↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
82/88

82.春が二度来た街

ヴェルンハイムに、二度目の春が来た。


順番は、去年と同じだった。


港の氷が割れて、鳥が戻って、詰所の壁の表が貼り替わる。


違うのは、貼ってある表の枚数だ。


去年の春は、3枚だった。


いまは、11枚ある。


俺は、朝のうちに帳面を開いた。


攻略のことは書かない、ほうの帳面だ。


買ってから、4か月になる。


頁の上から3番目に、『母 台所』の項目がある。


その下が、3か月、空いたままだ。


炭を持って、しばらく待った。


出てきたのは、氷原の、進軍の前の晩だった。


天幕の中で、リゼが指を折っていた。


「ごはん、あっためる?」


「電気つけなさい」


「まだやってるの」


3つとも、合っている。


合っているのに、声が、リゼだった。


俺は、その下に1行足した。


『※声は、リゼのになった。』


炭を持ち直して、もう1行足した。


『※これは、書いておいたほうがいい。』


書けるものから書く。


書けないものは、書けないと書いておく。


2年かけて覚えた、俺のやり方だ。


   ◇


昼、灰狼の詰所に呼ばれた。


ヴィオが、卓の上に紙の束を放った。


「東から来た船が、これを持ってきた」


「ギルドの回覧ですか」


「3枚ある。うちの荷が2つ、東の街道で消えてる」


彼女は、椅子の背に体を預けた。


「読めるやつに読ませたい。読んで、値をつけろ」


俺は、1枚目を取った。


翠州(すいしゅう)連邦。内陸の街道。宿場が3つ、ひと月で潰れている。


出るのは夜明け前。


姿は「悪鬼のよう」と書いてある。角があり、腕が長く、歯が並んでいる。


分類の欄に、こうあった。


『野盗の類と思われる』


——違う。


俺は、1枚目を伏せた。


「セシルさん。2枚目と3枚目、読んでもらえますか」


「え、あの、わたしがですか」


「合ってるかどうか、確かめてほしいので」


俺は、天井を見た。


「1つ。数が日ごとに増えてます。最初は2、3体で、いまは20を超えてるはずです」


セシルが、紙をめくった。


「……『初めは二、三。いまは二十を数う』」


「2つ。斬っても死体が残りません。焼いても灰が出ません」


「……『骸なし。灰もなし』」


「3つ。同じ場所に二度は出ません。出る場所が、内陸から外へ、少しずつ動いてます」


セシルの手が、止まった。


彼女は、紙を持ったまま、俺を見た。


「ノルンさん」


「はい」


「これ、まだ読んでませんよね」


「読んでません」


「……全部、書いてあります」


ヴィオが、椅子から体を起こした。


「先生。何だそれは」


俺は、答えた。


「羅刹兵(らせつへい)です」


詰所の音が、一段下がった。


名前は、ゲームのものだ。


悪鬼の姿をした雑魚で、夜明け前に湧いて、斬っても骸が残らない。3年半で、何千体も斬った。


出所は、言わない。


この街では、もう誰も「なぜ知っている」と聞かない。


「強えのか」


「1体なら、この街の中堅で勝てます」


「なら、荷の1つや2つ——」


「ヴィオさん」


俺は、そこで区切った。


「あれは、ある場所の内側にしか湧きません」


「3年半、一度も、外で見たことがないんです」


俺は、伏せた紙を、指で押さえた。


「外に出てるなら、内側が、開いてます」


「……内側ってのは」


「東の柱です」


徹が、壁際で口を開けた。


「あの、それ、北で出たやつと、同じ枠すか」


「同じ枠です」


「……うわあ」


彼は、腕章を握って、そのまま黙った。


ヴィオは、しばらく紙を見ていた。


それから、短く聞いた。


「いつだ」


「分かりません」


俺は、正直に答えた。


「あれが湧きはじめる瞬間を、見た人間がいません」


「あんたもか」


「俺もです」


——知らないほうを、先に言う。


知らないことを数えるのにも、練習が要る。


「値をつけろ、って言いましたよね」


「言った」


「荷は、2つでは止まりません」


俺は、3枚目の、出た場所を書いた欄を指でなぞった。


点が、内陸から海のほうへ、順番に並んでいる。


「この街道は、ひと月で閉じます。二月(ふたつき)もちません」


「……根拠は」


「湧く場所が、外へ動いてるからです。内側が広がってます」


ヴィオは、椅子を鳴らして立った。


帳簿を開いて、東廻りの頁に、その場で線を引いた。


書き終えてから、顔を上げずに聞いた。


「先生。それ、確かか」


「確かじゃないです」


俺は、そう答えた。


「ただ、外れたら損するのは荷です。当たったときに損するのは、人です」


彼女は、ペンを置いた。


「……8年かけて、1.1倍にした商売だぞ」


「知ってます」


「それを、おまえの一言で削らせるのか」


「はい」


ヴィオは、鼻から息を吐いて、帳簿を閉じた。


「削る」


東へ行く理由は、3つある。


1つ目は、羅刹兵だ。


2つ目は、裂け目(ギンヌン)だ。


この大陸の裂け目は7つある。竜骨山脈の裏に2つ、東の高原に1つ、西の岬に1つ、北の氷原の手前に3つ。


