第33話 熱砂の幕舎で交わす盟約
砂嵐は、世界を薄布一枚にしてしまう。
境界伯の幕舎へ忍び込む途中で、私とサフィアは風に分断された。視界は金色、息を吸えば喉が痛い。近くの予備幕へ飛び込むと、外の嵐が嘘みたいに音を失った。
「ここで一度待ちましょう」
灯りのない幕舎で、サフィアは自分の水袋を私へ差し出した。私は一口だけ飲んで返す。その所作を見て、彼女はわずかに瞳を細めた。
「全部飲まないのね」
「独り占めは趣味じゃない」
「そういうところ、ずるいわ」
砂を払うため、彼女がベールを外した。月色の髪が肩へ落ちる。神像ではなく、ひどく綺麗なひとりの女がそこにいた。
「皆、私に祈ります。跪きます。けれど欲しいとは言わない」
私は少しだけ迷ってから、本当のことを口にした。
「欲しいわ」
サフィアの睫毛が震える。
「巫王としてじゃない。あなた自身を」
長い沈黙のあと、彼女は私の手の甲へ額を寄せた。祈りの形に似ているのに、これは祈りではない。
「……ようやく、私を地上へ降ろしてくれる人に会えた」
幕の外で砂が鳴る。熱を逃がさないよう自然と距離が近づき、彼女の指先が私の頬をなぞった。
「盟約を。王としてではなく、女として」
「ええ」
口づけは、乾いた空気へ水を落としたみたいに静かだった。激しくないのに、体の奥まで沁みる。サフィアは触れるたび、信仰ではなく自分の意志で選んでいると確かめるようだった。
やがて嵐が弱まる。幕舎の外へ出る前、彼女は私の手へ月の紋を描いた。
「ナーシルの女は、選んだ相手にだけ水脈を教えるの」
その言葉が、どんな鍵より重かった。




