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75/86

75.巨人の墓所

ニヴル氷原に入って、3日目に、俺は間違えた。


順を追って書く。


30人。ヴェルンハイムから塚の外縁まで、9日の予定だった。


1日目と2日目は、街道と山道だ。問題ない。


3日目から、氷原に入る。


氷渡りのワーム。


氷の下を泳ぐ。全長6メートル。姿は見えない。


こいつは、振動に反応する。


正確に言うと、足を止めた者に来る。


歩き続けている人間の足音は、氷の上を流れていく。止まると、そこに音が溜まる。溜まった場所を、下から食う。


「隊列は、絶対に止まらないでください」


俺は、朝いちばんにそう言った。


「休むときは、歩きながら休んでください」


「そんなことができますか」


「できます。列の後ろに下がって、歩幅を半分にしてください。止まるよりましです」


これは、うまくいった。


3日目、氷原で4体出て、4体とも列の外で処理した。死者ゼロ。


問題は、夜に来た。


凍傷だ。


3日目の夜、気温が下がった。


どのくらい下がったかは分からない。この世界に温度計はない。


分かるのは、唾が地面に落ちる前に凍ったことだ。


凍傷は、ゲームに実装されていない。


寒冷地には「継続ダメージ」があった。耐寒装備で軽減できた。それだけだ。


指が落ちる、という仕様はなかった。


だから、俺の頭の中に、対処法が1行もない。


シグルドの口伝には、あった。


11個のうち、凍傷に関わるものが3つ。


『七、獣の脂を、厚く塗れ。』


——本当だ、と俺は判断した。


理屈が通る。脂は水を弾く。汗が凍るのを止める。北の猟師も同じことをしている。


『八、雪を口に入れて、水を作れ。』


——本当だ、と俺は判断した。


理屈が通る。氷原に水はない。雪はいくらでもある。溶かして飲めば水になる。


理屈が通っていた。


『九、火の前で靴を脱ぐな。』


——本当だ、と判断した。


3日目の夜、俺は3つとも採用した。


4日目の朝、2人が動けなくなっていた。


灰狼の盾役と、王都の回復役だ。


震えが止まらない。唇が紫。話しかけても、返事が遅い。


医者役が、真っ先に聞いた。


「昨夜、何を飲みましたか」


「……雪を」


「どのくらい」


「喉が渇いたので、たくさん」


医者は、俺のほうを見た。


「ノルンさん。これは、駄目です」


「……駄目」


「雪を口で溶かすと、体が、その熱を出します」


彼は、自分の腹を叩いた。


「中から冷えるんです。この寒さでやったら、命に関わります」


「じゃあ、水は」


「火で溶かして、温めてから飲むんです。北の人間は、みんなそうします」


俺は、そこで、シグルドを見た。


彼は、俺を見返して、こう言った。


「言ったろう。半分は嘘だ」


俺は、11個の口伝を書き取った紙を、その場で出した。


『八』の横に、俺は6日前、こう書いていた。


『——本当。理屈が通る。』


理屈が通る、と書いた自分の字を、俺はしばらく見ていた。


『二、巨人の吐息を吸えば、七日眠る』を嘘だと判定したのも、同じ理屈だった。


ブレスに睡眠効果はない。だから嘘。


同じ物差しで、片方は当たって、片方は外れた。


物差しが悪いのではない。


物差しの目盛りが、届いていないところがあっただけだ。


「……はい」


「選ぶのはお前だ、とも言った」


「はい」


彼は、責めなかった。


責めないことが、いちばんきつかった。


——理屈が通っていた。


そこが、いちばん、まずかった。


『七、獣の脂を塗れ』は、俺の知識で検算できた。汗と水の話だからだ。


『八、雪を口に入れろ』も、俺の知識で検算した。水分補給の話だと思ったからだ。


熱の話だと、俺は思わなかった。


ゲームには、体温がない。


だから、俺の中に「体の中から冷える」という概念が、そもそも存在しない。


存在しない概念は、検算できない。


2人は、離脱した。


徹の表に、離脱の手順が書いてある。


理由は聞かない。担当は次の者が引き継ぐ。戻る枠を1つ空けておく。


