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84/90

84.ノルン先生はもっと年寄りだ

三渚(サンジュ)は、水の上に線を引いて作った街だった。


運河が6本、南北に通っている。


その6本を、橋が28本繋いでいる。


歩いてみて分かったが、橋の幅が全部同じだ。荷車が2台、すれ違える幅。


——測って架けている。


港で、両替をした。


東の通貨は貫(かん)という。1貫で、金貨1.2枚。


手数料は1貫につき銅貨6枚だ。


俺は、金貨96枚を持っていた。全部替えると80貫、手数料は480銅貨になる。


「一度に替えたほうがいいですか」


「そりゃ、まとめたほうが安い」


両替商は、そう言った。


嘘ではない。だが、正確でもない。


手数料は貫につく。まとめても率は変わらない。


まとめて替えたほうが安いのは、両替商のほうだ。


俺は、40貫だけ替えた。


残りは、値が要るときに替える。


   ◇


冒険者ギルドは、3本目の運河の東岸にあった。


石造りで、入口の前に露店が6つ出ている。


飯、縄、干し肉、薬、矢、そして——本。


その露店の台に、20冊ほど積んであった。


俺は、1冊手に取った。


紙が薄い。綴じ方が違う。


字は、全部、線の多い四角い字だ。


1文字も読めない。


だが、表紙の真ん中に押された題字の下に、1行だけ、読める形の音写があった。


『ノルン先生』


——俺の名前だけが、読める。


中身が1文字も読めない本の表紙に、俺の名前が乗っている。


「それ、いま一番売れてる本だよ」


露店の親父が言った。


「銀貨40枚。安くはないが、これで死ななくなったやつが大勢いる」


「……これを書いた人を、知ってますか」


「知らねえよ。ノルン先生だろ」


「どんな人だと思いますか」


親父は、当たり前のことを聞かれた顔をした。


「そりゃ、年寄りだ」


「年寄り」


「何十年も狩り場を見てきた人間の書き方だ。若造にゃ書けねえよ」


後ろで、徹が銭袋を出していた。


「1冊ください」


「毎度」


「徹さん」


「いや、記念に」


彼は、銀貨40枚を数えて置いた。


「自分の本に金払った人、たぶん、ノルンさんが世界で初めてっすよ」


「払ったのは徹さんです」


「経費で落としていいすか」


「どこにです」


セシルは、その横で、露店の親父に字を指して聞いていた。


「これは、なんと読むのですか」


「え? あんた、読めねえのにうちの本買うのか」


「読めるようになります」


彼女は、当たり前の顔でそう言って、帳面を出した。


——この人は、王都で13人に上級魔法を教えた人だ。


いま、露店の前で、四角い字を1文字目から写している。


   ◇


ギルドの中は、混んでいた。


掲示板の前に、20人ほど集まっている。


見に行くと、依頼票が10枚貼ってあった。


そのうち3枚が、同じ場所の同じ獲物だった。


『北運河・水蜥蜴の掃除 報酬2貫 ※先月より数が減っております』


「減ってんじゃねえ、いなくなったんだ」


前にいた男が、連れに言った。


「先々週は50匹いた。先週は12匹。今週は3匹だ」


「魔物がいなくなるなんて、聞いたことねえぞ」


「食い尽くしたんだろ」


俺は、横から聞いた。


「すみません。北運河、獲り始めたのはいつからですか」


「……あ?」


「何日か、覚えてますか」


男は、面倒くさそうに答えた。


「ひと月ちょい前だな。水が増えて湧きがよくなったんで、みんな入った」


「毎日ですか」


「毎日だ。稼げるからな」


——それだ。


「9日、空けてください」


俺は、そう言った。


「9日、誰も入らなければ、元の数に戻ります。その3匹も獲らないでください」


「……は?」


「いま獲ってる3匹が、次の湧きの種です」


「種」


「湧きは、残った数から増えます。ゼロにすると、戻りません」


20人が、静かになった。


それから、いっせいにざわついた。


「そんな話、どこに書いてある」


「……いま、そこの露店で売ってます」


「読んだのか」


「読めません」


俺は、正直に答えた。


「読めないですけど、俺が書きました」


20人が、いっせいに笑った。


笑い声が収まってから、いちばん後ろにいた年かさの男が言った。


「兄ちゃん。9日空けろってのは、本気で言ってるのか」


「本気です」


「北運河は、いまこの街でいちばん稼げる場所だぞ。9日止めたら、みんな食えねえ」


「9日止めないと、来月から一生食えません」


俺は、掲示板の3枚を指した。


「50、12、3です。この落ち方なら、次は0です」


「……戻るって保証は」


「ありません」


俺は、そう答えた。


「ただ、10日目に戻っていなかったら、俺が9日ぶんの日当を全員に払います」


男が、目を丸くした。


「何人いると思ってんだ」


