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第三話「学校を見に行った日」

第三話「学校を見に行った日」




 日曜の朝、父がネクタイを締めていた。


 晴斗が覚えている限り、父がネクタイをしているのを見たのは、親戚の結婚式のときくらいだ。鏡の前で何度も結び目を直している父の背中を、日和が店先から面白そうに眺めていた。


「お父さん、なんか違う人みたい」


「そうか」


「似合ってないってことじゃないよ。違う人みたいってだけ」


「……そうか」


 父はもう一度、結び目を直した。


 母は配達の伝票を確認しながら、晴斗に紙袋を手渡した。中には、水筒とハンカチが入っていた。


「説明会って、何時間くらいかかるの」


「午前中で終わるって書いてあった」


「じゃあ、お昼は帰ってきてから食べなさいね」


 店の前で、日和がまた手のひらを差し出してきた。晴斗はため息をつきながら、その手に自分の手のひらを重ねた。ぺたり、と軽い音がした。


「今日は何の運」


「いい学校だった、って思える運」


 十歳のくせに、やっぱり妙に大人びたことを言う。



ーーー



 探索者育成学校は、電車を二本乗り継いだ先にあった。


 駅から歩いて十分ほどのところに、高いフェンスに囲まれた広い敷地が見えてくる。普通の高校と同じような校舎の奥に、体育館とは違う、平たく大きな建物がいくつも並んでいた。正門の脇には『説明会会場』と書かれた案内板が立ち、晴斗と同じ年頃の子どもたちが、親と一緒に吸い込まれていく。


 受付の列に並んでいると、少し前に見覚えのある顔があった。隣のクラスの女子だ。母親らしい人と一緒に、パンフレットをのぞき込んでいる。


 目が合った。向こうも晴斗に気づいたらしく、小さく会釈をしてきた。晴斗も同じように頭を下げた。話したことはないけれど、同じ中学から同じ場所に来ているというだけで、なんとなく心強かった。


「知り合いか」


「隣のクラスの子。たぶん、もう一人の適性者」


「そうか」


 父は短く答えて、受付で名前を書いた。



ーーー



 説明会は、講堂で行われた。


 壇上に立った教員が、スライドを使って学校のことを説明していく。三年制で、卒業すれば高校卒業の資格が得られ、大学へ進むこともできること。国語や数学、英語といった普通の授業に、探索者としての専門の授業が加わること。ダンジョンでの実習は、基礎の訓練を終えてから始まること。実習では専用のメガネ型の装置を使い、詳しいことは入学後に説明があること。


 スライドには、一年生の時間割の例が映し出された。国語、数学、英語、体育。その並びに、『ダンジョン基礎』や『魔力運用』といった、見慣れない名前が混じっている。


 数学はあるんだ、と晴斗は思った。


「探索者になるだけなら、能力さえあれば、昔はすぐになれました」


 教員は、スライドを一枚進めた。


「ですが、よく知らないまま入って、危ない目に遭った人も少なくありません。ですからこの学校では、必要なことを基礎から順番に学んでもらいます」


 講堂の中が、わずかに静かになった。


「それでは、実習の責任者を務めている指導官から、一言お願いします」


 壇上に上がってきたのは、背の高い男の人だった。父より年上に見える。短く刈った髪には白いものが混じっていたが、肩幅が広く、立っているだけで体の芯がぶれないのが分かった。


