利害の一致
婚約が正式に発表された日のことを、私はよく覚えている。
王宮の庭は、やけに静かだった。
祝賀のざわめきが遠くに残っているはずなのに、この回廊にはほとんど音が届かない。
案内されたのは、人目の少ない石造りの通路だった。
——意図的だ。
ここは、誰かに“話をさせるため”の場所だ。
足を止めると、背後から声が落ちた。
「この結婚について、どう思っている」
振り返る。
エドワード・ヴァレンハルト。
この国の王太子。
彼は壁に寄りかかるでもなく、ただまっすぐにこちらを見ていた。
感情の読めない、静かな視線。
私はすぐには答えない。
考えているわけではない。
どう答えるかは、最初から決めていた。
「望んだものではありません」
そのまま視線を受け止める。
「ですが——拒む理由もありません」
短い沈黙。
風が通り抜け、衣の裾がかすかに揺れる。
彼の視線が、わずかに細くなった。
「……そうか」
低く、抑えた声。
それで終わるはずがないことは分かっている。
「では、君には別の目的があるということか」
核心だった。
私は一瞬だけ目を伏せる。
迷いではない。
この男がどこまで踏み込んでくるのか、その見極め。
そして——どこまで踏み込ませるべきか。
再び顔を上げる。
「殿下は、どうお考えですか」
問いで返す。
彼はすぐには答えなかった。
その沈黙は拒絶ではなく、選別だ。
言葉を選び、境界を測っている。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……この結婚は、必要だ」
王太子としての答え。
だが、それだけではない。
私は黙って続きを待つ。
彼は視線を逸らさずに言った。
「個人的な理由でもな」
空気が変わる。
踏み込んだのは、互いに同時だった。
「個人的な理由、ですか」
わずかに首を傾ける。
「差し支えなければ、伺っても?」
彼は一瞬だけ息を止めたように見えた。
ほんのわずか。
だが確かに。
「……君には関係のない話だ」
そう言いながらも、その声には微かな歪みがあった。
私はそれを逃さない。
「本当に?」
一歩、距離を詰める。
彼のすぐ前で足を止めた。
「では、なぜ私に聞いたのですか」
静かな声で問う。
逃げ場はない。
彼の瞳が、ほんのわずかに揺れた。
——やはり。
この男もまた、同じ場所に立っている。
「……君は」
低く押し殺した声。
「王をどう思っている」
来た。
私は微笑む。
柔らかく整えた、何の感情も宿さない笑み。
「尊敬すべきお方だと思っております」
形式的な答え。
だがその直後、ほんの一瞬だけ視線を外す。
それだけで十分だった。
彼は理解した。
「……なるほど」
短く呟く。
そこに迷いはない。
私はゆっくりと顔を上げる。
「殿下も、同じなのでは?」
問いではない。
確認だ。
彼はわずかに目を細めた。
そして——
「そうだ」
はっきりと告げる。
その一言で、すべてが繋がる。
言葉は少ない。
だが、これ以上は不要だった。
互いに理解した。
目的を。
立場を。
そして、この結婚の意味を。
「では」
私は静かに言う。
「互いに干渉しない関係ということで」
彼は頷く。
「問題ない」
「必要な場面では、協力を」
「当然だ」
短い応答。
契約書も、証人もない。
だが、これ以上ないほど明確だった。
「——それでいい」
彼が言う。
私はわずかに口元を緩める。
「ええ」
一瞬、沈黙が落ちる。
風が止まり、時間が切り取られたような感覚。
やがて私は踵を返す。
これ以上の言葉は不要だ。
背後から、彼の声が届く。
「……後悔はするな」
足を止める。
振り返らないまま、答える。
「しません」
迷いはない。
その一言で十分だった。
私は再び歩き出す。
もう振り返らない。
——この結婚は決まった。
そして同時に。
この瞬間から、私たちは同じ側に立った。
愛ではない。
信頼でもない。
ただ——
同じ相手を見ているという、それだけの理由で。




