永遠の巡礼と、秋風の正体
SideB
黄金色に染まったイチョウの並木道を、私は一人で歩いていた。
「あっ、勇者様だ! ルミエ様だ!」
「ルミエ様、私たちの町へようこそ! どうか、この林檎を持っていってください!」
町を通り抜けるたび、人々が私を取り囲み、歓喜の声を上げる。
魔王が消え去り、世界に平和が訪れてから一年。私は王城での安穏な生活を捨て、宛てのない旅を続けていた。
「ありがとうございます。皆さんの笑顔が見られて、私も幸せです」
私は差し出された林檎を両手で受け取り、彼らに向かって完璧な微笑みを向けた。
町の人々は私の笑顔を見て、安堵し、あるいは感動して涙ぐむ者さえいる。
誰も疑っていない。
この美しく微笑む『完璧で純真な勇者』の心が、実は空洞のガラス細工のようになっていることなど。
人波を抜け、静かな街道に出たところで、私は表情筋の力を抜いた。
口元に張り付いていた笑顔が消え、いつもの凪いだ、何の感情もない顔に戻る。
手の中の林檎を見つめても、『美味しそう』という感想すら湧かない。ただの、赤い球体の物体。
私は立ち止まり、懐から古びた羊皮紙を取り出した。
何度も折り畳まれ、すり減ったその紙には、かつて私が書き残した『道標』が記されている。
『この指輪を、あるべき場所へ返さなきゃ。魔王を殺せば、きっと指輪の持ち主が待つ場所へ帰れるはずだから』
左手の薬指を見る。
そこには、すっかり茶色く乾燥し、今にも崩れ落ちそうな『シロツメクサの指輪』が嵌まっていた。
私はもう一年も、この「持ち主」を探して世界中を歩き回っている。
あらゆる町を訪ね、人々に尋ねてきた。
『この指輪に見覚えはありませんか?』と。
当然、手がかりなど見つかるはずがなかった。
名前も知らない。声も、髪の色も、どんな笑顔をする人だったのかも、私の記憶からは完全に欠落しているのだ。ただ、この羊皮紙の指示に従い、エラーを起こした機械のように、果てのない検索を繰り返しているだけ。
ヒュゥゥゥゥ……。
ふいに、冷たい秋の風が吹いた。
枯れ葉が舞い上がり、私の頬を、まるで誰かの冷たい指先が撫でるように通り過ぎていく。
「……?」
私は足を止めた。
風の音に混じって、ごく微かに、誰かが泣き叫んでいるような音が聞こえた気がしたのだ。
「誰……?」
私は振り返り、誰もいない街道を見渡した。
誰もいない。ただ、私のすぐ隣の空間の空気が、不自然に冷え切っているだけ。
幻聴だろうか。
悲しくもないのに、また私の瞳から、一粒の「水滴」がこぼれ落ちた。
錯覚だ。
私の世界には、もう何も存在しない。
喜びも、悲しみも、愛しさも。すべては、魔王を討ったあの日、純白の光の中に溶けて消えてしまったのだから。
私は、こぼれ落ちた水滴を指で拭い、首に巻いていたストールを少しだけきつく締め直した。
「……少し、風が冷たくなってきたわね」
「旅人さん。こんなところで立ち止まって、どうしたんだい?」
ふと、通りすがりの老人が私に声をかけてきた。
私は彼に向かって、再びあの『完璧な微笑み』を起動させた。
「いいえ。……人を探しているのです」
「ほう、人探し。どんなお人かな?」
老人の問いに、私は左手の枯れ草の輪をそっと撫でた。
「わかりません。名前も、顔も、声も、思い出せないのです」
「そりゃあ、難儀だねぇ。なぜ、その人を探しているんだい?」
私は、澄み切った青い瞳で、どこまでも高く青い秋の空を見上げた。
「この指輪を、返さなければならないから。……私が帰るべき場所は、きっとその人の隣だからです」
「そうか。……見つかるといいね」
「はい。ありがとうございます」
老人に深く一礼し、私は再び歩き出す。
世界は、今日も美しく平和だった。
私は、名前も知らない『誰か』の笑顔を探すため、今日も二度と返せない指輪を握りしめて歩き出す。
冷たい風を身に纏いながら。
永遠に交わることのない、美しくも空虚な巡礼の旅を、いつまでも。