「指導官の足立です。この学校の実習の責任者をしています」


 低い声だった。マイクを通しても、張り上げている感じはまったくしない。


「入学したら、しばらくは訓練場で基礎をやってもらいます。同じことを、何度も。ダンジョンに入るのは、それからです。よろしくお願いします」


 一礼して、指導官は壇上を下りていった。拍手が起きるまでに、一拍の間があった。


 隣を見ると、父が膝の上で両手を組んだまま、指導官が下りていった方をじっと見ていた。



ーーー



 質疑応答の時間になると、何人かの保護者が手を挙げた。寮の門限のこと、学費のこと、通学の定期券のこと。普通の高校に進んだ場合はどうなるのか、と尋ねた父親もいた。


「その場合は、土日にJDAの訓練施設へ通っていただくことになります。基礎の訓練を終えるまでは、探索証は発行されません」


 講堂のあちこちで、小さく息をつく音がした。


 その中に一人、ためらいがちに手を挙げた母親がいた。


「あの……実習で、怪我をすることはあるんでしょうか」


 答えたのは、さっきの指導官だった。席から立ち上がって、まっすぐに質問した母親のほうを向く。


「あります」


 講堂の空気が、ぴんと張りつめた。


「危なくない、とは言いません。危ないところに行く仕事ですから。だから、ここで教えます。怪我をしないやり方と、怪我をしたときにどうするかを」


 質問した母親は、何度か小さく頷いて座った。


 晴斗は、夕飯のテーブルで母が言った言葉を思い出していた。


 ――だから、学校で教わるんじゃないの。


 父も同じことを思い出したのかもしれない。組んでいた手を、ほどいて膝の上に置いた。



ーーー



 説明会のあとは、校内の見学だった。


 案内の教員について歩いていくと、平たく大きな建物の一つに、ガラス張りの見学通路があった。下を見下ろすと、広い訓練場で、ジャージ姿の生徒たちが何組かに分かれて練習をしている。


 全員が軽そうなヘルメットをかぶり、同じ形のメガネをかけていた。ゴーグルほど大きくはないが、レンズが横まで回り込んでいて、目元がすっぽりと隠れている。


「実習用の装置です。現役の探索者が使っているものと、形は同じなんですよ」


 晴斗は、思わずガラスに顔を近づけた。


 配信で見る探索者は、ほとんどがアバターの姿をしている。獣の頭の人もいれば、甲冑の人も、ぬいぐるみみたいな人もいる。アバターを使わない実働部隊も、フルフェイスのヘルメットで顔は見えない。その下で本当はどんなものをつけているのか、考えたこともなかった。


 アバターの下は、こうなっていたのか。


 ヘルメットの形、メガネのつるの太さ、耳の横についた小さな部品。一つ一つを目で追っていると、教員が下の生徒たちを見ながら続けた。


「機能は学校向けに変えてありますが、ダンジョンに入る前に、つけたまま動くことに慣れておくためのものです」


 それから、腕時計に目をやった。


「ちょうどいい時間ですね。これから、三年生の模擬演習があります」


 訓練場の奥、仕切られた広い一画に、一人の生徒が歩み出てきた。


 ほかの生徒と同じジャージ姿だった。ただ、ヘルメットだけが違った。真っ黒なフルフェイスで、顔はすっかり覆われている。配信で見る実働部隊の探索者たちがかぶっているのと、同じ形だった。


 手には自分の背丈より長い薙刀を提げ、ヘルメットの後ろから、一つに束ねた長い髪が背中まで垂れていた。


「あの子だけ、ヘルメットが違うんですね」


 どこかの保護者が尋ねると、教員は頷いた。


「今日は一般の方がいらっしゃる日ですので、演習に出る生徒は顔が分からないようにしています」


 一画の端で、教員らしい大人が床に手をついた。土がいくつも盛り上がり、人の背丈ほどの土人形になって、ゆっくりと動き出す。


 ヘルメットの生徒は、薙刀の石突きを床についたまま、構えもしなかった。


 ただ、ポニーテールがふわりと浮いた。


 次の瞬間、生徒の姿が横に流れた。走ったというより、風に押し出されたように見えた。薙刀が弧を描き、一番手前の土人形の胴が音もなく斜めにずれて、上半分が床に落ちる。


 見学通路のガラスが、かすかに鳴った。


 二体目、三体目。刃はまだ届いていないはずの距離で、土人形が腕を振り上げるより早く、その腕ごと崩れていく。薙刀が振り抜かれるたびに、刃の先から見えない何かが伸びて空気を裂いていくのが、舞い上がる土埃の筋で分かった。


 最後の一体は、生徒の真後ろの床から盛り上がった。


 晴斗が声を上げかけたとき、生徒はもう振り向いていた。見てもいないのに、そこに来ると知っていたみたいだった。柄を返して横に薙いだ一閃で、土人形は形になりきる前に、ばらばらに散った。


 舞い上がった土埃が、生徒の周りだけきれいに渦を巻いて、床へ落ちていく。最後にポニーテールが背中に落ち、石突きが床を軽く打って、それで演習は終わった。


 見学通路のあちこちから、ため息のような声が漏れた。


「三年生の首席です」


 教員の声は、どこか誇らしそうだった。


「風属性で、在学中に試験に合格して、もう探索者として活動しています」


 見学通路が、一気にざわめいた。


 保護者たちが顔を見合わせ、あちこちで声が重なる。子どもたちはガラスに張りつくように身を乗り出し、誰かが父親の袖を引っ張っては何かをまくし立てていた。後ろのほうでは、パンフレットを開いて首席の名前を探そうとする人までいる。


