第12話 死の中で見つけた道
助けた、というほど立派なものじゃない。
戦場の端で、たまたま枷を外しただけだ。
俺たちに礼を言うわけでもない。
振り返るわけでもない。
それでよかった。
生きて逃げたなら、それでいい。
開けた場所の中央は、先ほどの爆発の余波で土砂が舞い、木の枝が折れ、赤竜の牙の男達も、そしてゲラルトも倒れていた。
倒れていた蜥蜴もゆっくりと立ち上がる。
「撤退だ! 割に合わねえ!」
生き残った赤竜の誰かが叫んだ。
もう統率なんてない。
罠で吹き飛んだ二人。
ゲラルトに斬られた笛持ち。
蜥蜴の火に巻かれた男。
生き残った連中は、仲間を引きずる余裕もなく、森の奥へ散っていく。
野盗がいなくなった為、緋角蜥蜴はゲラルトに的を絞る。
ゲラルトが立ち上がり構えた途端、緋角蜥蜴の尾が横薙ぎに走った。
大木みたいな尾。
ゲラルトは大剣で受け流した。
だが態勢不十分だったゲラルトの体が半歩ずれた。
左腕の袖が裂け、血が散った。
「ゲラルトさん!」
俺は思わず叫んだ。
「かすっただけだ!」
ゲラルトは怒鳴り返した。
その声はいつも通りだった。
余裕がある。
少なくとも、本人はそう見せている。
けれど、血は出ていた。
俺のせいだ、と思った。
罠を鳴らしたのは俺だ。
あの獣を逃がそうとして、勝手に動いたのも俺だ。
その結果、ゲラルトが怪我をした。
「思い上がるな、小僧!」
ゲラルトは蜥蜴の尾を避けながら叫んだ。
「罠場で暴れりゃ、誰でも傷はつく!」
それでも、胸の奥は重かった。
緋角蜥蜴は怒り狂っていた。
脚には白い棘が刺さり、脇腹には焦げた傷がある。
何とかしなきゃ。
「カピ、確認したい事がある」
俺がカピと話している間もゲラルトとトカゲの応酬が続いたが、
ふいに蜥蜴が雄叫びを上げた。
「シャアァァ!!」
蜥蜴の背中の緋色の角が、どくん、どくんと熱を帯びだした。
開いた口の奥で、炎の粒が集まった。
「あれ、まずいですよね」
アイシャが青ざめた声で言った。
「まずい」
俺も分かった。
腹の奥が焼けるように熱い。
あれはただの火じゃない。
蜥蜴の体内で溜め込まれた熱が、今まさに吐き出されようとしている。
ゲラルトはまだ間合いの内側にいる。
「……どれだ」
声が漏れた。
「……どれだ!カピ!」
まだカピへの確認が終わってない。
その時、緋角蜥蜴の角が一際赤く光った。
炎が来た。
ゲラルトが横へ跳ぶ。
蜥蜴の火は地面を舐め、赤竜の牙の男たちの亡骸を巻き込んで爆ぜる。
アイシャが吹き飛ぶ。
俺も、熱で息ができなくなる。
全身が炎に巻かれ、熱と痛みで身体が勝手に縮こまる。
火掻き棒を握ったまま、地面に転がる。
肺が焼ける。
目が開かない。
暴力的な炎の渦の中、皮膚が爛れ、焼け落ちていく感覚がある。
音がない。
死ぬ。
暗転。
瞬間、急に視界が開け、音が戻った。
今の死はカピが見せた死の予兆、死相だったようだ。
「シャアァァ!!」
蜥蜴はまだ炎を吐いていない。
まだ、肺の奥がやけ着いた感覚が残っているが、ぐっとこらえる。
今なら間に合う。
俺は鉄パイプを杖にして、泥と血の混じった地面を蹴った。
「ミナトさん!?」
アイシャの声。
答える余裕はない。
「どれだ!カピ!」
『獅子の模様!』
カピが応える。
死の中で見た男の骸。
俺は沼の水と泥でぐちゃぐちゃになり、ロクに動かない足で、
何度も転びそうになりながら、そこへ走った。
肩が痛む。
脇腹が裂けそうになる。
足がもつれる。
指が届く。
軽い。
骨だ。
血で滑る。
それでも、地面に転がる白い筒へ手を伸ばし探す。
魚でもない、羊でもない。
あった、獅子だ!