全部、回った。3つは、いまも凍っている。


だが、ゲームでは、裂け目は10あった。


残りの3つは、東海の向こうにある。


飽いの開始は10体。9体で切り上げて次へ移る。戻りは19日。順に回れば、最初の1つがちょうど戻っている。


去年、Lv486のときに計算した。7つを1周して、上がるのは8そこそこ。1周19日。


いまはLv550だ。同じ計算をやり直すと、数字はもっと下がる。


既知の狩場では、もう埋まらない。


——ただし、東の3つは、誰も獲っていない。


この世界に、地脈喰いを狩れる人間はいない。


湧きはじめてから一度も間引かれていない裂け目が、3つある。


そこがどうなっているかは、俺も知らない。


知らないが、行く価値はある。


3つ目は、俺の手順書だった。


「東の6都市で、銀貨40枚で売られてます。前提を全部抜いたやつが」


「あれか」ヴィオが鼻を鳴らした。「訳されてるらしいぞ」


「……訳?」


「東の字にだとよ。表紙に、おまえの名前だけ残してな」


俺は、少し黙った。


訳したものは、俺には読めない。


読めないものが、俺の名前で売られている。


「3つ目が、いちばん安い理由だな」


ヴィオが言った。


「はい」


「いちばん腹の立つ理由だろ」


「……はい」


   ◇


その夜、詰所の卓に7人が残った。


東へ行くのは、そのうちの6人になる。


徹が、真っ先に手を挙げた。


「行きます。船、3週間すよね。飯と水と、当番表つくっときます」


「頼みます」


「俺、シフト組むの得意なんすよ。夜勤のない船はないんで」


セシルが、そのあとに言った。


「わたしも、行きます」


「教壇は」


「……もう、わたしじゃなくても回ります」


彼女は、指を4本立てた。


「ヤナさんと、上の3人が続けてくれます。わたしが教えた人が、もう教えてるので」


——教わった側が、教える側を作っていた。


俺の書いた紙は、そこには1枚もない。


「わたし、行きます」


掠れた声が、卓の低いところから来た。


リノだった。


「東の獲物は、誰も見てません」


「見たら、書きます」


相馬は、板と炭を膝に乗せたまま、ひとことだけ言った。


「行きます」


それから、半拍遅れて、少し笑った。


「わたし、船、初めてです」


リゼは、行く行かないの話に入らなかった。


彼女は、卓の端で弓弦を巻いていて、話が途切れたところで顔も上げずに言った。


「荷、もう積んだ」


「まだ何も決めてない」


「決まる」


——決まった。


シグルドは、窓の外を見たまま言った。


「俺とレインは、あとから追う」


「助かります」


「ミアは、連れていかん」


彼は、そこで初めてこっちを見た。


「一族の最後の子を、柱に近づけんよ」


   ◇


出航は、10日後の朝だった。


船の名は『海燕(かいえん)』といった。東廻りの交易船で、行き先は三渚(サンジュ)。海路3週間。


船賃は、1人14金貨。6人で84枚だ。


徹は、乗る前から帆柱に紙を貼っていた。


水の当番、飯の当番、見張りの当番。6人ぶんが、3週間、日付で埋まっている。


船長が、それを見て眉を上げた。


「客が当番表を持ってきたのは、初めてだ」


「あ、すんません。癖なんで」


「……減らせるか。うちの水夫のぶんも」


「見ます」


徹は、その場で紙をもう1枚出した。


——この人の武器は、いつも1回で通る。


ヴィオは、桟橋で帳簿を閉じてから、その袋を俺の胸に押しつけた。


「利子は取らねえ」


「……いいんですか」


「その代わりだ。先生」


彼女は、片目の古傷を歪めて笑った。


「灰狼の件、まだ諦めてねえからな」


「1年4か月、言い続けてますね」


「あと9年8か月ある」


計算が、合っていた。


「まだ、言葉にできてません」


俺は、そう言った。


「断る理由のほうです。言葉にできないまま、断ってます」


「上等だ」


ヴィオは、袋の口を締め直した。


「言葉にできてねえってことは、まだ脈があるってことだ」


そして、船が岸を離れるとき、彼女は桟橋の先まで来て怒鳴った。


「帰ってこい! 帰ってこねえと、84枚が回収できねえ!」


徹が、甲板で笑った。


リゼが、笑わずに手を振った。


——この人たちは、金額で人を送り出す。


そういう街で、俺は2回、春を見た。


   ◇


ヴェルンハイムの屋根が、水平線の下に落ちた。


俺は、ステータスウィンドウを開いた。


 Lv.550


 クエストログ


 進行中:帰??


 称号:二柱――


2文字のままだ。


柱を1つ落としてから、5か月。1文字も動いていない。


東の空は、よく晴れていた。


向こうに、あと2つある。


そのうちの1つが、いま、開こうとしている。


そして、そこには。


俺の顔も、強さも、届いていない。


俺の名前だけが、先に着いている。


リゼが、横に来た。


潮の風で、髪が全部、後ろへ流れていた。


「ノルン」


「ん」


「『ごはん、あっためる?』」


彼女は、指を1本折った。


「まだ、持ってる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。