 晴斗も、気づけばガラスに額がつきそうなほど身を乗り出していた。


 心臓が、うるさいくらいに鳴っている。配信の画面越しに何度も見てきた探索者が、いま、ガラス一枚向こうを歩いている。それも、たった三つ上の人だ。


 思わず隣の父を振り返った。何か言おうとして、何を言えばいいのか分からなくて、また訓練場に目を戻す。


 ざわめきは、なかなか収まらなかった。


 ヘルメットの生徒は、土人形を作った教員に一礼して、仕切りの外へ戻っていく。誰とも話さず、ヘルメットも脱がなかった。その黒いヘルメットを、晴斗は最後まで目で追っていた。


「それから、皆さんに一つお伝えしておきます」


 教員は、見学者のほうに向き直った。


「入学すれば、ああいう先輩たちとも同じ校舎で過ごすことになります。誰がどの配信の誰なのか、自然と分かってしまうこともあるでしょう。ですが、それを外で口にしてはいけません。家族にも、友達にもです。入学後は、校則としてきちんと守ってもらいます」


 保護者の何人かが、顔を見合わせた。


「探索者の顔と名前が知られると、本人だけでなく、家族まで危ない目に遭うことがあります。お互いを守るための決まりです」


 晴斗は、もう一度仕切りの外を見た。黒いヘルメットと長い髪は、もう生徒たちの間に紛れて分からなくなっていた。


 あの人が誰なのか、入学すれば分かるのかもしれない。分かっても、誰にも言えないけれど。


 ふと隣を見ると、父は仕切りの外ではなく、訓練場の隅のほうを見ていた。


 一人の生徒が、床に敷かれた土の上に両手をついていた。しばらくすると、土がゆっくりと盛り上がり、膝の高さほどの壁になる。そして、すぐにぼろぼろと崩れた。


 指導役らしい大人が何か言い、生徒はもう一度、土に手をついた。また盛り上がって、また崩れる。


 晴斗はちらりとそれを見て、すぐに目を戻した。さっきの薙刀の一閃が、まだまぶたの裏に残っていた。


 父だけが、その生徒が何度も手をつくのを、しばらく黙って見ていた。



ーーー



 帰りの電車は、行きよりも空いていた。


 父はネクタイをゆるめて、窓の外を眺めていた。晴斗は膝の上のパンフレットを、何度も開いては閉じた。


「どうだった」


 しばらくして、父が言った。


「あの模擬戦、すごかった」


 口に出したとたん、言葉が止まらなくなった。


「薙刀、届いてないのに土人形が切れてたでしょ。あれ、風で刃を伸ばしてたんだと思う。それに最後の、後ろから出てきたやつ。見てないのに振り向いてた。配信だとカメラが追いかけるから分かんないけど、あんなに速いんだ」


「そうか」


「三つしか違わないんだよ。三年であそこまでいけるんだ」


 父は窓の外を見たまま、黙って聞いていた。


「父さんは、隅で土の壁を作ってた子のほうが気になったな」


「え、いた? そんな人」


「いた」


 父は、少し考えるように黙った。


「父さんは、ああいうのが好きだな」


「ああいうの?」


「毎日、同じことをやるやつ」


 晴斗は父の横顔を見た。父は、それ以上何も言わなかった。


 毎朝、シャッターを上げる。バケツに水を張る。茎を斜めに切る。晴斗が生まれたときから、父はずっとそれを続けてきた。


「……ふうん」


 よく分からないまま、晴斗は頷いた。膝の上でパンフレットを開くと、表紙をめくった最初のページに、訓練場の写真が載っていた。



ーーー



 家に帰ると、日和が店から飛び出してきた。


「いい学校だった?」


「たぶん」


「たぶんって何! おまじない効かなかったの?」


「効いたよ。たぶん」


「だから、たぶんって何!」


 店の奥で、母が笑う声がした。


 その夜、晴斗は机の引き出しからボールペンを取り出した。


 進路希望調査票の第一志望の欄には、鉛筆で薄く書いた学校の名前が残っている。


 晴斗はその文字の上を、ゆっくりとなぞった。






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