残響のパレードと、灰色の救世主
SideA
痛みは、なかった。
心臓を貫かれたはずの衝撃も、聖剣に焼かれた熱さも、すべてが嘘のように消え失せていた。
意識が戻った時、私はひどく軽い体で、空中に浮かんでいた。
自分の手を見る。半透明で、向こう側の景色が透けて見える。足はない。ただの魂の塊。
「……ああ、死んだんだな。私」
不思議と、悲しみはなかった。
むしろ、晴れやかな気分だった。だって、私の命一つで、ルミエは救われたのだから。
最期の瞬間、彼女の瞳から嫌悪の色が消え、光が溢れ出したのを覚えている。私の『免罪符』は完璧に作動した。彼女は今頃、殺人というトラウマから解放され、純真な勇者として、晴れやかな気分でいるはずだ。
(ルミエは……どこ?)
私は、愛しい親友の姿を探して、魂のままに世界を彷徨った。
崩壊した魔王城には、もう誰もいなかった。私は、彼女が帰ったであろう場所――王都へと向かった。
王都は、狂気じみた歓喜に包まれていた。
「勇者様万歳!」「魔王討伐!」「平和が訪れたぞ!」
地響きのような群衆の声。
凱旋門から続く大通りには、色とりどりの花が撒かれ、金色の紙吹雪が舞い踊っている。
国中の人間が、この世の春を迎えたかのように、笑顔で、涙を流して、英雄の帰還を祝っていた。
その中央。
白馬に跨がり、純白の鎧に身を包んだ、一人の少女が進んでいく。
「ルミエ……!」
私は、彼女の姿を見て、魂が歓喜に打ち震えた。
よかった。怪我はないみたいだ。返り血も、きれいに洗い流されている。
彼女は群衆に向かって、優しく手を振っていた。
月明かりを浴びて輝く、金色の髪。
聖剣の光を宿した、青い瞳。
そして、その口元には、穏やかで、完璧な微笑みが浮かんでいる。
(……あはは。完璧だ。本当に、完璧だわ、ルミエ)
私は、空中で自分の顔を覆って、声を出さずに笑った。
私が夢見た光景だ。
泣き虫だったあの子が、誰も殺したことのないような、無垢で純真な笑顔で、世界中の人々に愛されている。
私の献身は、報われた。
私は、世界で一番幸せな悪役になれたんだ。
私は、ルミエの隣に並んで飛んだ。
彼女の顔を、もっと近くで見たかったから。
……ん?
至近距離で、彼女の横顔を見つめた時。
私は、ふと、奇妙な違和感を覚えた。
彼女は、笑っている。
唇の両端を正確に引き上げ、群衆に向かって、寸分の狂いもない『完璧な笑顔』を見せている。
だが、その青い瞳の奥。
そこには、何の感情も、何の光も、宿っていなかった。
「……え?」
私は、息を呑んだ。
声は出ないが、魂が凍りつくような感覚。
彼女の瞳は、まるでガラス玉のようだった。
歓喜に沸く群衆も、撒かれる花も、金色の紙吹雪も。
彼女の瞳には映っているはずなのに、それが心に届いていない。
ただ、外部からの刺激に対して、事前にプログラムされた通りに、唇の筋肉を動かし、手を振っているだけ。
(……そんな、バカな)
私は、動揺して、彼女の顔の前に回り込んだ。
ルミエは私を見ない。幽霊である私の姿が、見えないのは当然だ。
だが、彼女は、目の前の景色そのものを見ていなかった。
焦点は、どこか遠くの、何もない空虚な場所を向いている。
「ルミエ、どうして……? 罪悪感は、消したはずなのに。君は、自由になったはずなのに……!」
私は、彼女の肩に手を伸ばした。
魂の手は、彼女の体をすり抜けて、冷たい虚空を掴んだ。
その瞬間、私は、ルミエの心の中を、ほんのわずかだけ感じ取ってしまった。
――そこは、一面の真っ白な霧に包まれた、極寒の世界だった。
音もない。光もない。温度もない。
恐怖も、悲しみも、焦りもない。
だが、同時に。
喜びも、愛おしさも、安らぎも、何一つ存在しない。
完璧な、虚無。
私の放った『最後の魔法』は、殺人というトラウマを消し去る際、あまりにも強力すぎた聖剣の光と混ざり合い、致命的なバグを引き起こしていたのだ。
魔法は、ルミエの心から『悪い記憶』だけを食い尽くすのでは、足りなかった。
聖剣が漂白しきれなかった、最後のかすかな人間らしさ。
私との思い出。あの日交わした約束。私が彼女を守りたかったという、愛の記憶。
それらすべてを、『完璧な勇者』になるためのノイズとして、綺麗さっぱりと食い荒らしてしまっていた。
(私が……私が、あの子の心を、完全に壊した……?)
真実が、鋭い氷の刃となって、私の魂を貫いた。
私は、彼女を守りたかった。
彼女に、笑っていてほしかった。
そのためなら、命なんて惜しくなかった。
なのに、私がしたことは。
愛する親友を、感情を持たない、ただの『世界を救う人形(偶像)』にすることだった。
彼女から、私を愛してくれた心も、誰かを愛する心も、すべてを奪い取って。
「ルミエ……ルミエェェェッ!!」
私は、空中で絶叫した。
涙も、鼻水も出ない。ただ、魂が苦悶に歪み、どす黒い霧となって霧散しそうになる。
群衆の歓声は、今の私には、彼女を呪う合唱のようにしか聞こえなかった。
完璧で純真な勇者。
その正体は、私が創り出した、最も美しくて、最も哀れな、空っぽのバケモノだった。
パレードは、続いていく。
灰色の救世主は、何一つ感じないまま、完璧な微笑みを貼り付けて、永遠の虚無の中を進んでいく。
私は、その隣で、ただ泣き叫び続けることしかできなかった。
誰にも届かない、私の声。
私が彼女に贈った、最悪の『幸福』。
死んでも終わらない、地獄のようなすれ違いが、今、ここから始まるのだ。




