第5章 クモの巣とスーパーカー、そして進の孤立
【理屈の檻と、消えない問い】
昭和46年。
保育園に通うようになった進。
しかし進は、早くも周囲の子供たち、そして大人たちの常識との決定的な「ズレ」を露呈させていた。
彼は、ただ普通に遊ぶことや、楽しむことができない子供だった。
物事の裏側にある仕組み、あるいは言葉の定義を突き詰めずにはいられないのだ。
その幼い脳細胞は、常に「なぜ」という疑問を解き明かしたいという熱い思いに突き動かされていた。
ある日、千夜子が買い物に行こうと進の手を引いて商店街へ向かった時のことだ。
進は不意に足を止め、街灯の隅に張られたクモの巣を指差した。
「……ママ。商店街って、クモの巣みたいだね」
千夜子が不思議そうに理由を尋ねると、5歳の進は真剣な眼差しでこう答えた。
「商店街は、ママの財布の中身を食べちゃうんでしょ? クモの巣みたいに、通りかかった人を捕まえて、財布の中身を空っぽにするんだ」
千夜子は、息子のあまりに即物的な発想に苦笑しながら、優しく諭した。
「商店街はクモの巣じゃないわ。クモの巣に捕まったら食べられて終わりだけど、商店街はお金を払う代わりに、美味しい食べ物や便利なものをくれるのよ。それは『交換』っていうの」
進はしばらく沈黙し、頭の中でその理論を組み立てた。
しかし、納得したような顔をしながらも、最後にポツリと付け加えた。
「でも、クモの巣みたいに、できるだけいっぱい食べちゃいたいんでしょ。お客さんを捕まえたいんでしょ」
進は続けた。
「クモの巣だと、食べちゃって終わりだけど、商店街は、わざと逃がしてまた捕まえるんだ。そのほうが何度でも食べちゃえるもんね」
その疑い深い視線は、もはや純真な子供のものではなかった。
【輝かないスーパーカー】
世は空前のスーパーカーブームに沸いていた。
少年たちの話題はランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ、ポルシェといった異国の名車一色だった。
友人のヒロシが、色鮮やかなメンコを広げながら興奮気味に語る。
「見てよ進! カウンタックだよ。排気ガスをいっぱい出して走るんだ、かっこいいだろ!」
しかし、進は冷ややかな目でその絵柄を見つめるだけだった。
「……なんで、煙がいっぱい出るとかっこいいの?」
「えっ、だって、すごいスピードが出るんだもん!」
「それ、答えになってないよ」
進が言う。
「あんな車、この街の細い道で走れるの? 制限速度があるのに、スピードを出したら捕まっちゃうよ」 「スピードを……出せる場所があるんだよ!」
ヒロシが必死に反論する。
「なら、街は走れないね。狭いし、煙はいっぱい出るし、人は二人しか乗れない。何が良いのかわかんない。つまんない車」
【孤立する小さな「正論」】
ヒロシは顔を赤くして黙り込み、やがて「お前とは遊ばない!」と言い放って走り去った。
「事実」を積み上げ、矛盾を突く。
進にとってそれは世界を正しく認識するための普通の行為だった。
ただ、同年代の子供たちにとって、それは「ごっこ遊び」という名の夢を壊す無粋な攻撃でしかなかった。
「うるさい奴」
「面倒な奴」
「理屈ばっかりで可愛くない奴」
そんな評価とともに、進の周囲からは一人、また一人と友人が消えていった。
千夜子は、一人で図鑑を眺め、アリの行列の法則性をノートにメモしている息子の背中を見つめ、複雑な思いを抱いていた。
かつて母・智代が「文字の世界」に逃げ、父・治郎蔵が「実利」を求めて泥を這った。
この子は「理屈」という名の武器を研ぐことで、この息苦しい現実から自分を守ろうとしているのではないか。
その「理屈っぽさ」こそが、後の世で、迷える受験生たちに法的思考を説く最強の武器になるのだ。
しかし、今はまだ、それは自分自身を閉じ込める孤独な檻でしかなかった。
【大岡越前ごっこという不思議な遊び】
ある時、千夜子は、保育園の先生から、こんなことを言われた。
「進君って、面白い遊びを考えついたみたい。不思議なお子さんですね」
(大岡越前ごっこって、何?)
保育園を訪れた母・千夜子が見たものは、実に変わった光景だった。
砂場を平らに均し、ゴザを敷き、何人かが正座して座る裁かれ役の子たち。
そのそばに、ミカン箱を置き、その上に座る代官役の子。
「皆の者、おもてをあげい」
「そのほう、打ち首、獄門」
大岡越前ごっこは、なんとも恐ろしい遊びだった。
保育園の先生が苦笑する。
「打ち首、獄門は、ちょっと良くないかなと思って…どう思いますか?お母様」
千夜子は、どう答えたら良いのか分からなかった。




