8.依頼票の読み方
冒険者ギルド、ステイン支部。
朝の9時に扉を押したら、中はもう人でいっぱいだった。
両開きの木の扉。天井の高い広間。左手にカウンターが3つ並び、右手は食堂になっている。正面の壁いっぱいに巨大な掲示板があって、その前に20人ほどが群がっていた。
——ちゃんと、ギルドだ。
ゲームの中では、ここは「依頼を受注するUIを開くための建物」でしかなかった。扉に近づくとメニューが開いて、依頼の一覧が出て、選んで、閉じる。それだけ。
今は、汗と革と麦酒の匂いがする。誰かが誰かを怒鳴っている。奥の食堂で朝から酒を飲んでいる集団がいる。掲示板の前では、紙の取り合いで小競り合いが起きていた。
俺はカウンターの列に並んだ。
順番が来ると、栗色の髪を後ろでまとめた若い女が、事務的な笑顔でこちらを見た。
「本日はどのようなご用件でしょう」
「登録をお願いします」
「初めてですね。登録料が5銅貨、それと簡単な聞き取りがあります」
「はい」
俺は銅貨を5枚置いた。
女——胸元の札には「ミリア」と書いてあった——は、羊皮紙を引き寄せて、羽根ペンを取った。
「お名前は」
「ノルンです」
「家名は」
「……ありません」
ミリアの手が、一瞬止まった。それから、何事もなかったように書き込んだ。家名のない人間は珍しくないらしい。
「ご出身は」
「東のほうです。村の名前は、たぶんご存じないと思います」
「差し支えなければ」
「……カルナ、といいます」
咄嗟に、遺跡の名前をもじって答えた。
ミリアはまた何事もなく書き込んだ。俺は内心で冷や汗をかいた。この手の質問は、これからも何度でも来る。もっとちゃんとした嘘を用意しておかないとまずい。
「戦闘の経験は」
「兎を少し」
「では、Fランクからのご登録になります。ランクは実績に応じて上がります。F、E、D、C、B、A、そしてS。ステイン支部で最高位はDランクの方が3名、Cランクが1名です」
「Cが1人だけですか」
「ええ。この街は、駆け出しの方が多いので」
なるほど、と俺は思った。
ゲームの中では、この街のギルドにはランクの概念そのものがなかった。依頼に推奨レベルが表示されるだけだった。
現実では、ランクという制度がある。制度があるということは、そこには「昇る速度」という概念があり、「異常な速度で昇る人間」は目立つということだ。
——気をつけないとな。
ミリアは、薄い金属の板を差し出した。
「こちらが冒険者証です。無くさないでください。再発行は20銅貨いただきます」
「ありがとうございます」
「それと」
彼女は少し声を落とした。
「ノルンさん。差し出がましいようですが、最初の1か月は、街の外壁が見える範囲から出ないことをお勧めしています」
「……なぜですか」
「去年、この支部で登録された方は384人です。半年後も冒険者を続けていた方は、211人でした」
俺は、その数字を頭の中で引き算した。
173人。
「亡くなった方ですか」
「いいえ。ほとんどは辞めた方です。亡くなったのは……」
ミリアは言葉を選んだ。
「17人です」
◇
掲示板の前に立った。
紙が、びっしり貼ってある。
俺はまず全体を眺めた。100枚以上ある。取り合いが起きているのは、右上の一角だった。
近づいて、内容を読んだ。
『倉庫整理 報酬15銅貨 半日』
『荷運び(西門〜南通り) 報酬12銅貨』
『下水の詰まり除去 報酬22銅貨 汚れます』
——なるほど。
みんな、報酬の額で選んでいる。
当たり前だ。この世界の連中には、経験値バーが見えていないのだから。
俺は右上を無視して、掲示板の左下——誰も見ていない一角に移動した。
そこには、こういう紙が貼ってあった。
『東の森 森狼の間引き 8体 報酬30銅貨 ※耳を証拠として持参のこと』
『毒沼周辺 リザードマンの調査 目撃情報の収集 報酬25銅貨』
『岩塩坑 ゴーレムの出現報告あり 要調査 報酬80銅貨 ※Dランク以上』
森狼の依頼票は、紙が日焼けしていた。相当長いこと、誰も取っていない。
理由は分かる。
森狼は3体で1組になって動く。Fランクの駆け出しが単独で行けば、まず勝てない。しかも8体という数字は、パーティを組んで丸1日かかる。それで30銅貨。倉庫整理を2回やったほうが実入りがいい。
——だが、経験値で見ると、まるで話が違う。
角兎1体から得られる経験値を1とすると、森狼は6.4だ。
これはゲームの数字だ。俺が4年近く前に、掲示板の検証スレで自分で測った値でもある。
森狼を8体倒すというのは、角兎を51体倒すのと同じ経験値が入るということだ。
しかも角兎はもう119体倒している。次に狩れば習熟度の逓減が始まる。
つまり今の俺にとって、角兎の価値は7割に落ちている。
森狼は、まだ0体だ。
俺は紙を剥がした。
◇
「……本気ですか」
受付でミリアが、依頼票と俺の顔を交互に見た。
「はい」
「森狼は群れで動きます。3体一度に来ます。Fランクの方が単独で受けられる依頼では、正直、ありません」
