7.最初の半日
金がない状態から始めるとき、いちばんやってはいけないのは「働き口を探す」ことだ。
これは3年半でいやというほど見てきた。初心者が最初にやりがちなのは、ギルドの掲示板に張りついて、自分にできそうな依頼を探すことだ。だが依頼というのは、身分証と実績がある人間に回ってくる。初日の人間に回ってくるのは、報酬が3銅貨の草むしりみたいなやつだけだ。
俺がやるべきなのは、依頼を探すことじゃない。
「この街の誰も、拾っていないもの」を拾うことだ。
◇
まず、宿の裏手に回った。
ステインの宿屋は3軒ある。そのうち南通りの『赤鹿亭』の裏には、廃材置き場がある。ゲームの中では、ただの装飾オブジェクトだった。近づいても何も起きないし、調べることもできない。
現実だと、そこは「ゴミ捨て場」だった。
俺は積まれた木箱と麻袋の山を漁った。手が真っ黒になった。埃で3回くしゃみをした。
15分で、目当てのものが出た。
破れた麻布が2枚。ほつれた紐が数本。そして、底の抜けた木桶。
この街の人間にとっては、ただのゴミだ。誰も持っていかない。
だが俺には、この3つの使い道が分かる。
麻布と紐は、袋になる。底の抜けた桶は、輪切りにして紐を通せば、簡易な採取カゴになる。
なぜカゴが要るのか。
——手で持てる薬草の量には、限りがあるからだ。
このゲームには、アイテム欄がない。少なくとも、今の俺には。ステータスウィンドウを何度探しても、荷物を格納する項目はどこにもなかった。ゲームでは無限に物が入った便利な機能が、まるごと消えている。
つまり、俺は現実と同じルールで物を運ばなきゃいけない。
両手いっぱいの薬草より、カゴいっぱいの薬草のほうが3倍多い。
たったそれだけの差が、初日の稼ぎを3倍にする。
◇
次に、北門を出た。
門番の衛兵が、俺を見て「昨日の浮浪者か」という顔をした。俺は会釈だけして通り過ぎた。
門を出て街道を右に外れ、なだらかな斜面を200歩ほど登る。日当たりのいい南向きの斜面で、途中に大きな岩が3つ、三角形に並んでいる場所がある。
その岩の陰。
紫の小花が、群生していた。
数えた。9株。
——記憶通りだ。
このゲームの採取ポイントは、湧く場所と株数と再湧き時間が、すべて固定されている。ここは「9株、再湧き2時間」の群生地だ。
そして、この場所を、街の連中は使わない。
理由は単純で、遠いからだ。街道から外れて斜面を登らないと着かない。歩いて往復40分。9株の薬草のために40分歩くくらいなら、街の近くの群生地で3株ずつ拾ったほうがいい——というのが、この世界の常識的な計算になる。
だが、常識的な計算は「再湧き2時間」を知らない。
俺は知っている。
だから俺は、こうする。
9株を全部摘む。カゴに入れる。そして、そのまま次の場所へ移動する。
北門から北西へ12分のところに、もう一つ、7株の群生地がある。そこも摘む。
さらに西の沢沿いに、5株。
3か所を回り終えるころには、最初の場所が2時間経って再湧きしている。
——ぐるぐる回れば、待ち時間はゼロになる。
これは、俺がレベル30のころに気づいた巡回ルートだ。当時の掲示板に書いたら「効率厨」と笑われたが、実際、金策としては当時最速だった。
俺は2周した。
薬草、63株。カゴがいっぱいになった。
◇
3番目。湿地。
街の東、街道から南に下ったところに、じめじめした低地がある。ここにスライムが湧く。
スライムはこのゲームで最も弱い部類のモンスターだ。攻撃力は低く、動きは遅く、Lv1でも殴り殺せる。
問題は、こいつが硬いことだった。
物理耐性が高い。ボロい鉈でも持っていれば別だが、素手で殴ると、こっちの拳が痛いだけで、なかなか潰れない。
俺は木の枝を折って、先を尖らせて、それで刺した。
30分で、6匹。
腕がだるくなって、掌に豆ができた。Lv1の体は、想像以上に貧弱だ。STR5というのは、要するに「運動をしていない高校生」の数値なんだろう。ノルンの体は大きいのに、力が全然ついてこない。
それでも6匹。
スライムを潰すと、体の中心に、親指の先くらいの半透明な塊が残る。
——核だ。
俺はそれを6個、麻袋に入れた。
◇
街に戻ったのは、昼をだいぶ過ぎたころだった。
まず雑貨屋に行った。薬草を見せると、店主の女が慣れた手つきで数えて、こう言った。
「63株か。1株1銅貨で、63銅貨だね」
「はい」
俺は受け取った。この街の薬草の買値は1銅貨。これは記憶通りだった。
次に、俺は袋から核を1個出した。
「これは、いくらですか」
店主は覗き込んで、鼻に皺を寄せた。
「スライムの核かい。1個2銅貨だよ。正直、そんなに要らないんだけどね。誰も買わないから」
「なるほど。じゃあ、これはやめておきます」
