78.四重奏
第二形態が落ちたのは、開始から2時間30分だった。
平均なら、2時間8分で落ちている。22分、遅い。
19分が、ヤナと回復役2人を運び出した時間だ。残りの3分が、リノが足首の高さを見つけるまでの時間だ。
そして、第三形態が来た。
ヨトゥンが、両腕を広げた。
氷原の雪が、吸い上げられた。
半径400歩の雪が、全部、空へ昇った。
そして、それが、ヨトゥンの表面に張りついた。
霜核を、纏った。
全身が、割れた氷の鎧になった。
一枚一枚が、家ほどの大きさだ。
その内側に、青白い核が、いくつも透けている。
13の上級魔法が、一斉に走った。
通らなかった。
火が滑った。土の槍が折れた。氷の檻が届かなかった。
リノの《断空》が、1枚だけ削って、止まった。
——知っている。
ゲームでも、ここは同じだった。
第三形態の霜核纏いは、単一元素では剥がれない。
24人レイドでは、ここで混合魔法を3本、同時に入れた。
火と風。水と風。土と火。
3本で、剥がれる。
いま、この世界で混合を撃てるのは、6人だ。
俺、相馬、リゼ、セシル、王都の水路の技師、灰狼の若手。
1年前は、2人だった。俺と、名前も知らない白い髪の女の、2人だけだった。
——それでも、足りない。
セシルは、王都だ。教壇がある。
残る2人は、ここにいる。石環の内側に、いま、立っている。
だが、2人とも水の術者だ。
灰狼の若手は、第一形態の41分に列を外れた。水路の技師は、ヤナが倒れたあとの穴を、そこから1人で埋め続けている。
俺は、1時間20分、13人ぶんの魔力の残りを数えていた。
だから、分かる。
——2人とも、混合を1本入れるだけの残りがない。
混合は、単発の2倍以上を食う。ここで無理をさせれば、契の直後のトビアスと同じことが起きる。
リゼは、混合を矢に乗せる。術式として撃てるわけではない。
術式として撃てるのは、俺と相馬の2人だ。
2本では、足りない。
——四重奏。
その言葉が、頭に出た。
火を保持し、1/8拍で風、もう1/8拍で土、もう1/8拍で水。
4つを、1つの詠唱に重ねる。
《四重奏》。
3年半で、俺は一度も届かなかった。
日本サーバーで成功例は、たしか2件。どちらも別のプレイヤーだ。
そして、1年前。
竜の第三段階で、俺は三重の次に手を伸ばした。
左腕が、肘から先まで焼けた。
いま、その左腕は、感覚が9割戻っている。
ガウスが毎朝、木剣を握らせてくれたからだ。
もう一度やれば、今度は腕では済まない。
俺は、そこで、やらなかった。
代わりに、旗を3回振った。
黄。黄。黄。
交代。
そして、名前を呼んだ。
「相馬! リゼ! 石環の中央へ!」
2人が、走ってきた。
「セシルさんは」
相馬が聞いた。
「王都です」
「じゃあ、3人ですよ」
「3人でやります」
——ここが、いちばん難しかった。
四重奏は、4つの元素だ。
3人では、1人が2つ持たなければならない。
俺が、火と、そのあと1つ。
相馬が、土。
リゼが、矢に乗せる形で、風。
残るのは、水だ。
「水は、俺がやります」
俺は言った。
「火を保持したまま、4番目に水を差します」
「それ、二重を1人で持つってことですよね」
「そうです」
「それ、去年、腕が焼けたやつですよね」
相馬が、そこで、俺の袖を掴んだ。
「駄目です」
「他に」
「わたしが2つ持ちます」
「無理です。あなたは土と火しか」
「火はノルンさんがやるので、わたしは土と水です」
「水、撃てるんですか」
彼女は、そこで、少しだけ、いつもの半拍遅い笑い方をした。
「記事に、書いてありました」
——書いてある。
《氷牙の檻》の取得手順。
俺は、あれを完全版で書き直した。前提4つと、出口の穴3つと、浮上40秒。
そして、それを刷って配った。
彼女は、この5か月のどこかで、それを読んで、1人で凍湖に潜っている。
