第3話 魔剣の切れ味、猿の思考
ゲラルトは前衛三人を抑えるのに手いっぱいだ。
その脇で俺とアイシャを狙って魔術師がおそらく術を構築している。
この間に逃げるか、、いや、逃げ切れるか?
刹那に思考が走るが頭痛でまとまらない。
俺は血まみれの手で鉄パイプを握り直し立ち上がり、燃え上がる血の輪を睨んだ。
火の粒が、膨らむ。
赤い輪の中心で、獣の目みたいにぎらりと光った。
無理だ。
あんなもの、細身の鉄パイプ一本で防げるわけがない。
もうなにしたって無理だ。
けれど、俺は火そのものではなく、火を囲っている赤い線を見ていた。
血で描かれた細い輪。その下端。
頭痛の波はそこから来ている。
理屈は分からない。
でも、分かった。
あそこだ。
あそこが、火の喉だ。
まるで赤い輪が頭痛になる声を発しているようだった。
どうせ死ぬなら。
「アイシャ、伏せろ!」
俺は叫ぶと同時に、鉄パイプを突き出した。
体はうまく動かないが切られた痛みで覚醒したのか、少しは手足が動くようになった。
転がるように前へ倒れ込みながら、全体重を乗せて突き出して、投げた。
黒い鉄の先が、赤い線の結び目に触れた瞬間。
じゅっ、と嫌な音がした。
水に焼けた石を落としたような音。
血の輪がぐにゃりと歪む。
「なっ――」
魔術師の男の顔から笑みが消えた。
直後、火の粒がこちらに飛ぶ代わりに、横へ裂けた。
爆ぜた炎が天井を舐め、吊るされていた獣の皮に燃え移る。
熱風が顔を叩いた。
俺は床に転がり、肩の傷からさらに血が噴いた。
「ぎっ……!」
痛い。
熱い。
息ができない。
でも、燃えてない。
アイシャも、俺のすぐ横で床に伏せていた。
髪の先が少し焦げているだけだ。
生きている。
「てめえ……!」
魔術師の男が、信じられないものを見る顔で俺を睨んだ。
「術の首を、鉄屑で突いただと……!」
術の首。
やっぱり、あそこが急所だったのか。
俺は荒い息を吐きながら、視界の端を見た。
奥の壁際。
獣の剥製や骨の並ぶ棚の前に、あの角の生えたカピバラが立っていた。
二本足で。
棒立ちで。
何もせず。
ただ、つぶらな目でこちらを見ている。
『猿にしては、上出来です』
「言い方!」
アイシャがぎょっとして俺を見た。
「だ、誰と喋ってるんですか!?」
「俺にも分からん!」
叫んだ瞬間、魔術師の男が舌打ちした。
「ごちゃごちゃうるせえ!」
そいつは床を蹴り、もう一度こちらへ来た。
さっき俺の肩を裂いた男だ。
薄く光る剣を低く構えている。
ゲラルトはリーダー格の男と打ち合っていた。
大剣と斧がぶつかるたび、工房の壁が震える。
助けは、間に合わない。
『右へ転がれば、足を斬られます』
カピバラが言った。
俺は息を呑む。
「見えるのか!?」
『いいえ。今のはただの観察です。猿でも分かります。敵の肩が右へ沈んでいる』
「冷静に実況してる場合かよ!」
痩せた男の剣が走る。
俺は反射的に、先ほどの爆風で転がってきた鉄パイプを掴んで上げた。
がんっ、と重い衝撃。
腕が痺れた。
防いだ、というより、たまたま間に挟まっただけだった。
刃が鉄を滑り、俺の頬を浅く裂く。
熱い血が顎を伝った。
何とかゴロゴロ転がり距離を取り立ち上がる。
「次で終わりだ」
男が笑う。炉の光を受けて、怪しく目が光る。
先ほど切られた左腕はもう上がりそうにない。
肩が痛すぎて、指の感覚も怪しい。
多少のけん制にと、切られてない方の腕で鉄パイプを上げ、距離を取る為にじりじり下がる。
炉の前を通過し、徐々に壁際に追いつめらている。
口の中が乾く。
水を飲んだとはいえ口の中はまだ鉄くさい。
敵も先ほど鉄パイプに魔法をキャンセルされた為か、多少の警戒があり、距離を詰めてこない。
そもそも魔術師なので、剣はあまり得意ではないのかもしれない。
このまま下がり続けると壁際に追いつめられる。鉄パイプで殴りかかるか?
大したダメージも与えられず返り討ちに合うのが落ちだろう。
何かないか!何か!
その時、俺の目に、床が映った。
さっき吐いた赤黒い泥水。
全部が混ざって、床板の上にぬるぬる広がっている。
そうか!
俺は慎重に下がりつつ相手の位置を調整する。
あと二歩、一歩
いまだ!
