↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
87/90

87.剣が滑る

裂け目は、サンジュから西へ半日の丘陵にあった。


地面が、40歩ほど、まっすぐに裂けている。


縁から覗くと、下から湯気が上がっている。赤くはない。薄い、白い湯気だ。


北の3つが凍る前と、同じ顔をしていた。


俺は、3日ぶん、ここに入る。


段取りは決まっている。


地脈喰いは、飽いが10体で来る。だから9体で切り上げる。戻りは19日。


1体に、俺の足で四半刻。休みを入れて、1日3体。


3日で9体。10体目には、絶対に手を出さない。


——出さないことが、いちばん難しい。


地脈喰いは、裂け目の底から、湯気と一緒に出てくる。


形は、蚯蚓(みみず)に似ている。ただし太さが樽で、長さが荷車3台ぶんある。


目がない。だから音と熱で寄ってくる。


倒し方は、3年半前から決まっている。


出かけに頭を打たない。頭は硬い。打っても仰け反るだけで、そのぶん体が底へ戻る。


底へ戻られると、また湧きの頭から数え直しになる。


だから、出きるまで待つ。


全部出た瞬間に、6節目を断つ。


6節目は、地面から出たばかりのときだけ、薄い。


——その1拍を待つのが、この獲物の全部だ。


待って、断った。


湯気が、上に抜けた。


1体目を落としたとき、俺は、縁に座り込んだ。


数字が、想像と違っていた。


北の裂け目では、9体で1つ上がるかどうかだった。


Lv486のとき、俺は計算した。7つ全部を1周して、上がるのは8そこそこ。1周19日。


それがこの世界の天井だと思っていた。


だが、ここは。


1体目で、はっきり動いた。


2体目でも動いた。


——誰も、獲っていないからだ。


この世界には、地脈喰いを狩れる人間がいない。


つまりこの裂け目は、湧きはじめてから一度も間引かれていない。


戻りが19日の場所が、何百年ぶんも、そのまま積まれている。


俺は、9体で止めた。


止めるとき、久しぶりに惜しいと思った。


10体目の湯気が、すぐ下で上がっているのが見えていた。


見えていたが、止めた。


止めるのが、俺のやり方だ。


 Lv.556


3日で、6つ。


——陸に上がってから、初めて笑った。


   ◇


4日目の昼に、宿へ戻った。


誰もいなかった。


女将に聞くと、3日前の朝に全員出たという。


「海のほうだよ。若いのが3人、案内に来てね」


——シュイたちだ。


「潮喰いの大蛇」


「そう、それ。うちの人が言うには、いま満潮が朝方だから、ちょうどいいって」


俺は、その場で刻を数えた。


満潮洞が開くのは、満潮の前後2刻だけだ。


入れるのは、満潮の2刻前から。


閉じるのは、満潮の2刻後。


つまり、中にいられるのは、都合4刻。


だが、潮喰いの大蛇は1体に半刻かかる。3体いれば1刻半。


行き帰りに1刻。


——戻りの余裕が、1刻半しかない。


そこまでは、俺の本にも書いてある。


書いてあるのは、俺の本だ。


彼女たちが持っているのは、淵語のほうだ。


「女将さん。この街で売ってる狩りの本、ありますか」


「あるよ。うちの馬鹿息子が買ったやつが」


俺は、それを開いた。


読めない。


だが、ロウに習った字が、2つだけ分かる。


『満潮』と、『入』だ。


その2文字しか、書いていなかった。


——「満潮に入れ」。


入れる時間は書いてある。


出られる時間が、書いていない。


俺は、宿を出て走った。


   ◇


海まで、馬で半日。


着いたのは、日が傾いてからだった。


満潮は、とっくに過ぎている。


洞の口は、水の下だ。


岩の上に、人が固まっていた。


ずぶ濡れの、8人。


——全員、生きていた。


徹が、俺を見て、腰から崩れた。


「ノルンさぁん……」


「無事ですか」


「無事です。無事なんすけど、俺、寿命が3年ぐらい減りました」


リゼは、濡れた髪のまま、俺のところに来た。


「遅い」


「ごめん」


「わたし、矢が10本残ってた」


「……何本撃った」


「30」


——30撃って、足りていない。


そういう相手だ。


   ◇


火を焚いて、順に聞いた。


徹が、濡れた紙を広げた。字が滲んでいたが、刻だけは書いてある。


「入ったのが、満潮の2刻前です。ここまでは表のとおりでした」


「はい」


「1体目が、半刻で落ちなかったんすよ」


セシルが、続けた。


「剣が、入らないんです」


彼女は、両手で形を作った。


「甲殻が、瓦みたいに重なっていて。上から斬ると、滑ります」


「横は」


「横も滑ります。角度が全部逃げるんです」


「魔法は」


「洞の中で《断空》を撃つと、跳ね返って味方に当たります」