「この掲示を見てる人数ぶんで結構です」


——20人。


日当が東の相場で銅貨70枚として、9日で1万2600枚。金貨にして126枚。


俺が持っている全部より、多い。


「……あんた、いくら持ってる」


「足りません」


「おい」


「足りないので、当ててみせます」


   ◇


そこからが、速かった。


前にいた駆け出しの3人組が、こっちに向き直った。


棍を持った少女が、いちばん先に口を開いた。


「いま、なんて言った」


「俺が書いた、と言った」


「ノルン先生はもっと年寄りだ」


彼女は、はっきり言った。


シュイ、と名乗った。


「あの本は、何十年も狩り場を見てきた人間が書いたものだ」


横の、剣を差した青年が腕を組んだ。ロウという。


「剣を差した若造に書けるか」


うしろの、弓を背負った少年が言い足した。ターというらしい。


「騙るなら、もっとマシな人を騙れよ」


3人とも、本気で怒っていた。


面白がって絡んでいるのではない。


自分たちが銀貨40枚を払って、命を預けている本の著者を、目の前の男が名乗ったのだ。


怒るのが、正しい。


「証明できるか」


シュイが言った。


「中身なら、全部言える」


「暗記したんだろ」


「……だよな」


——ああ。


そこで、俺は、やっと気づいた。


この街で、俺は隠していない。


名乗っている。


名乗っているのに、通っていない。


北の街では、格を隠すために『ノル』と名乗って、Dと書いた。


ここでは、何もしていない。


何もしていないのに、世界のほうが勝手に隠してくれる。


俺の顔と、俺の強さと、俺の年格好は、東海を渡ってこなかった。


渡ったのは、名前と、紙だけだ。


シュイが、最後にこう言った。


「本物のノルン先生なら、あたしらの村に来てくれてる」


「村」


「北運河の、いちばん上だ」


彼女は、そこで初めて目を逸らした。


「先月から、夜に何か出てる。犬が3匹やられた。ギルドは人を出してくれない」


「見た人はいるか」


「見たやつは、夜明け前に見たって言ってる」


——夜明け前。


俺は、聞き返さなかった。


聞き返すと、また騙りだと思われる。


「その犬は」


「え」


「骸は、残ってたか」


シュイの目が、動いた。


「……なんで、それを聞く」


「残ってなかったんだな」


3人が、黙った。


ロウが、低い声で言った。


「血だけだ。毛も骨も、なかった」


——確定した。


野犬でも、盗賊でも、獣でもない。


骸を残さないものが、この街の上流にいる。


「その村、何人だ」


「40人ちょっと」


「いつ帰る」


「……あんたに言う理由がない」


シュイは、そう言って背を向けた。


背を向けてから、一度だけ振り返った。


「言っとくけど、村には来るなよ。金は払えねえからな」


   ◇


宿は、5本目の運河沿いに取った。


窓を開けると、水の匂いがした。


夜、俺は帳面ではないほうの紙を出して、東の狩場の段取りを書いた。


書きながら、別のことを思い出していた。


——3年半前の、春だ。


俺は、攻略サイトの魔法の頁を更新していた。


初級、中級、上級。全部、条件を書き切った。


最後に、4つ目の段があった。


超級。


実装されているのは分かっていた。名前も4つ、データに出ていた。


だが、条件が公開されていない。


俺は、半年かけて検証した。祭壇の前で1000回撃った。月の形を全部試した。地震の日に地割れへ降りた。


出なかった。


上位のギルドも、外国鯖の廃人も、誰一人出していなかった。


だから俺は、その行に、こう書いた。


『超級魔法:取得不能』


それから3年半、誰もその行を直さなかった。


925まで上げても、俺は1つも取れなかった。


取れないものは、取れないと書く。


——それが、間違っていたなどとは、あの夜の俺は、1秒も思っていない。


   ◇


灯りを消したあとで、リゼが言った。


「詐欺師のノルン」


「やめろ」


「詐欺師のノルンさん、じゃなくて、詐欺師のノルン」


「そこは直さなくていい」


「明日、村に行くの?」


「行く」


「来るなって言われてたけど」


「言われた」


「本物のノルン先生として行くの?」


「……ただの狩人としてでいい」


「先生のほうが、たぶん、門を開けてもらえる」


「開けてもらえないよ」


俺は、天井を見たまま言った。


「先生は、年寄りだから」


リゼが、暗がりで少し笑った。


笑ってから、平らな声に戻って言った。


「わたしは、書いた人を知ってる」


「うん」


「それでいいと思う」


——それでいい、と言われると、少し楽になる。


しばらくして、暗がりでもう一度、声がした。


「詐欺師のノルン」


「寝ろ」

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