「谷筋なら、いけると思います」
ミリアが眉を上げた。
「谷筋?」
「東の森の、沢を渡った先です。両側が崖になっていて、幅が人ひとり分しかない場所があります。あそこなら、3体でも1体ずつしか入ってこられません」
——これは、ゲームで最も有名な「初心者向けの詰まり地形」だ。
森狼は3体で行動するが、この世界のモンスターの挙動は単純で、通路が狭ければ縦一列に並ぶ。先頭の1体を倒すと、次が前に出るまでに2秒かかる。
つまり、あの谷筋では、森狼は「3体の群れ」ではなく「1体を3回」になる。
当時、俺はこの地形をレベル12で見つけて、掲示板に書いた。「初心者はここで狩れ」というテンプレになって、しばらく人が溢れた。
ミリアは、しばらく黙っていた。
それから、依頼票に判を押した。
「……お気をつけて」
「ありがとうございます」
俺が扉に向かおうとしたとき、二階から声がした。
「ミリア」
見上げると、二階の回廊の手すりに、女がひとり寄りかかっていた。
50を過ぎているだろうか。髪はほとんど白く、短く刈り込んでいる。腕まくりした右腕に、古い火傷の痕が肘から手首まで走っていた。
「そいつ、今日登録したのか」
「はい、ギルドマスター」
俺は会釈をした。
女は俺を見下ろして、それだけだった。何も言わず、身を翻して、奥へ消えた。
◇
谷筋に着いたのは、昼前だった。
記憶通りの場所だった。両側の岩壁が迫って、地面に細い水が流れている。幅は、本当に人ひとり分しかない。
俺は入口に立って、鉈を構えた。
そして——3年半前と同じ、初心者の狩りを始めた。
森狼が来た。
灰色の、痩せた狼だ。角兎とは比べ物にならない。低く身を伏せて、間合いを測ってくる。
1体目が飛びかかってきた。
俺は谷筋に半歩下がって、来る方向を1つに絞った。
牙が、鉈の背に当たった。腕が痺れた。
——重い。
Lv6のSTR11では、押し返せない。だから押し返さない。俺は体ごと横にずれて、狼の勢いを逃した。狼は俺のいた場所に着地して、そこで体勢を崩す。
その首に、鉈を落とした。
一撃では死ななかった。二撃目で、動かなくなった。
HP 61/78
17ダメージ。
——4回で死ぬ。
2体目が前に出てきた。
俺は同じことをした。3体目も同じだった。
1組を片付けたところで、俺は谷筋を出て、岩に座って、水を飲んだ。手が震えていた。
◇
3組目を処理し終えたころ、日が傾いていた。
森狼、9体。
依頼は8体だから、1体ぶん多い。
俺は狼の耳を切り取って、麻袋に入れた。血の匂いがきつい。ゲームでは、討伐証明のアイテムは自動的に手に入った。現実では、自分でナイフを入れなければならない。
3体目の耳を切っているとき、少し吐きそうになった。
——慣れるんだろうな、これも。
慣れたくない気もした。
ステータスウィンドウを開く。
Lv.12
HP 132/132 MP 38/38
STR 21 VIT 19 AGI 24 DEX 17 INT 10 MND 11
朝はLv6だった。
1日で、6つ上がった。
◇
ギルドに戻ったのは、日没後だった。
食堂は満員で、駆け出したちが今日の稼ぎを数えていた。隣のテーブルで、若い男が3人、銅貨を数えている。
「今日は3銅貨だ」
「俺は5」
「昨日より減ってんじゃねえか」
俺はカウンターに、9枚の狼の耳を並べた。
ミリアの手が止まった。
「……8体では?」
「1体多く出たので」
「単独で、ですか」
「はい」
ミリアは耳を数え直した。二度数えた。それから顔を上げて、俺をまじまじと見た。
「あの、ノルンさん。あなた、今日、登録されましたよね」
「はい」
「本当に、今日ですか」
「今朝、あなたに5銅貨払いました」
ミリアはしばらく何か言いかけて、結局、報酬の30銅貨を数えて置いた。それから、少し多めの銅貨を追加した。
「超過分の1体は、買い取りにします。3銅貨です」
「ありがとうございます」
◇
食堂の隅で、黒パンとスープを頼んだ。9銅貨。
食いながら、俺は今日の数字を整理した。
所持金、105銅貨。
Lv12。
角兎の討伐習熟度は119で止めてある。森狼は9体。逓減の境界は200だから、あと190体は全力で美味しい。
——明日は毒沼だ。
リザードマンはLv18帯の敵で、今のLv12では正面から戦えば負ける。だが毒沼の東の浅瀬には、単体でしか湧かない場所がある。しかもあいつらは水中では動きが速いが、陸に上げると鈍い。
引きずり出して、乾いた岩の上で戦えばいい。
スープをすすりながら、そんなことを考えていたら、視線を感じた。
顔を上げる。
二階の回廊。
手すりに寄りかかって、あの白髪の女が、こちらを見下ろしていた。
目が合った。
彼女は視線を逸らさなかった。俺のほうが先に逸らして、スープに戻った。
——気をつけろよ、俺。
昨日まで一文無しだった男が、登録初日に単独で森狼を9体持ち帰る。
そんな駆け出しは、この世界にはいない。
いないことを、この街でいちばんよく知っているのは、たぶん、あの人だ。




