第78話『近すぎる距離と、静かな違和感』
朝。
教室はいつも通りのざわめきに包まれている。
笑い声。
軽い談笑。
変わらない日常。
——のはずだった。
(……なんか、落ち着かない)
視線を落とす。
原因は分かっている。
「アリア様」
すぐ隣。
距離が、近い。
肩が触れそうなほど。
「……ルナ、近くない?」
軽く言う。
いつもの調子で。
だが——
「そうですか?」
首を傾げる。
本当に不思議そうに。
「これくらい、普通だと思いますが」
(……普通?)
言葉が、一瞬止まる。
前から、こんなだっただろうか。
いや——
違う。
少なくとも、ここまでではなかった。
授業中。
ノートを取ろうとする。
その時——
カサ。
横から紙が差し出される。
綺麗にまとめられたノート。
「どうぞ」
「……ありがとう」
受け取る。
だが。
距離が近い。
腕が触れる。
少しだけ体を引くと——
すぐに、詰められる。
自然に。
逃げ道を塞ぐように。
(……気のせいじゃないわよね)
ペン先がわずかに止まる。
休み時間。
「アリア様、この後——」
「申し訳ありません」
柔らかな声が割り込む。
一歩前に出る。
にこりと笑う。
「この後、予定がありますので」
「え?あ、そうなの?」
(……いや、ないけど)
言う間もなく、会話は終わる。
「また今度お願いします」
完璧な締め。
相手は納得して去っていく。
静かになる。
「……ルナ」
「はい?」
「今の予定って——」
「ありますよ」
即答。
「今から、私と一緒に過ごす予定です」
(……は?)
言葉が出ない。
冗談には聞こえない。
でも——
強制されているわけでもない。
「……そう」
結局、それしか返せなかった。
昼休み。
中庭。
ベンチに腰を下ろす。
その瞬間——
隣が埋まる。
間髪入れず。
距離はほぼゼロ。
(早い……)
少し遅れて、もう一人が来る。
静かに。
いつも通りに。
座ろうとした、その時。
「……そこ、日差しが強いですよ」
何気ない一言。
だが位置が、ほんの少しだけずれる。
結果。
距離が開く。
「……そうか」
短く返すだけ。
何も言わず、別の位置へ座る。
その一連を見て——
(……今の、わざと?)
疑問が残る。
「アリア様」
声がかかる。
視線を戻す。
「これ、どうぞ」
焼き菓子。
差し出される。
「また?」
「改良しましたので」
少しだけ誇らしげ。
受け取る。
一口。
「……おいしい」
その瞬間。
ほんのわずかに、空気が緩む。
「……そうですか」
抑えた声。
だが——
わずかに安心したように見える。
その視線が、一瞬だけ動く。
横へ。
(……?)
ほんの一瞬。
何かが混ざった。
「……それ」
声が落ちる。
「昨日よりいいな」
淡々とした評価。
「……当然です」
すぐに返す。
「同じ失敗はしませんので」
いつもの調子。
だがその後。
ほんの少しだけ、間が空く。
「……見ていたなら、分かるでしょう」
軽い棘。
「……ああ」
短い返答。
それ以上は続かない。
だが——
空気が、ほんの少しだけ張る。
(……なにこれ)
息をつく。
どちらも変わらないようでいて——
どこか違う。
午後。
教室。
静かな時間。
窓の外を見ながら、考える。
(……今日のルナ)
距離。
言葉。
行動。
全部。
「……ちょっと、変よね」
ぽつりと漏れる。
「変ではありません」
すぐ後ろ。
振り向く。
いつの間にか、立っている。
距離が近い。
また。
「私は、いつも通りです」
微笑む。
綺麗な笑顔。
だが——
その奥。
ほんの少しだけ、深い。
「……そう」
それ以上、何も言えない。
言葉が、出てこない。
廊下。
足音が響く。
一定のリズムで。
「……違うな」
小さく呟く。
今日一日を思い出す。
距離の取り方。
割り込み方。
視線。
全部が、微妙に噛み合っていない。
「……ただの好意じゃない」
ぽつり。
誰にも聞かれない声。
だが——
否定もしない。
ただ、確かめるように前を見る。
夕方。
教室は、もう誰もいない。
窓の外は、赤く染まっている。
静かだ。
「……大丈夫」
小さく呟く。
自分に言い聞かせるように。
「これくらいなら」
手を胸に当てる。
ゆっくりと、息を吐く。
「……失いません」
その声は小さい。
だが——
揺れていなかった。
教室には、もう誰もいないはずなのに。
なぜか——
静けさが、少しだけ重かった。