「そう? 別にいいけど」
店を出た。
そして俺は、西通りの路地を入って、3軒目の店の扉を叩いた。
看板も出ていない、古い木の扉だ。開けると、むっとした薬品の匂いがした。天井から乾いた根っこが束で吊るされ、棚には色とりどりの瓶が並んでいる。
奥から、痩せた男が顔を出した。
「客か。何の用だ」
「これを、買い取ってもらえますか」
俺は6個の核を、カウンターに並べた。
男の目つきが、変わった。
「……あんた、これをどこで」
「東の湿地です」
「6個も潰したのか。素手で?」
「枝で刺しました」
男はしばらく核を見て、それから俺の顔を見て、指で1個をつまんだ。
「1個11銅貨だ。全部で66」
「お願いします」
男は銅貨を数えながら、ぼそりと言った。
「あんた、なんでここに来た。うちは看板を出してない」
「……人に聞いたんです」
嘘だ。
このゲームでは、スライムの核は「上級ポーションの触媒」というアイテム説明が付いている。だが序盤の初心者は上級ポーションなんて作らないから、大半のプレイヤーが2銅貨で雑貨屋に流す。錬金術師のNPCに売ると11銅貨になる——という情報が掲示板に載ったのは、実装から半年後のことだった。
この街の駆け出したちは、たぶん今も2銅貨で売っている。
◇
合計、129銅貨。
俺は武具屋で、いちばん安い鉈を買った。刃こぼれのある中古品で、42銅貨。
パン屋で黒パンを2つ買った。6銅貨。
食った。
——うまい。
正直に言うと、この日いちばん感動したのは、この黒パンだった。硬くて酸っぱくて、決して上等なものじゃない。だが2日ぶりの食事だ。俺は歩きながら食って、途中でむせて、水を買い忘れたことを後悔した。
残り、81銅貨。
日はまだ高い。
俺は鉈を握って、西門を出た。
◇
草原に、角兎がいた。
耳の長さが体の半分ほどある、白っぽい兎だ。額に細い角が1本生えている。推奨レベル3。このゲームで、全プレイヤーがいちばん最初に殺す相手。
俺は1匹に近づいた。
角兎はこっちを見て、跳ねた。真正面から突っ込んでくる。
避けようとして、避けきれなかった。
角が、俺の左の太ももを掠めた。
「っ——!」
痛い。想像していたより、はるかに痛い。皮が裂けて、血が滲んだ。
ステータスウィンドウの隅で、HPが減った。
HP 34/40
6ダメージ。
——40のうちの6。
7回食らったら、死ぬ。
俺は歯を食いしばって、跳ね返ってきた角兎の胴を鉈で叩いた。手応えがあった。もう一度叩いた。角兎が横に転がって、動かなくなった。
視界の隅で、経験値バーがわずかに伸びた。
俺はその場に座り込んで、しばらく荒い息を吐いていた。
——きっつ。
Lv925のノルンは、この生き物を、視界に入れる価値もない背景として扱っていた。近寄ってきたら歩きながら片手で吹き飛ばした。
そいつに、太ももを裂かれた。
俺は笑った。声を出して笑った。
これだ。
これが、いい。
◇
それから、日が暮れるまで狩り続けた。
角兎の攻撃パターンは1種類しかない。真正面からの突進だ。予備動作として、必ず後ろ足を2回踏む。
2回目の踏み込みを見てから右に半歩ずれれば、絶対に当たらない。
10匹目からは、無傷で処理できるようになった。
30匹目には、鉈を振る角度が定まってきた。
50匹を超えたころ、視界にレベルアップの表示が3回続けて出た。
そして——俺はある地点で、きっちり手を止めた。
角兎 討伐数:119
ここで止める。
理由がある。
このゲームには、通称「飽き補正」と呼ばれる仕様がある。正式名称は討伐習熟度。同じ種類のモンスターを一定数以上倒すと、その種から得られる経験値が段階的に落ちていく仕組みだ。
角兎の場合、その境界は120体だ。
120体目から、取得経験値が7割に落ちる。250体目で4割。500体を超えると、ほとんど入らなくなる。
——だから、119で止める。
そして次の狩場へ移る。
この境界値を、俺は主要なモンスター200種類ぶん、全部覚えている。3年半かけて、掲示板の連中と手分けして検証した数字だ。当時は「そこまでやる?」と笑われた。
笑われた数字が、今、俺の全財産だった。
◇
日没。
俺はステータスウィンドウを開いた。
Lv.6
HP 78/78 MP 22/22
STR 11 VIT 10 AGI 12 DEX 9 INT 6 MND 6
角兎の毛皮が23枚。腰の袋がぱんぱんに膨らんでいる。
太ももの傷はもう血が止まって、乾いた血がズボンに貼りついていた。掌の豆は潰れた。腕は上がらない。腹はまた減っている。
だが、俺は笑っていた。
朝、この街には一文無しの浮浪者がいた。
夜、そいつはLv6になっていた。
——明日は、ギルドだ。




