカピバラは、やはり棒立ちのままこちらを見ている。


俺はカピバラに向き直り、今度こそ、念じるだけで話しかけようとした。


けれど、口から出た。


「お前のことも聞きたい」


ゲラルトは「また始まったか」という顔をした。


『質問の範囲を限定してください』


「お前は何なんだ」


『守りの番です』


「番?」


『貴き人の傍らに置かれ、危険を先んじて知らせるものです』


「つまり護衛?」


『近い言葉です』


「じゃあ、なんで俺の中にいる」


『本来の座ではありません』


初めて、カピバラの声にわずかな乱れが混じった気がした。


『私は本来、人の内に収まるはずでした。お前のような猿ではなく』


「また猿って言ったな」


『事実です』


「お前の言う人って、俺たち人間じゃないのか」


『違います』


即答だった。


その言葉だけ、妙に重かった。


ゲラルトが腕を組んだ。


「そいつは何を言ってる」


「自分は本来、俺たちじゃない人を守るためはずの番だったって。」


アイシャが困惑する。


「俺にもよく分からない」


『さらに、お前の肉に合わせたり、お前が狂っている間にこの猿達の言語解析、習得する際、多くの記録が欠けました』


カピバラが続けた。


『道の場所、敵の形、掟の大半。欠落しています。長い眠りの記録も曖昧です』


「長い眠り?」


『数えは壊れています。ただ、極めて長い。季節が千を超えた可能性があります』


千。


その数字に、ゲラルトが目を細めた。


「古い遺跡の核なら、ありえねえ話じゃねえ」


俺は喉を鳴らした。


「じゃあ、お前も混乱してるのか」


カピバラは少し沈黙した。


『混乱、という語は不正確です』


「じゃあ何」


『判断材料が不足しています』


「それを混乱って言うんだよ」


『猿の語彙は乱暴です』


いつもの調子だった。


けれど、ほんの少しだけ分かった気がした。


こいつは俺を見下している。


でも、単に偉そうなだけじゃない。


本当に知らないのだ。


俺たちのことを。


この世界の今のことを。


自分が何を守るべきだったのかさえ、半分失っている。


「それで、俺を守ったのは?」


『お前が死ぬと、私の核も損なわれます』


「実利かよ」


『加えて、お前が人に利する存在か、害する存在か判じる必要があります』


「二千年だか千年だか知らないけど、その人たちは今どこにいるんだよ」


『不明です』


短い答えだった。


それ以上、カピバラは何も言わなかった。


俺は少しだけ息を吐く。


「つまり、お前は俺を信用してない」


『はい』


「でも俺が死ぬと困る」


『はい』


「だから最低限守る」


『はい』


「最悪の仮契約だな」


『契約ではありません。監視です』


「もっと最悪になった」


アイシャが恐る恐る聞く。


「その……見えない番は、ミナトさんに危害を加えるんですか?」


「俺が危ない猿だと判断したら、排除するとか言ってた」


「排除!?」


『現状では非推奨です』


「現状では、ってつけるな」


ゲラルトはしばらく黙っていた。


そして、ぽつりと言った。


「まあ、少なくとも昨日は役に立ったんだろ」


「首が飛ぶ未来は見せてくれました」


「なら使え」


「信用するな。だが、使えるものは使え。剣も術も腹の石も同じだ」


ゲラルトらしい雑な結論だった。


けれど、妙に納得できた。


信用しなくていい。


でも、見なかったことにはできない。


俺の腹の中にあるもの。


頭の中に立っているもの。


それらを抱えたまま、生きるしかない。


俺は両手で顔をこすった。


「整理すると」


声に出してみる。


「ここはアウレリア王国の西辺境、ロガ。王都は遠い。魔獣がいて、野盗もいて、血で淡い線を引く魔法がある。

俺は魔法が使えない。腹に変な核と鉄屑があって、それが術の流れを拾う。

クジラはこの世界にはいないのに、遺跡には絵がある。

頭の中には俺を信用してない守り番がいる」


言い終えて、俺は黙った。


「……詰みそうじゃない?」


アイシャが困ったように笑った。


「でも、生きてます」


ゲラルトが炉の火をつつく。


「生きてりゃ鍛え直せるって言っただろ」


『生命活動は継続中です』


「お前は黙ってろ」


カピバラは黙らなかった。


『監視は継続します』


「はいはい」


『猿が人を害さないと判明するまで』


「長くなりそうだな」


『同意します』


腹立つ。


でも、少しだけ怖さが薄れた。


分からないものに囲まれていることは変わらない。


けれど、名前を名乗った。


ここがどこかを知った。


敵が何者かも知った。


俺の中のカピバラが、何を迷っているのかも少しだけ知った。


知らないまま震えているよりは、たぶんましだ。


その夜、俺はようやく眠った。


肩は痛い。


腹の奥は気持ち悪い。


工房の奥には、相変わらず棒立ちの守り番がいる。


それでも、深く眠れた。



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