「……いつ」
「2か月前です」
「1人で?」
「穴は3つ開けました。縄も垂らしました。書いてあったので」
俺は、そこで、笑いそうになった。
この人は、書いてあることは、全部できる。
配置は、こうなった。
俺——火。保持する。
リゼ——風。1/8拍。弓の、離す直前の拍で。
相馬——土。もう1/8拍。
相馬——水。さらに1/8拍。
「合図は」
リゼが聞いた。
「俺が数えます」
「拍、合うの?」
俺は、そこで、少し考えて、こう言った。
「合わせません」
「え」
「リゼは、弓の拍で入って。相馬は、記事の拍で入ってください」
「バラバラになりませんか」
「なりません」
俺は、火を、手のひらに出した。
「俺が、合わせます」
——3年半、俺は1/8拍を1人で刻んできた。
自分の中の4つを、自分で並べる。
だから、四重は届かなかった。4つ目を差す頃には、1つ目が保たない。
今日は、3つが、外から来る。
俺は、火を保持して、待てばいい。
火を、出した。
保持する。
熱い。1年前と同じだ。手のひらの皮が、内側から張る。
リゼの弓が、鳴った。
風が、俺の火の、1/8拍あとに入った。
彼女は、俺を見ていない。的を見ている。
相馬の詠唱が、土を差した。
さらに1/8拍。
彼女は、俺を見ていない。記事を思い出している顔だ。
そして、水。
4つ目が、入った瞬間。
俺の手のひらの火が、消えた。
——保持が、外れた。
1年前と、同じだ。
ここで暴発する。ここで腕が焼ける。
——違った。
火は、消えたのではなかった。
3人ぶんの術式の、真ん中に、入っていった。
《四重奏》。
音は、しなかった。
氷原が、2キロにわたって、割れた。
家ほどの大きさの氷の板が、27メートルの体から、全部、剥がれた。
剥がれて、空中で砕けて、粉になった。
粉が、日に光った。
28人が、それを見上げていた。
俺の左腕は、焼けていなかった。
袖をめくった。
肘から先。1年前に焼けた跡は、まだ白く残っている。その上に、新しいものが1つもない。
熱は、あった。手のひらの内側に、まだ残っている。
だが、皮が張っていない。
見た。3回見た。
なんともなかった。
——1人でやらなければ、焼けない。
3年半、俺は、それを知らなかった。
知らなかったのは、一緒に刻む相手が、いなかったからだ。
粉が落ちきったあと、相馬が、自分の手を見ていた。
「わたし、いま、2つ持ちましたよね」
「持ちました」
「記事に、2つ持つ方法は書いてなかったです」
俺は、そこで、彼女を見た。
「……じゃあ、どうやったんですか」
彼女は、しばらく黙って、それから、こう言った。
「土を出したまま、水のことを考えました」
「それだけですか」
「それだけです」
彼女は、自分の手のひらを閉じた。
「書いてないところ、初めて自分で埋めました」
リゼは、弓を下ろして、こう言った。
「わたし、何も難しいことしてないけど」
「してる」
「してないよ。いつもどおり離しただけ」
——それだ。
3人とも、自分のやり方のまま入った。
合わせたのは、俺だ。
3年半、俺は、他人に合わせてもらうことしか考えていなかった。
パーティに指示を出す。全員が俺の拍に合わせる。それが指揮だと思っていた。
——逆だった。
いちばん融通のきく人間が、いちばん多く合わせる。
それだけの話だった。
霜核を失ったヨトゥンが、こちらを向いた。
27メートルの、青白い体。
纏うものが、何もない。
俺は、旗を上げた。
赤。
そして、9枚の紙の、最後の頁を開いた。
『弱点
左胸の霜核。
※ただし、口伝は「氷の巨人は左胸に心臓を置かぬ」と言う。
※判定は、現場でする。』
——保留にしてある。
6日かけて11個を仕分けたとき、俺はこの1つだけを、決められなかった。
決める時間が、いま来た。