俺はおもむろに斜め上を向く。
「うぉぉぉーーーーー、オッオッオッ!」
突然の俺の奇声に魔術師の男がビクっとする。
「オロオロオロー」
俺は先ほど飲んだ水を胃から口の中に吐き戻した。
体が前に倒れそうになるが、全力で我慢。
「(くらえ!)」
鉄パイプを口につけると、吐しゃ物を一気に吐き出した。
魔術師の男へ、ではなく、炉の方へ
「ドンッ!!!」
直後、炉から激しい音と共に白い煙が噴き出した。
魔術師の男は炉から発生した衝撃で横に吹っ飛んだ。
「魔法!?」
離れて戦っている敵のリーダーらしき男が叫んだ。
アイシャは口に手を当てて呆然としていたが、
いつの間にか手にしていた金槌をもって、魔術師の男に走り寄り、頭を殴打。
「や……やりました……?」
「たぶん……」
俺はそう答えたが、こっちも今にも気絶しそうだった。
その間にも、ゲラルトは化け物みたいに動いていた。
リーダー格の男が斧を振るう。
ゲラルトはそれを大剣で受けない。
半歩ずらして、斧の柄を刃で撫でた。
その瞬間、刃の根元に埋め込まれた白い欠片が赤く脈打つ。
大剣の周りに、火の粉が巻いた。
斧の柄が、内側から焼けるみたいに裂けた。
「くそっ!」
リーダーが飛び退く。
そこへ、魔術師がまた指を走らせた。
今度はさっきより大きい。
二重の血の輪。
火の粒が三つ。
俺の時とは違う。
明らかにゲラルトを殺すための術だ。
「師匠!」
アイシャが叫ぶ。
ゲラルトは振り向きもしなかった。
「遅え」
短く言って、大剣を横に薙いだ。
刃が、空中の血の輪に触れる。
いや、触れたんじゃない。
斬った。
赤い線が、布みたいに裂けた。
火の粒は爆ぜることすらできず、煤のように空中へ散った。
俺は口を開けたまま固まった。
魔法を、剣で斬った。
そんな馬鹿な。
いや、鉄パイプで出来るならここはそういう世界なのか?
ゲラルトは一歩で魔術師の懐に入った。
大剣の腹で、男の胴を殴りつける。
骨が折れる音がした。
魔術師は壁まで吹き飛び、吊るされていた骨の山に突っ込んで動かなくなった。
「三流が」
ゲラルトは吐き捨てる。
リーダー格の男の顔から、余裕が消えていた。
「おい、引くぞ!」
扉の外にいた野盗たちがざわつく。
だが、ゲラルトは逃がさなかった。
踏み込み。
斬撃。
リーダーの剣が根元から折れる。
次の瞬間、ゲラルトの拳が男の顔面にめり込んだ。
男は鼻血を撒き散らしながら床に転がった。
残った連中は、声も出さずに逃げた。
馬のいななき。
慌ただしい足音。
やがて、それも遠ざかっていく。
工房に残ったのは、燃えかけの獣皮がくすぶる臭いと、血の臭いと、荒い息だけだった。
俺は鉄パイプを握ったまま、床に仰向けになった。
天井が揺れている。
いや、揺れているのは俺の目か。
「小僧」
敵のリーダーと吹っ飛んだ魔術師の男にとどめを刺しつつ、
ゲラルトが近づいてくる。
その大きな影が、俺の上に落ちた。
「お前、今の術の結び目が見えたのか」
「……見えたっていうか」
喋るだけで肩が痛い。
「なんか、一箇所だけ、気持ち悪くて……そこ突いたら、たぶん壊れるかなって……」
ゲラルトの目が細くなる。
怖い。
怒っているのかと思った。
けれど違った。
あれは、炉の中で偶然変な色に光る金属を見つけた職人の目だ。
「気持ち悪い、か」
ゲラルトは俺の手から鉄パイプを取り上げた。
黒い筒の先は、赤く焦げていた。
「それはただの火掻き棒じゃねえ。失敗作だが、魔獣の骨を練った魔剣の芯材だ。普通の鉄なら術に触れる前に弾かれる。だが、こいつなら引っかかる」
「先に言ってくださいよ……」
「お前が勝手に使ったんだろうが」
それはそう。
返す言葉がなかった。
アイシャが震える手で布を持ってきた。
「肩、押さえます。痛いですけど、我慢してください」
「もう痛いから大丈夫」
「大丈夫じゃない返事です、それ」
布が傷口に押し当てられた瞬間、視界が白く弾けた。
「いっっっ……!」
変な声が出た。
カピバラはまだ奥にいた。
剥製の列の前で、何もせず、ただ立っている。
こいつが何なのか。
なぜ声が頭に響くのか。
聞きたいことは山ほどあった。
だが、口を開く前に、ゲラルトが俺の服の襟元を掴んだ。
「傷を見る。暴れんな」
「いや、もうちょっと優しく――」
びり、と布が破れた。
遠慮がない。
本当に遠慮がない。
その時、胸元から何かが滑り落ちた。
細い紐。
そこに括りつけられた、小さな青い飾り。
俺はそれを見た瞬間、息を止めた。
クジラだった。
丸みを帯びた青い体。
小さな尾びれ。
安っぽいプラスチックのキーホルダー。
なんで。
なんで、これが。
ゲラルトの表情が変わった。
さっきまでの職人の目とは違う。
もっと深いものを見たような、重い目だった。
「お前を拾った理由がそれだ」
ゲラルトは、俺の胸元で揺れる青いクジラを見下ろした。
そして低く呟いた。
「なぜおまえが幻獣の絵をもっている。それはどこで手に入れた。」
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