第七十六話
熱を帯びた風が、都市の外縁を撫でる。
遠征からの帰還。
カーター・アウグストは、無言のまま歩を進めていた。
視界の先に、王城都市ヴォルカニアがそびえ立つ。
切り立った山を穿って築かれた都市だった。
赤黒い岩肌を削り出し、その内部に層を重ねるように街が広がっている。最外縁には防壁と監視塔が巡り、その内側には段状の街区。さらに中心へ進むごとに建造物は高く、重く、そして白へと近づいていく。最奥は、グラヌスクの中枢。
門前に立つ騎士たちが、カーターの姿を認めて直立する。
「正騎士カーター・アウグスト、特務班。任務より帰還した」
短く告げると、兵は恭しく頭を下げる。重い門が軋みながら開いた。
内側から吹き出すのは、熱ではない。
むしろ、冷えた空気だった。
都市は静まり返っていた。
外縁の市街は、いつもなら喧騒に満ちている。鍛冶の火花、商人の声、子供の駆ける足音。しかし今は、そのどれもが抑え込まれている。人々は道の端に寄り、兵団を避けるように沈黙していた。
視線だけが向けられる。
恐れとも、期待ともつかない視線。
カーターはそれを受け流す。
この国では、騎士は「守る者」であると同時に、「裁く者」でもある。
だからこそ、民は敬い、同時に距離を置く。
彼は足を止めない。
段状の街を一層、また一層と登っていく。
途中、ヴォルカニアの治安を担うヴァルケン家の兵が巡回しているのが見えた。規律正しく、無駄のない動き。民を監視する感情の見えない目。
さらに上層。名門家の区画へ。
建物の質が明らかに変わる。石材は滑らかに整えられ、装飾には光を帯びた金属が使われている。火の国では炎は“制御されたもの”として扱われていた。
無秩序な燃焼ではない。
統制された熱。
カーターはわずかに眉を寄せた。
今回の遠征。
あれは「制御の外」にある存在だった。
全てを打ち砕き、否定する力。
その存在に、どこかカーターは心を動かされた。
(……くだらない)
彼は騎士だ。
国の在り方に疑問を持つことはあっても、それを揺らす側には立たない。
さらに上層。白が強くなる。
石の色が、赤から灰へ、灰から白へと変わっていく。
熱は消え、代わりに冷たい静謐が支配する領域。
王城区画。
ここには、選ばれた者しか入れない。
コルヴァス家の紋章を掲げた騎士たちが、無言で立っている。数は少ないが、密度が違う。一人一人が、戦場で十、百に値する。
カーターはその中を通る。
誰も止めない。
彼の血筋が、それを許す。
やがて視界が開ける。
中央。
そこにアルバソリスがあった。
白銀の城。
聖炎の国、グラヌスクの象徴。光の王城。
中心に、この国の王——イルセイオンがいる。
カーターは足を止める。
ほんの一瞬。
胸の奥に、言葉にならない違和感が生まれる。
ヒュラテスで見た流れ。
ゼファレインの留まらぬ風。
だが——
「……報告に上がる」
それだけを呟き、彼は再び歩き出した。
騎士として。
アウグスト家の嫡男として。
グラヌスクの刃として。
白の塔へ。
歩みに迷いはない。
だがその影は、わずかに長く伸びていた。
夕刻の光が差し込む中で、それはほんの一瞬、揺らいだように見えた。




