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絶望の玉座と、死を急ぐ狂愛

SideA

魔王城の最上階。

 分厚い氷と漆黒の石で造られた玉座の間に、私の絶叫が響き渡っていた。


「ああああぁぁぁぁッ!!」


制御を失った私の魔力が暴走し、玉座の間の柱を次々とへし折っていく。

 天井からは巨大な瓦礫が降り注ぎ、床には蜘蛛の巣のような地割れが走る。自分の指先から放たれるどす黒い炎が、美しいタペストリーも、豪奢な装飾品も、すべてを灰に変えていく。


「違う、違う……こんなはずじゃなかった……ッ!!」


私は仮面をかなぐり捨て、瓦礫の山に膝をついた。

 むき出しになった顔は涙でぐしゃぐしゃに汚れ、口からは嗚咽しか漏れない。

 両手で自分の髪を乱暴に掻きむしりながら、私は何度も、何度も床に額を打ち付けた。


痛い。苦しい。頭がおかしくなりそうだ。

 だが、どんな物理的な痛みも、先程戦場でルミエから突きつけられたあの言葉の刃には遠く及ばなかった。


『ねえ、魔王。お前が食い殺したっていう……その声の持ち主の名前は、何だっけ?』


空っぽの瞳。迷子のような声。

 あの瞬間、ルミエの心の中から『アルティナ』という存在は完全に消去された。

 私が彼女と一緒に過ごした十数年の思い出も、一緒に焼いたアップルタルトの匂いも、陽の当たる丘で交わした約束も。

 すべて、あの白銀の聖剣が『不要なノイズ』として削り取ってしまったのだ。


「私が……私が、あの子から全部奪った……!」


血を吐くような思いで呻く。

 ルミエを恐怖から守りたかった。あの子が平和な世界で、誰もが憧れる完璧な英雄として生きられるように、私が最凶の悪役になると決めたのに。

 私の用意した『魔王討伐』という舞台が、結果としてルミエに聖剣を振るわせ続け、彼女の記憶を喰らい尽くす原因になっていたなんて。


「……やめだ。もう、こんなことやめる。今すぐあの子のところへ行って、あの剣を捨てさせなきゃ……」


私はふらつく足で立ち上がり、玉座の奥にある水鏡の前に立った。

 水面に魔力を流し込み、ルミエの姿を映し出す。


彼女は、戦場から離れた野営地のテントにいた。

 ベッドの端に腰掛けたルミエは、自分の左手に嵌まった『シロツメクサの指輪』を、ひどく虚ろな目で見つめている。

 彼女の唇が、音もなく動いた。


『これ、誰に……もらったんだっけ』


ポロリ、と。

 ルミエの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。

 悲しいから泣いているのではない。自分がなぜ泣いているのかも分からないまま、ただ魂に刻まれた『喪失感』だけが、彼女に涙を流させているのだ。


「ルミエ……っ」


私は水鏡にすがりつき、その冷たい表面を撫でた。

 今すぐ飛んでいって、彼女を抱きしめたい。その涙を拭って、「私だよ、アルティナだよ」と教えたい。

 だが、水鏡の縁を握りしめた私の手は、青白く変色し、鋭い爪が生えたバケモノのそれだった。


(……今更、戻れるわけがない)


絶望的な事実が、冷水のように私の頭を冷やしていく。

 もし今、私が魔王であることをやめて、ルミエの前に正体を明かしたらどうなる?


ルミエは既に、数え切れないほどの魔物を殺してきた。その代償として、彼女の心は大部分が漂白され、もはや人間としての正常な感情を保てていない。

 そんな彼女から『魔王討伐』という唯一の目的を奪ってしまったら?

 世界中から英雄として崇められている彼女が、突然剣を捨てたら?

 用済みになった彼女を、人間たちがただの「感情の壊れた不要な道具」として処刑するかもしれない。あるいは、戦う理由を失った彼女自身が、空っぽの心に耐えきれずに壊れてしまう。


「……私のせいだ。私が、あの子の退路を完全に絶ってしまった」


もう、引き返すことは許されない。

 ルミエがこれまでに払ってきた犠牲を無駄にしないためには、最後までこの狂った舞台をやり遂げるしかないのだ。


では、どうすればいい?

 ルミエが聖剣を振るうたびに記憶が削られるのなら。

 彼女が完全に『ルミエという人間の原型』を失ってしまう前に、すべての戦いを終わらせるしかない。


「私が……早く死ねばいいんだ」


ぽつりとこぼれたその言葉は、奇妙なほど私の心にすんなりと落ちた。


そうだ。私が死ねば、世界から魔物の脅威は消え去り、ルミエはもう聖剣を振るう必要がなくなる。

 代償の支払いはストップし、彼女は「魔王を討った英雄」として、永遠の平和を手に入れられる。

 そのためには、ルミエに最短距離でこの魔王城まで来てもらい、一刻も早く私の首を刎ねさせなければならない。


水鏡の中で、ルミエが指輪を胸に抱きしめ、横たわる姿が見えた。

 彼女はもう、仇の名前すら覚えていない。このままでは、魔王を追う目的すら見失ってしまうかもしれない。


「ルミエ。……私を殺す理由が足りないなら、私がいくらでも与えてあげる」


私は床に落ちていた骨の仮面を拾い上げ、再び顔に被った。

 視界が狭まり、人間としての弱い視界が、魔王としての冷酷なそれに切り替わる。


「君が私を憎み続けられるように。君の空っぽの心に、私を殺すための純粋な『殺意』だけを注ぎ込んであげる」


そのためには、私は今まで以上に非道なバケモノにならなければならない。

 ルミエの進む道に立ち塞がるものを焼き尽くし、彼女を護衛する騎士たちを蹂躙し、彼女の目に映る世界を血で染め上げる。

 彼女が『正義』として迷わず剣を振るえるように、私という絶対的な『悪』を、これでもかと見せつけてやるのだ。


「急いで、ルミエ。君の心が完全に消え去ってしまう前に……私を、殺しに来て」


玉座の間に、魔王の禍々しい哄笑が響き渡る。

 仮面の下で血の涙を流しながら、私は自らの死を早めるための、最悪の脚本を描き始めていた。


君が指輪の持ち主を忘れても。

 君が私の顔を忘れても。

 君が私を、ただの醜いバケモノとして切り捨てる日が来たとしても。


私が君を愛していたという事実だけは、誰にも奪わせない。

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