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第22話 金貨より高い口づけ

深夜の東方取引所は、昼間の市場よりずっと静かで、ずっと本音に近い。


 帳場の灯りだけが点いた最上階で、ナディアは靴を脱いで長椅子に座っていた。昼間の派手さを少しだけ脱いだ顔は、思ったより疲れている。


「来たのね」


「契約書の続きよ」


「残念。私はあなたの告白を期待していたのに」


 机の上には、東部の女商人たちの名簿が並んでいた。布商、薬種商、海運、金貸し。どれも女性名義だけ赤い印がついている。


「新税のせいで、三日後には半分が倒れるわ」


 軽い声なのに、指先だけが硬い。ナディアはこの名簿を商売の数字ではなく、人の顔で覚えているのだと分かった。


「助けたいのね」


「当たり前でしょう。私が守らなかったら、誰が彼女たちに“まだ降りなくていい”って言うの」


 私は契約書ではなく、名簿へ手を置いた。


「なら、保護じゃなくて同盟にしましょう。あなたが私に従うんじゃない。私たちが同じ相手を殴るの」


 ナディアが目を細める。


「王太女殿下の前でも同じことを?」


「もう言ったわ。覇道ルートを選ぶって」


 そこで彼女はようやく笑った。商人の笑みではなく、少しだけ年若い女の顔で。


「そういうの、反則よ」


 彼女は契約書を破り、細長い紙片にした。


「文字より先に、私が信じていい相手か確かめる」


「どうやって?」


「簡単」


 ナディアは私の顎を上げ、逃げ道を奪わない距離で止まった。


「お金にならないものを、ちゃんと大事にできるか見るの」


 落ちてきた口づけは短かった。けれど、宝石の契約印よりずっと深く残る。


「……これ、高いわね」


「でしょう? 私の口づけ、金貨より高いの」


 私は笑ってしまった。こんな場面で笑えるなら、きっと悪い取引ではない。


 その瞬間、下の階で悲鳴が上がる。取引所の裏口に、税務官を名乗る連中が踏み込んできたらしい。


 ナディアはすぐに表情を切り替えた。


「続きは実地試験にしましょう、レティシア」


 商会連合長との恋も同盟も、どうやら帳場の外で証明する必要があるらしい。


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