そのとおりに、粛々と進んだ。


2人は、シグルドの姪——ミアが、ハウグの家まで送っていった。


彼女は、去り際に、俺にこう言った。



「叔父さん、あんたのこと、怒ってないよ」


「……はい」


「あれ、5代前から半分嘘なの、うちの一族もみんな知ってて、それでも捨てなかったの」


彼女は、荷車の綱を握った。



「半分嘘でも、半分本当だから」



28人になった。



そして、凍傷そのものは、別の紙が止めた。



   ◇


5日目、若い術者の指先が白くなった。


医者が「これは戻らないかもしれません」と言った。



俺は、荷のいちばん奥を探った。



布に包んだ、粗末な綴じ紙がある。



紙が黄色い。綴じ糸が2度、切れて結び直してある。


字が、丸い。15歳の女の子の字だ。



俺は、それを2年近く、荷の底に入れて運んでいる。


15歳が、数値も契の欄も見えないまま、手で試して、手で書いたものだ。


王都で軟膏を作ったとき以来、俺はこれを開いていない。


持ってはいた。開かなかった。


——なぜ開かなかったのかを、俺はいま、正確に言える。


この中に、俺の知らないことが書いてあるとは、思っていなかったからだ。


俺の頭には、925レベルぶんの攻略情報が入っている。15歳が3回ためして書いた紙に、その先があるとは、考えたこともなかった。


考えたこともなかった、ということに、いま気づいた。



めくった。



『しもやけ、ひび、あかぎれ


 黒つち草の根、すりつぶして、豚の脂とまぜる。


 あたためないこと。あたためるとききめが落ちた。3かいためして3かいそう。


 ぬったあと、布でまく。ぬのは毎日かえる。


 ※ゆびが白いときはこれをぬる。黒いときはもうおそい』



——黒いときは、もう遅い。



俺は、その一行を見て、若い術者の指を見た。



白かった。



黒つち草は、氷原には生えない。


だが、徹の物資表に、載っていた。



「薬草類・北方産・黒つち草の根 2袋」。



「徹さん、なんでこれ積んだんですか」



俺は、あとで手紙で聞いた。



返事は、こうだった。



『ノルンさんの荷に、布に包んだ古い紙が入ってるの、知ってました。


 毎晩、荷を確認するのが俺の仕事なんで。


 中を読んだのは、すみません。


 でも、あれに書いてある材料、1つも積んでなかったんで、全部積みました。』



——メルの紙が、俺の知らないところで、物資表になっていた。



若い術者の指は、6日目に、色が戻った。



   ◇


9日目の午後、塚の外縁に着いた。



巨人の墓所。



高さ200メートル近い、盛られた小山。


裾に、石の環がある。



その石環を、シグルドが指した。



「あれが、封じだ」


「封じ」


「5代前から、そう聞いとる」



俺は、石環に近づいた。



高さ3メートルの石が、12本。円に並んでいる。


表面に、彫刻があった。


柱の記号が、12本のうち4本にある。



そして、3本目の石の、根元。



俺は、そこで、しゃがんだ。



抉れていた。



石が、根元から30センチほどの高さで、削られている。


自然の風化じゃない。縁が、まっすぐだ。



工具の痕だ。



俺は、指でなぞった。



苔が、削り跡の内側まで入り込んでいた。


風化して、角が丸くなっている。



——新しくない。



100年、200年——いや。



苔の厚みと、風化の具合。


竜の巣の《焔心鉱》の掘り跡と、同じくらいだ。



あれは、300年前だと、俺は思っている。



「シグルドさん」


「なんだ」


「この封じ、誰かが外そうとしてます」



彼は、しゃがんで、削り跡を見た。



そして、長く黙った。



それから、こう言った。



「——昔、空を裂く者が、北へ来た」



俺は、その口伝を、初めて、正しい形で聞いた。



あれは、来ただけの話じゃない。



来て、ここで、これをやったんだ。



 Lv.530

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