幸福な死顔と、純白の免罪符
SideA
心臓を貫かれる感触は、想像していたよりもずっと熱くて、どこか優しかった。
白銀の刃が私の肉を裂き、骨を砕き、命の根源である心臓を正確に貫く。
ごぽり、と喉の奥から黒い血が込み上げてきた。私の体を構成していた強大な魔力が、聖剣の浄化の光に焼かれ、音を立てて崩壊していくのが分かる。
痛い。息ができない。
だけど、私の心はこれまでにないほどの穏やかな安らぎで満たされていた。
聖剣の光に耐えきれず、私の顔を覆っていた『骨の仮面』が砕け散る。
ルミエの冷たい青い瞳に、私の素顔が映り込んだ。
(ああ、ルミエ……)
久しぶりに、何の隔たりもなく君の顔を見ることができた。
返り血で汚れていても、君は本当に美しい。世界で一番、愛おしい私の勇者。
私の素顔を見た彼女の瞳に、ほんの一瞬だけ、動揺のようなものが走った。
私の顔と、彼女の脳の奥底に封印された『アルティナ』という記憶が、結びつこうとしたのだろう。
だが、それはすぐに氷のような絶対零度の軽蔑へと塗り替えられた。
『……最期まで、私を愚弄するつもりなのね』
彼女の口から紡がれたのは、絶対的な嫌悪。
私の顔を、親友から剥ぎ取った『偽物』だと断定し、汚らわしいものを見るように私を睨みつける。
『その顔で、私を見ないで。汚らわしい』
心臓を貫かれた剣を、さらに深く捻り込まれる。
普通なら、愛する人から向けられたその言葉と刃に、心が粉々に砕け散っていただろう。絶望して、泣き喚いていたかもしれない。
でも、私は違った。
私は、その言葉を聞いて、心の底から救われたのだ。
(……よかった。本当に、よかった)
もしここで、ルミエが私を「アルティナ」だと認識してしまったら。
自分が愛する親友の心臓を、その手で串刺しにしてしまったと気づいてしまったら。
この優しくて泣き虫な女の子の心は、二度と立ち直れないほどに壊れてしまったはずだ。
私を『嫌悪すべきバケモノ』だと最後まで信じ切ってくれたこと。
それが、私に対する何よりの救済だった。
私は、最後の力を振り絞って震える腕を上げた。
血に染まった指先で、ルミエの冷たい頬にそっと触れる。
ビクッと体を強張らせる彼女に、私は心からの愛を込めて微笑みかけた。
「……る、み……え……。完璧、だ……よ……」
声は掠れ、まともに音にならなかった。
彼女の首元で、私があげたあの『シロツメクサの指輪』が揺れている。
私の胸元からは、対になるはずだった指輪が、血だまりの中へと無様に転がり落ちていた。
「……これで、貴女は……自由……だ…………」
私の命の灯火が、ふっと消えかかる。
それと同時に、私の心臓に刻み込んでいた『最後の魔法』が起動した。
カッ、と。
玉座の間を、太陽のように眩い純白の光が包み込む。
私の肉体と魔力をすべて触媒にして放たれる、ルミエの記憶と魂に干渉する大魔法。
魔王の肉を斬った感触。
吹き出した血の匂い。
命を奪う瞬間の、生々しい断末魔。
そして、私の顔をしたバケモノに対する、不快な嫌悪感すらも。
光が、ルミエの心から『殺人というトラウマ』をすべて綺麗に食い尽くしていく。
この光が収まった時、彼女の心には「魔王を倒した」という事実だけが残り、その過程にあった残酷な記憶はすべて、ふわふわとしたおとぎ話のように漂白されるのだ。
私の肉体が、光の粒子となって崩れていく。
足先から、指先から、ゆっくりと世界から私が消去されていく。
(ああ、なんて幸せなんだろう)
薄れゆく意識の中で、私は夢を見ていた。
光り輝く凱旋門。歓喜に沸く群衆。
その中央で、誰一人殺したことのないような、無垢で純真な笑顔を浮かべるルミエの姿。
彼女はもう、夜泣きすることもない。誰かの血で手を汚す恐怖に怯えることもない。
すべては、私の命一つで買えた平和だ。
安い。あまりにも安すぎる。
こんなにも幸福な結末を迎えられるなら、魔王として過ごした孤独な日々も、すべてが輝かしい宝物だった。
私の視界が、完全に白く染まる。
愛しいルミエの顔も、もう見えない。
だけど、私の魂は歓喜に打ち震えていた。
「……あは、完璧。これで、貴女の心には私を殺した罪悪感すら残らない。完璧で純真な、勇者の誕生だね……」
それが、呪われし最凶の魔王が、この世界に遺した最後の言葉だった。
自分の命を賭した献身が、結果としてルミエを『永遠に癒えない虚無』へと突き落としたことなど、露ほども知らないまま。
私は、世界で一番幸せな悪役として、安らかな笑みを浮かべてこの世を去った。




