玉座から見下ろす光と、優しい勘違い
SideA
世界の最果てにそびえ立つ、魔王城。
骨と冷気だけで作られた禍々しい玉座の間で、私は宙に浮かぶ『水鏡』を見つめていた。
「……すごいな。また一つの砦を、たった一人で落としたのか」
水鏡に映し出されているのは、血塗られた戦場の光景。
そして、その中央で白銀の光を放つ、一人の少女の姿だ。
私の大好きな、ルミエ。
彼女は、私の放った上位魔族の軍勢を相手に、たった一人で剣を振るっていた。
その戦いぶりは、まさに『神の代行者』と呼ぶにふさわしいものだった。
迷いのない足さばき。一切の無駄を省いた剣の軌道。背後から迫る魔物の気配すら完全に読み切り、振り向きざまにその首を刎ね飛ばす。
返り血を浴びても、彼女の美しい顔には何の感情も浮かんでいない。ただ淡々と、作業のように命を刈り取っていく。
「ふふ……本当に、傷一つないね。よかった」
私は骨の仮面の下で、安堵の吐息を漏らした。
村にいた頃のルミエは、本当に泣き虫だった。
転んで膝をすりむいただけでボロボロと涙をこぼし、私が「痛いの痛いの、飛んでいけ」とおまじないをしてあげるまで、ずっと私の服の裾を握りしめていた。
あんなに弱くて優しかったルミエが、今は巨大な魔物を前にしても、まばたき一つしない。
(……聖剣のおかげだね)
私は、ルミエが握る白銀の剣を見つめながら、そう確信した。
あの剣はきっと、凄惨な戦場の現実からルミエの心を守るために、彼女の「恐怖」や「悲しみ」といった感情に分厚い蓋をしてくれているのだ。
だからルミエは、狂うことなく戦場に立てている。誰かを殺す罪悪感に押しつぶされることなく、英雄として剣を振るうことができている。
「ありがとう、聖剣。どうかそのまま、あの子の綺麗な心を守ってあげて」
私は水鏡に向かって、心からの感謝を呟いた。
彼女の心が「私との思い出」ごと削り取られ、真っ白な虚無へと変貌しつつあることなど、この時の私は露ほども疑っていなかった。
私の献身は、報われている。
私が世界の憎悪を一身に集める最凶のバケモノになればなるほど、ルミエは「世界を救う完璧な光」として称賛を浴びる。
彼女が血と泥にまみれて心を壊すくらいなら、心を麻痺させて『美しい偶像』のまま平和な未来を迎えてくれた方が、ずっといい。
私は左手の手袋を外し、薬指に嵌まった『シロツメクサの指輪』にそっと口づけをした。
「……私のルミエ。貴女は今、どんな声で私の名前を呼んでくれるのかな」
水鏡の中の戦いは、すでに終わりを迎えていた。
魔族の軍勢は全滅。ルミエは血の海の中に立ち、ゆっくりと剣の血糊を払っている。
そろそろ、次の舞台を用意する時間だ。
ただ魔物を倒し続けるだけでは、いつかルミエのモチベーションが尽きてしまうかもしれない。
彼女が迷わず私を殺せるように。もっともっと、彼女の胸の中で『魔王への憎悪』を燃え上がらせてあげなければ。
私は玉座から立ち上がり、漆黒の翼を大きく広げた。
「出陣だ」
私の声に応え、城を覆う瘴気が歓喜のうなりを上げる。
「目指すは、勇者ルミエのいる戦場。……我を殺そうと足掻く愚かな光に、本物の絶望を教えてやろう」
魔王としての威厳に満ちた声を作りながら、仮面の下の私は、恋する乙女のように頬を緩めていた。
もうすぐ、君に会える。
仮面越しでしか顔を見せられないし、冷たい言葉しかかけられないけれど。
それでも、貴女が私に剣を向けてくれるなら、その瞳に私だけを映してくれるのなら、それは私にとって、何よりの逢瀬になる。
「待っててね、ルミエ。貴女の大嫌いな『仇』が、今会いに行くから」
私は城の窓から身を躍らせ、一直線にルミエのいる戦場へと飛翔した。
――次に対峙した時。
愛するルミエの口から、あんな絶望的な言葉を投げつけられることになるとは知らずに。
私はただ、彼女に会える喜びだけを胸に抱いて、夜空を駆けていた。




