割れた仮面と、見知らぬ「私」
SideB
手応えは、あまりにも軽かった。
私の振るった聖剣が、魔王の放った黒炎の剣を粉々に打ち砕く。
無防備に晒された魔王の胸元へ、私は一切の躊躇なく、全力の魔力を込めた一撃を突き出した。
「――――ッ!」
ドシュッ、と。
肉を裂き、骨を断ち、心臓を貫く嫌な感触が、剣の柄を通じて私の両手に伝わってくる。
白銀の刃は、魔王の漆黒の鎧を易々と貫通し、その背中まで突き抜けていた。
溢れ出したどす黒い返り血が、私の顔や純白の装束を容赦なく汚していく。
だけど、私は瞬き一つしなかった。ただ、目標を確実に破壊したという達成感だけが、冷え切った頭の片隅に記録される。
「……あ、が…………っ」
魔王の口から、掠れた声が漏れる。
先程までの威圧感はどこへ行ったのか、バケモノの体は力なく折れ曲がり、私の肩にぐったりと預けられた。
私は突き刺した剣をさらに深く押し込み、確実にトドメを刺そうとした。
その時。
至近距離で放たれた聖剣の浄化の光に耐えきれず、魔王の顔を覆っていた『骨の仮面』に、ピキピキと無数の亀裂が走った。
パリン、と。
乾いた音を立てて、仮面が粉々に砕け散る。
そこから現れたのは、悍ましい怪物の素顔なんかじゃなかった。
「…………え?」
私の思考回路が、一瞬だけショートした。
月明かりの下、露わになったその顔。
柔らかそうな茶色の髪。
涙に濡れた、優しい琥珀色の瞳。
そして、苦痛に歪みながらも、どこか救われたような、穏やかな微笑を浮かべた唇。
それは、私のよく知る、ある少女の顔だった。
(……アル、ティナ……?)
脳の奥底、聖剣の光が届かないほど深い場所に隠されていた、最後の『不純物』が激しく脈打つ。
目の前の少女の顔と、私の記憶の中にある「アルティナ」という名前が、火花を散らして結びつこうとする。
――けれど。
その繋がりを、聖剣の冷たい意志が非情に切り裂いた。
『迷うな。それは偽りだ』
頭の中に響く無機質な声。
そうだ。落ち着いて、冷静に分析しなさい、ルミエ。
このバケモノは、アルティナを食い殺し、その声を奪ったと言っていた。
ならば、この顔も……私を動揺させるために、死んだ彼女から剥ぎ取り、自分の顔に貼り付けただけの『偽物』に過ぎない。
「……最期まで、私を愚弄するつもりなのね」
私の口から、自分でも驚くほど冷酷な言葉がこぼれ落ちた。
アルティナという大切な人の尊厳を、死んだ後まで利用しようとする目の前のバケモノ。
その「あまりにも出来の良い変装」が、私の冷え切った殺意に、さらなる不快な油を注ぐ。
「その顔で、私を見ないで。汚らわしい」
私は冷たく言い放ち、心臓に突き刺した剣をグイと捻った。
魔王の体が大きく跳ね、血がさらに激しく噴き出す。
すると、魔王――アルティナの顔をしたバケモノが、震える手を伸ばしてきた。
血に染まった指先が、私の頬に触れる。
かつて、陽だまりの中で私の涙を拭ってくれた時と同じ、温かくて、シロツメクサの香りがするような、優しい指先。
「……る、み……え……。完璧、だ……よ……」
掠れた声。私の名前を呼ぶ、愛おしさに満ちた響き。
彼女の指が、私の首元から覗く『シロツメクサの指輪』に触れる。
「……これで、貴女は……自由……だ…………」
バケモノは、満足げに目を細めた。
その瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、私の頬の返り血を洗う。
その瞬間だった。
バケモノの心臓――私の聖剣が貫いた場所から、眩いばかりの『純白の光』が溢れ出した。
それは魔王の禍々しい瘴気とは正反対の、温かくて、すべてを包み込むような、慈愛に満ちた光。
「なっ……何!? 術式……?」
私は驚愕し、剣を引き抜こうとしたが、光の蔦が私の腕を絡め取り、それを許さなかった。
魔王の肉体が光の粒子となって崩壊していく。
最後に、バケモノは私の耳元で、甘く、切なく囁いた。
『さよなら、ルミエ。……君の未来に、幸あれ』
「ま、待っ――!!」
視界が真っ白な光に塗りつぶされる。
アルティナの顔が、指輪が、魔王城の冷たい空気さえもが、すべて光の中に溶けて消えていく。
心臓を貫かれた魔王が発動させた、最期の魔法。
私を「罪悪感」から救うための、愛という名の呪縛。
光が収まった後。
崩落する魔王城の瓦礫の中に、私はただ一人、立ち尽くしていた。
手には、もう光を失った聖剣。
足元には、誰のものかもわからない、砕け散った骨の仮面の破片だけが転がっている。
「……あれ?」
私は、自分の頬を触った。
さっきまで、誰かがここに触れていたような、温かい感触が残っている。
でも。
それが誰だったのか。
私が今、ここで誰を殺したのか。
不思議なほど、思い出せない。
胸の奥にあったはずの鋭い殺意も、重苦しい喪失感も、まるで最初から存在しなかったかのように、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
「……終わったのね。私が、魔王を倒したんだわ」
私は空虚な声でそう呟き、崩れゆく城の出口へと歩き出した。
足元にある、自分の薬指の指輪と同じ『シロツメクサの指輪』を。
一瞥もせず、踏み潰して。
私は、完璧で純真な「英雄」として、光り輝く朝日の中へと踏み出した。