俺は白い獅子模様の笛を口元に当てた。
さっき男たちがしていたように、息を叩きつける。
一度目は、かすれた音しか出なかった。
「出ろ……!」
二度目。
肺の奥から、無理やり息を絞る。
低い音が鳴った。
ぼう、と骨の中で風が震える。
瞬間。
蜥蜴の前脚の下。
地面に沈んでいた淡い輪が、ぎゅっと縮んだ。
次の瞬間、白い棘が地面から突き上がった。
一本じゃない。
何十本も。
緋角蜥蜴の前脚と胸元に食い込み、巨体が大きく傾く。
「ギャアアアアッ!」
蜥蜴が炎を吐いた。
だが、姿勢が崩れたせいで狙いがずれた。
炎は空へ逸れ、ねじれた枝を焼き払う。
その一瞬。
ゲラルトが動いた。
「よくやった、小僧!」
大剣が赤く脈打つ。
踏み込み。
斬撃。
緋角蜥蜴の首筋、角の根元。
硬い鱗の隙間へ、魔剣の刃が吸い込まれるように入った。
鉄が骨を断つ音。
続いて、熱い血が噴き出した。
蜥蜴の緋色の角が、根元から片方、ばきりと折れて宙を舞う。
巨体が暴れる。
尾が地面を叩く。
もう一撃。
ゲラルトの大剣が、今度は喉元を斬り裂いた。
緋角蜥蜴は数歩よろめき、赤い泡を吐いて、地響きを立てて崩れ落ちた。
森に、ようやく静けさが戻った。
俺は笛を握ったまま、その場に座り込んだ。
足が震えて、もう立てない。
肺が痛い。
肩も痛い。
脇腹も、さっきから熱い。
でも、生きている。
「ミナトさん!」
アイシャが駆け寄ってくる。
「馬鹿ですか! 馬鹿なんですか!?」
「たぶん……」
「なんで私に言ってくれないんですか!」
「笛が、、死んだ時に見えたので……」
「言ってる意味が分かりません!」
それは俺もそう思う。
ゲラルトは倒れた蜥蜴の横で、血を払っていた。
左腕から少し血が垂れている。
けれど、本人は気にしていない。
本当に軽傷らしい。
「ゲラルトさん、腕……」
「かすり傷だ」
「でも」
「お前の方がよほどひでえ顔してる」
言われて、自分の顔を触る。
泥。
汗。
血。
たぶん涙も混じっていた。
ゲラルトは折れた緋色の角を拾い上げる。
まだ熱を持っていて、空気がゆらゆら揺れている。
「上物だ」
「命がけで第一声それですか」
「お前が勝手に命懸けだっただけだ」
確かにそうかもしれない。
ゲラルトは俺の手にある白い笛を見た。
「それを使ったのか」
「カピが教えてくれたんです」
「使えるものを使ったな」
「俺もそう思います」
ゲラルトは少しだけ笑った。
「悪くねえ」
その言葉で、肩の力が少し抜けた。
カピは、少し離れた場所に立っていた。
逃げていったカピバラに似た獣が消えた森の方を、まだ見ている。
そして、ゆっくりと俺の方を向いた。
『評価を修正します』
いつもの声。
けれど、少しだけ違った。
「また猿判定か」
『はい』
「聞きたくないけど、どうぞ」
少しの沈黙。
それから、カピは言った。
『お前は、良い猿です』
「……どうも、またカピに助けられたな」
アイシャが俺の顔を覗き込む。
「またカピさんですか?」
「うん」
「何て?」
俺は少し迷ってから言った。
「良い猿だって」
アイシャは一瞬きょとんとして、それから吹き出した。
「よかったですね」
「よかったのかな」
ゲラルトが緋角蜥蜴の角を肩に担ぐ。
「立てるか、良い猿」
「呼び方増やさないでください」
「なら立て、ミナト。血の匂いで別のが来る」
どぎまぎしながら周りを見る。
俺は鉄パイプを杖にして、なんとか立ち上がる。
さっき逃がした丸い獣の気配はもうなかった。
生き延びたなら、それでいい。
俺たちも、生きて戻らなきゃいけない。
胸元のクジラが、服の内側で小さく揺れた。
俺は鉄パイプを握り直し、ゲラルトとアイシャの後を追った。