彼女は、そこで唇を噛んだ。


「1回撃って、それが分かりました。ロウさんの腕を、掠めました」


——洞の中の風魔法。


俺の本の、後ろのほうに書いてある。


『隘路での風系は自傷を伴う。使用不可』


書いてある。原本には。


「1体目の途中で、ロウさんが『こいつ、本と違う』って言ったんです」


セシルが、火を見たまま言った。


「本には、なんて」


「『満潮に入れ』と」


「それだけですか」


「それだけです」


彼女は、濡れた本を火のそばに置いた。


紙が反って、四角い字が歪んでいた。


「わたしたち、その1行で入りました」


「それで、1体目に1刻半かかりました」


徹が、紙を指でなぞった。


「そこで潮が変わって、口が閉じはじめて」


「2体目と3体目が、奥から出てきたんです」


セシルの声が、少し掠れた。


「わたしたち、退路のほうに追い込まれました」


「水が、腰まで来てました」


徹が、指で自分の腹を指した。


「腰まで来たら、もう走れないんすよ。膝から下が言うこときかなくて」


「わたしは、矢を数えてました」


リゼが言った。


「30本撃って、10本残ってた。1体に15本いる計算だった」


「2体で30本。3体目のぶんがない」


「なかった」


彼女は、そこで初めて、少しだけ声を落とした。


「セシルが、前に出ようとした」


「……出ました」


セシルが、俯いた。


「わたしが《紅蓮嵐》を洞の中で撃てば、たぶん、1体は止まりました」


「天井が落ちます」


「落ちますね」


彼女は、そう言って、笑おうとして、失敗した。


リゼが、短く言った。


「詰んでた」


——詰んでいた。


剣が通らない。矢は足りない。魔法は使えない。退路は塞がる。


この世界の武器が、全部、その場で無効になっていた。


「それで、どうやって出たんですか」


3人が、顔を見合わせた。


先に答えたのは、シュイだった。


濡れた棍を抱えて、まだ震えている16歳が、こう言った。


「斧が、飛んできた」


   ◇


俺は、聞き返した。


「……斧?」


「上から降ってきた。入口の崩れたとこから、人が落ちてきて」


「1発だよ」


ロウが言った。腕に布を巻いている。


「1発で、甲殻が割れた。おれの剣が20回滑ったところに、1発だ」


「そんで、そいつが言ったんだ」


ターが、弓を抱えたまま、興奮した声で言った。


「『斧は当てる武器じゃない』って」


——え。


「『当たった1回で終わらせる武器だ』」


「『硬い相手ほど、有利になる』」


火の音が、やけに大きく聞こえた。


その言葉は、俺のだ。


北の街の、安宿の階段で、17歳のFランクに言った。


——1年半前だ。


紙に書いていない。掲示板にも貼っていない。


誰かに言ったのは、あの1回きりだ。


それが、東海を渡った岩場で、15歳の少年の口から出てきた。


「その人」


俺は、自分の声が低くなるのが分かった。


「その人、どこですか」


「もう行った」


シュイが言った。


「サンジュの方角。別の道から行くって」


「名前は」


「名乗った」


ロウが、濡れた紙を1枚差し出した。


汚い字で、名前が書いてある。


下手な字だ。宛名を書くのが、致命的に下手な字だ。


——見たことがある。


封の横に、斧の絵が描いてあった、あの字だ。


『ラス・ウェイド』


そして、その下に、本人が言ったという一行が、ロウの字で書き足してあった。


『師匠の、一番弟子です』


   ◇


俺は、立ち上がった。


「ノルン」


リゼが、袖を掴んだ。


「知ってる人?」


「知ってる」


「強い?」


俺は、答えるのに、少し時間がかかった。


1年半前、あいつは、格が20あるかないかだった。


3年Fランクで、斧しか持っていなくて、語尾が消える喋り方をしていた。


その男が、潮喰いの大蛇の甲殻を、1発で割ったという。


「……知らない」


俺は、正直に言った。


「知らないけど、たぶん、俺が知ってるより強い」


——一番弟子。


そんなものを、俺は一度も名乗らせた覚えがない。


弟子にした覚えもない。


あの街で俺がやったのは、階段で2回、飯を食いながら喋っただけだ。


契の数と、間合いと、息の話。それだけだ。


それだけで、7か月の海の向こうまで、人間は来るのか。


「ノルンさん」


徹が、濡れた紙を畳みながら聞いた。


「追いかけるんすか」


「追いかけます」


「いま夜ですけど」


「夜のほうが、宿にいます」


俺は、馬の腹を締めた。


リゼが、当たり前の顔で、隣の馬に乗った。


「わたしも行く」


「濡れてる」


「乾く」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。